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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1296 ボチボチ行きましょう(6月18日)

 議会は何とか終わったが、地区ごとの集会もはじまったり、来客があったり、何やかやでバタバタしている。「ボチボチ行きましょう」は自分にも言い聞かせている。

 かける言葉は人によって、その時の置かれた状況によって違ってくる。「がんばろう」が必要な時や人もあるだろうし、「無理せんと、ボチボチ行きましょう」がピッタリな時や必要な人もいるだろう。

 今のドクターの日々は、昔の教え子に電話も出来ないぐらい毎日毎日やることいっぱいで、少々へばり気味だが、この役目や自分の生が終わるまでは、生ききりたい。生き方や生きるペースは、その時置かれた状況や流れで変わってくると思うので、一喜一憂せずその時のベター(ベストは無理がある感じ)を選びたいと思う。

 「人生二つ良いことはない」のは人生経験的に分かって来ているので、人生に丁度良いペースがないとすれば「忙しいか閑か」だとすると、ドクター的には忙しい方が、やることがある方が良いように思うが、加齢とともに元気がなくなってきているように思うので、元気のないドクターはドクターでないから、ここは閑でエネルギー注入も良いか。

 しかし、閑にしてるとエネルギー注入があるかと言えば、そうでもないので、やはりやる事があった方が良いか。結局どっちやねん、と言いたいところでしょうが、結局はこれは流れに任すしかないということでしょう。

 という訳で、今日も結局流れに任せてボチボチ行きましょう、ということですね。

 ☆急にカメラとの接続が悪くなったので、昔の写真ですみません。ホント適当ですね、私。ボチボチ行きます。皆様もご一緒に、ボチボチ行きましょう。

 

Dr.1295 どの角度からみるか(6月17日)

 市長のキャッチフレーズ「おしゃれなワクワク農村」を、ある議員の方が「自分は農村に住んでいていい所だとは思うが、おしゃれと思ったことはない」と言われた。市長は、「丹波篠山市はおしゃれな店が増えてきて人気が出ているが、地元の人にもその良さに気付いてもらいたいから、このキャッチフレーズを使っている」と言われた。

 どちらの主張も一理あって、要は見方だと思った。ドクターは今朝も鳥の声で目が覚めたが、これをおしゃれと言えなくもないが、まだ暗いうちから起こされ、これが毎日となると「おしゃれ」と喜んでばかりもいられない。

 たまに鳥の声で目覚めるのは良いが、毎日となるとちょっときつい面も出て来る。時々本市を訪問する観光客や関係人口者と生まれてから長く暮らすものとでは視点が違う。どちらも自分とは違う視点があるコトを知り、自分の置かれた状況を見直すのは良いことだ。

 そして気付いたことを、良い面、プラス面を見て、機嫌よく生きたい。マイナス面、改善すべきところは、それなりに対処しながら、要は自分の人生を機嫌よく生きることだ。自分が機嫌よく生きられると、周りの人にもいい影響を及ぼすことが出来る。まあ簡単に言うと、プラス思考ということでしょうか。わかっちゃいるけど、これがなかなか難しいですね。まあ、流れに任せておきましょう。

 ☆議会の討論で、市長とある議員の方の聞きごたえのある討論に感動して、自分の出番ではアタフタするドクター。

Dr.1294 どうしようもないもの(6月16日)

 過ぎてしまった過去や、どうなるか分からない未来のことをあれこれ心配しても心が疲れるだけだ。まだまだ心配性気質が抜けきらないドクターも油断するとすぐにあれこれ考えてしまう。

 こういう人は身辺を忙しくして、何やかやとやる事で一杯にするのがいいと学んだ。確かに時間があると、田んぼの苗の成長が気になったり、水の張り具合がきになったり、あれやこれやと気になる。気になっても、どうせ土日にしか作業できないのだから、気にしても仕方ないのだが、わかちゃいるけどやっぱり気になるのだ。

 忙しくするというのも確かにその通りだと思うし、この頃では物忘れも進んできたので結構助かっている。でも、忙しいと言っても全く考える時間がないということもなく、物忘れが進んでいるといっても、完全に記憶力が無くなっている訳でもない。

 ここはやはり、適度な忙しさ(用事がある状態)と本や洞察などで生き易さについての安定した考え方(人生哲学と言うのか)を磨いていくのが大切なように思う。そして、この哲学磨きもこれでもう完成と言うことはない、油断すると絶えず迷いがやってくるので、絶えずアンテナを張って、生き方を見つめて行かなければならない。これが結構忙しく、良い悩み封じかもしれませ。

 ☆どう考えれば毎日をお気楽に生きられるか(調子よく生きられるか)考えるドクター。これで結構時間が潰れて良いのかも。今のところは「流れで生きる」ですけど。

Dr.1293 無常(6月15日)

 逮夜のお経の後の和尚のお話しで、「無常」のお話があった。この世の中は無常で、栄華も一瞬のうちに露と消える。栄枯盛衰は世の習いなので、栄華や成功などに心をとらわれないように気を付けなければならないというようなお話しだったと思う。

 人生は苦(思い通りならない)を大前提にして、それを忘れないようにしながらも、生かされている間は、動ける間は、快活に生きて功徳を積む。見返りなどを期待しての功徳ではなく、生かされていること、動けることへの感謝の心が、自然とだから自分が出来ることをさせて頂くということ。

 一時は分かっていても、ついまた欲が出てしまう。時に今回の和尚のお話しのような「無常」「四苦八苦」を思い出して、日々を一喜一憂せずたんたんと自分の使命(やることになった役割)を果たしていきたい。ただし、周りの人も自分にも元気を耐えるような快活さは忘れないようにしたいです(出来る間はですけど)。

 まあ皆さん、世の中無常ですけど、ボチボチ行きましょう。それしかないですし、それがいいんですよね。

 ☆無常な世の中にもかかわらず、はしゃいで生きるドクター

Dr.1292 時は進む(6月14日)

 中学校での高校説明会に参加した。市内3つの高校ともドクターが説明会に参加していた頃の人達とは違った人が説明している。あの頃からもう何年も暮れているので当然と言えば当然だが、時の流れを感じる。

 学校説明担当者だけでなく、各学校で日常の授業や校務を担当する中心メンバーも様変わりしている。これも月日の経過とともに人が入れ替わるのは当然のことだが、その移り変わりを目の当たりにすると感慨深い。

 メンバーは変わっても組織は動いていくということ。これは何も学校だけでなく、社会も、自分の家庭もそうだろう。自分が居なくなっても世の中は続いていく。新たなメンバーや子どもたちが後を繋いでいってくれる。

 そう考えると寂しくもあるが、心強くもある。何も心配しないで、自分の時代、自分の役割を果たしていけば、後は流れや後輩たちに任せて行けば良いだけのことだ。

 年齢とともに変わる自分の役割もだんだん終わりの方に近づいて来ているような気がする。寂しい気もするが、誰もが通って来た道でもあるし、誰もが通っていく道でもある。たんたん丹後と(久しぶりです、この表現)流れに任せて、年齢なりの変化を楽しんで生きたい。

 まあ皆さん、焦らずボチボチ行きましょう。焦らずとも時は着実に進んで行ってます。嘆くのも止めて受け入れて進んで行きましょう。

 ☆生徒達に話をするドクター。時と共に役は違ってきていますが、今の役も結構面白いっす。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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