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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1325 一区切り(7月22日)

 学校には学期ごとに終業式があって一区切りがつく。一区切りがつくと、チョットホッとできる。大人の世界でも一区切りをつけて、チョット一息つくことが大事ではないかと思う。

 仕事が多いので、なかなか区切りや休みはとりにくいが、良い仕事をするためにもリフレッシュは大事だ。

 ただ一区切りをつけて、チョット(大きくても良いけど)一休みや一褒美は良いと思うが、それも終わると、また区切り前の生活が待っている。どころか、今度は次の区切りまで相当長い。これにはちょっと大変さで目がくらむ。

 それなら一区切りなどせず、ずっとペースを守っていつもの生活を続ければいいかと言うと、それも微妙だ。一区切り一リフレッシュを境に、メリハリのある働き方を身につけられれば一番いいと思うが、簡単ではない。

 結局一区切りをつけても、つけなくても、働き方に対する(あるいは毎日の生き方に関する)自分のポリシーみたいなものを持ちたい。なんのために働くか、何のために生きるか、それが踏まえられていれば、毎日がオフでもオンでも充実して機嫌よく過ごせる。そんなことを考えるためにも、一区切りをつけて考える時間を取ろう。結局どっちやねんって感じですね。まあ今日もボチボチ行きましょう。

 ☆前に撮った村のドローンの様子です。この方々はしっかり生きる哲学持たれてるように思います。見習いたいと思います。

Dr.1324 素で勝負(7月21日)

 先日ある人から、「(あんたは)素で生きとるな」という言葉を頂いた。この日初めてドクターの言動を見られて、自然体やと思われたようだ。

 「素で勝負」という言葉があったような無かったような。勝負というほど力んだ生き方はしていないが、素では生きてると思うし、それを初対面に近い人に認めてもらえるのは嬉しい。考えて見れば単純な生き方をしているということだろうが、これが地だからこれでいい。

 自分を飾ったり、無理したり、建前で生きるのは得意でないし好きでない。素で生きてきて、何とかなっているのだからありがたいことだ。

 素をさらけ出すと、プラス面もマイナス面も見られてしまう。マイナスが出た場合は謝ったら良いと思うが、謝ったからと言って誰もが許してくれるわけではない。許してくれない人は、素のドクターと合わない人だということ。世の中、自分と合わない人はいるのが普通。

 合わない人と無理に付き合うことはない。こちらからどうこうということはないが、合わない人もいれば合う人もいる。出来るだけ多くの人と合うように、素を良いものにはしていきたいとは思う。

 そう思ってこれまで生きていて、素で生きてると認められるとは、これは結構嬉しいかも。ともかく、今日も素で自他の楽しいことを進めて行きたい。皆様ご一緒にボチボチ行きましょう。

 ☆素で咲いている蓮の花。素だから美しく、枯れるのも隠さない。

Dr.1323 人と比べない(7月20日)

 聖書の言葉を教えてくれる昔の教え子から「人と比べない」というような言葉を紹介してもらった。「人と比べない方が生き易い」というのは、これまで生きて来て感じることでもある。

 優越感も劣等感も、生き方としては上手くない。過去の自分自身と比べるのもどうかなと思う。これまで出来なかったことが努力の結果できるようになったというのは、素晴らしいことのようにも思うが、これとてもできるようになったのはいいが、出来なくなったたら落ち込むみたいなことになったのではよろしくない。

 人とも過去の自分とも比べず、いま自分にあるものに感謝しながら、それを使って上機嫌に生きるというのが良いように思う。

 自分の頑張りで出来るようになったとしても、それは自分だけのお陰ではない。頑張れる環境が与えられたということでもあるし、たまたまいろんな好条件が重なって良い結果につながったとも考えられる。

 できないことが出来るようになって、自己肯定感を持つのは良いが、うぬぼれてはいけない。そんなできる出来ないにフォーカスせずに、日々生かされてることに感謝して、自分にできるお返しをしながら、自分も周りも機嫌よく生きて行けたらと思う。

 こんなドクターの思いはどこかの本に書いてあるだろうか。書いて無ければ自分で書いておこうかな。あっ、こぼブログでもう書いてますね。まあともかく、今日もぼちぼち行きましょう。

 ☆うちの村でドローン飛んでるところです。みんなのために飛ばしている人、すごいです。あれつ、この比べるのは良いか。

 

Dr.1322 自分の心が決める(7月19日)

 幸せかどうかは自分の心が決める。分かっちゃいるけど、すぐまた忘れそうになる言葉だ。幸せの何か客観的な基準があるわけではないということ。資産が何円あれば幸せとか、夢が叶えば幸せとか、友達が何人いれば幸せとか、そんなことは一概には言えない。

 夢はあっても良いが、それが叶ったり、叶わないことが分かったりすると、それはもう幸せの基準では無くなる。

 だから、普通の日常生活の中にあっても幸せを感じる心の持ち方がポイントになるということ。幸せは外から見て、誰かが決めることではなく、あくまでも自分が決めるということ。

 自分が決めるということであれば、自分の幸せ感度が鈍っていなければ、いろんなことに幸せを感じられる。ご飯を美味しく食べられたこと、身体が動くということ、特に病気をしていないということ、病気張っても日常生活が送れているということ、生きていられるということ、・・・

 要は自分の幸せ感度を上げて行こうということ。幸せ感度、上機嫌生き方、こんなことを磨きながら今日も機嫌よく生きたいと思います。皆様ボチボチ行きましょう。

 ☆連休中の農作業。しんどいけれども、こんな自然と触れ合えていい汗かけて、後の一杯が美味しく幸せです、こんな感じでしょうか。

Dr.1321 独居(7月18日)

 妻が旅行に行ったので、家で独りを経験した。自分の他に誰もいない、本当に一人で一晩過ごすというのはほとんど経験がないように思う。

 晩御飯はほか弁屋さんで買ってきて、一杯飲んだらすぐ寝るので、独りを感じる時間は少ないはずだが、それでも折に触れて寂しさを感じた。万が一にも最晩年にこんな生活になったら、とてもやってはいけないだろうとも感じた。

 夜中には昼間の共同作業が響いたのか両足がつって大変だった。痛いは歩けないは、その上トイレがしたくなるはで、誰にも助けを求められないし、この先どうなるのだろうと不安になった。幸い何分後かにトイレまで行けて、その後は痛みに襲われることなく眠れたので助かったのだが。

 人間は一人で生まれて来て、1人で逝くものなので、独りには耐性もあるはずだが、物心ついた時から誰かと一緒に暮らしているから、さらにはドクターは寂しがりのようなので、独りの時間は結構きつかった。

 そうは言っても、もし万が一独りになったら生きて行かなければならないのだから、慣れるのも必要だとは思うがなかなか厳しい。

 元気なようで、足つりからも分かるように、年相応に弱っては来ているので、自分が一人で残るというのは可能性としてはあまり無いようには思うが、それでも人生何が起こるか分からないので、どうなることかしらん。

 人と関われることの有難さを知る機会にはなった独居一晩、今後人との関りを大事にしながらボツボツ行きたい。

 ☆一人農作業(草刈り)をしながら、夜も一人の独り居を体験したドクター。やっぱり独りは寂しいですね。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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