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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1190 アドリブ(2月12日)

 市教委主催の功労者表彰式があって、表彰状を渡す役をやった。計画ではコロナ対策感染予防のため、表彰状の読み上げもせず、司会者の方から業績を紹介してもらって「おめでとう」と言いながら表彰状を渡すだけのだんどりになっていたが、急遽冒頭のあいさつをすることになった。

 密を避けるため4回に分けて式典をやったので、あいさつも4回しなければならない。短めのあいさつで良かったので何とか終えることが出来たが、予定になかったことを急にアドリブでやるのはなかなか大変だ。

 大変だけれど、あらかじめ決められたことをその通りやるより面白みはある。それに考えて見れば人生はアドリブそのものだともいえる。急にどんな展開が待っているか分からない。逆に、予定していたことが予定通りやってくるというのは安心かもしれないが、それでは生きるということになるのだろうかという思いもある。

 予定違いは、予定していたことより悪いことが起こる時の対処が大変だ。大変だけれどやるしかない。すべてアドリブで。そもそもアドリブの語源はラテン語で「即興で、自由に、思うに任せて」と言う意味で最初は主に演奏や演劇で使われたらしい。

 またまた「人生は流れ」の話になりますが、これも大きな時間軸で見るとその時々に起こる流れ(事態)に合わせてアドリブ(あらかじめ決めていた対応ではなく)でやって行くということであるともいえます。アドリブ力を磨いておかなければならないと考える人もいるかもしれないが、「流れ哲学」ではアドリブでとった対応も流れのうちなのでアドリブがうまく行ったかどうかなども気にせず、大きな流れに任せれば良いということです。まあみなさま、流れを信頼して安心して生きて行きましょう。今日もボチボチ機嫌よく。

 ☆文化・芸術・研究・スポーツ分野で活躍した個人・団体に贈られる表彰式。ドクターの姿勢がふんどりかえっているように見えるのが気になりますが、これは腰痛の人の姿勢です。偉そうにしているととられたら嫌ですが、人生アドリブ、いろんな人がいろんな風に言いますが、自分の評価も流れに任せて行くしかないように思っています。少なくとも自分はいつも自分の味方でいたいと思います。

Dr.1189 置かれた場所で咲きなさい(2月11日)

 人事異動の季節が近づいている。春から転職や新しい部署で働くようになる人も多いと思われる。自分の人事は自分の意思だけでは決められない。様々な要因が絡み合って行き先、働き先が決まっていく。

 こんな時覚えておいてほしいのが、渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」という言葉だ。ドクターの言う「流れを信頼して生きる」というのも、これと同趣旨だ。

 偉大なシスターと比べるのは恐れ多いが、どこに置かれるか、どういう流れになるかは自分の意思だけでは決まらない。だからその置かれた場所が、やって来た流れが自分の思い通りではなかったとしても、腐らず、そこで出来ることを精一杯やって行く、それしかできないし、それでいいし、それで十分だという考え方です。

 そもそもがこの世に生まれて来たのも自分の意思ではない。いつ去るかどのように去るかも自分の意思を超えている。自分の計らいを超えたものにあれこれ悩むのではなく、自分をこれまで生かしてきた天の意思、大きな流れを信頼して、置かれた場所で、その流れの中で自分に出来ることを自分らしく精一杯やって行く、それが結局は自分にも周りの人にも幸せにつながるのではないかと。

 いつもそんなことを考えながら生きていて、昨日もふとした機会に職場の若者とそんな話をした。

 ☆いろんな考えに触れることができる図書館。いろんな考えに触れて自分の生きる指針を深めたい。

Dr.1188 多才(2月10日)

 映像祭の素晴らしい出品作品の話をしたら、ラインで繋がる高校時代の剣道部仲間が、「前に自分もこんなん作った」というて何年か前の作品をアップしてくれる者や、例年仲間が集まってやってる黒豆の植え付けから収穫までの作業のスナップ写真を編集し、それに音楽を付けて「『収穫の喜び』という作品作った」というてアップしてくれる者やら、それらを称賛するものやら、さらに次に作品をリクエストするものやら、グループラインが賑やかになった。

 前にも仲間が集う小屋を作った者や、その小屋に素敵な装飾を施した人、テーブルクロスを作った人などもいた。

 みんな本業とは違ったいろんな才能も持っている。それに比べると、ドクターなどは人前でワイワイ言うぐらいしか特技がないように思うが、「幸せは人と比べないこと」「自分の役割をやっていけばそれで十分」「人にはそれぞれ生まれてきた使命がある、それにしたがって物事はやってくるし、それを受け入れて信頼して進んで行くだけだ」というような教訓を導き出す特技もあるので、これに従って他人を羨ましく思うのは止めよう。

 人の多才ぶりには敬意を表しながら、自分の人生(才能・持って生まれたもの等)の恵まれた面を大事に感謝しながら生きて行きたい。人には誰も持って生まれた才能や役割がある。

 ☆仲間に夫々の才能を発揮させるきっかけになった映像祭。ドクターのあいさつを褒めてくれる人もおられた。有難いことだ。

Dr.1187 しゃれた生き方(2月9日)

 先日紹介した「映像祭」では「映像祭ええぞー」というダジャレのキャッチフレーズが使われていた。ドクターもこれまで「校長先生絶こうちょう」や「教育長きょういくぞー」というだじゃれを使ってきた。

 これは単なる「だしゃれ」、言葉遊びだが、その中には単なる言葉遊びを超えた意味が含まれている。

 「映像祭」の出品作品は本当に素晴らしく、「ええぞー」(いいよ)ということだが、それ以上にテーマの「生きる」って素晴らしい、生きてるって「ええぞー」、これからも元気に面白く生きて行こうというメッセージも込められているように思う。

 「校長先生絶こうちょう」にしても、単に校長が絶好調なだけでなく、自分も周りも機嫌よく各自の人生を絶好調で生きて行こうというメッセージも含まれている。

 「教育長きょういくじょう」にしても、単に「今日行くよ」という意味だけでなく、やはり「事件は現場で起こっている」のだから、毎日できるだけ現場へ行って現場の声を拾って施策に反映していくという思いが込められている。

 このよう言葉遊びは単なる言葉遊びを超えて、言霊をもって、熱く大事なメッセージが含まれている。何より遊び心というのか生きる余裕が人生を豊かに面白くするのだと思う。

 なかなか大変な毎日ですがこれからも「しゃれ」(遊び心)の心を大事にしながら、元気でい生きて行きたい。

 ☆しゃれ(遊び心)の大事さ深さを知った映像祭。ええぞー。

Dr.1186 お計らい(2月8日)

 今朝ある読み物を読んでいて「お計らい」という言葉が出て来た。ドクター流で言えば「流れ」ということと通じると思った。流れで起こるいろんな出来事は、短絡的に捉えて「いいコト」「悪いコト」のように思うかもしれないが、コトの良し悪しは早計には決められない。

 「悪いコト」と思っていたことが、後に良いことに繋がったり、その時の自分には必要な試練で後にそれを経験したからあの飛躍につながったということもある。「流れ」や「お計らい」でやってくることを早急にプラスマイナスを判断せず、たんたんと受け入れ自分が出来る精一杯をやっていく、それが生かされていることにつなっがているということ、そういう意味が「お計らい」にはあって、ドクターの「流れ」も同じ視点に立っている。

 どちらも自分の計らいを超えた大きな存在を感じ、それを信頼して生きて行く。一見主体性がないようにも見えるが、こういう生き方を主体的に選んでいるともいえる。大切なのは自分がどのように考えたら楽に自分らしく、人の役にも立って生きられるかと言うことだ。

 これからも「流れ」、これを尊称して「お流れ」と言っても良いが、を信頼し大事にして心穏やかに自分の使命を自分らしく勤めて行きたい。

 ☆昨日の朝に見たうっすら雪景色のグランド。いろんな「流れ」(天気)の中でいろんな景色が見える。たんたんと味わって生きたい。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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