Dr.1685 普通の有難味(8月2日)
暑い日が続いていて、寝苦しい夜もあり、元気がない時が多い(その他の要因もあります)。昨日は久しぶりに特にしんどくもなく、普通なのだが、それが如何に有難いかが分かった。
しんどい日々が無かったら、普通の日の有難さは分からなかったかもしれない。体調が普通なら、そこには気を付けず、それ以外のことで喜んだり落ち込んだりすることになる。
まず普通の体調(健康)でいられることの有難さをもっと噛みしめないといけないと気付いた。もっと言えば、健康で元気であれば、他のことは良しとしなければならない。そこまでは中々言い切れないが、でも本当はそれほど元気で日々を過ごせるかどうかと言うことは何事にも代えがたいほど大きいことだと思う。
体調がいい状態が続けば、すぐそれに慣れて(それを当たり前・普通のように思ってしまって)、その有難さを忘れて、その他のことに関心が行ってしまう。
健康で日々を過ごせることの有難さをもう一度しっかりと認識し直していきたい。これがきっちりできれば、その他のことはおまけみたいなものなのだから、そんなに大げさに捉えなくても良いと考えられれば、たいていのことは楽になる。
自分の健康だけでなく、周囲の人の健康や命の大切さをしっかり認識し、そこから出発して日々の生活を考え直していきたい。
☆昨日は結局市役所同士の方と一緒に一日中森君ユニフォームで過ごしました。これが涼しく、この影響もあって体調良かったのかも。


Dr.1684 サザン祭り(8月1日)
この間、ラジオでサザンオールスターズの特集「サザン祭り」をやっていた。サザンオールスターズには夏のイメージがあるからだろう。懐かしい歌が一杯かかって良かったのだが、サザンと言えば大学時代の思い出がある。
1回生か2回生の頃だっと思うのだが、所属していた空手道部の代表(各部から1名出さなければならなかった)として、大学祭実行委員会に出ていた時、今年の学祭ゲストはサザンオールスターズというグループだと決まった。決まった時は、まだ無名だったのだが、そのうち「勝手にシンドバット」が大ヒットして、学祭の頃にはプレミアがつくほどだった。
うちの学祭実行委員会はその後も「紙ふうせん」に決めて、こちらもその後に「冬が来る前に」が大ヒットしたということで、先見の明があると思ったものだった。
懐かしい大学時代を思い浮かべながら、サザンや桑田さんで思うのは、いくつになっても自分の色を大事に活動していくということだ。独特の声や歌い方もあるし、生き方そのものも自分(たち)らしさを出されていると思う。
なかなか同じようには行かないが、ドクターらしく生きるしかない。自分らしさを大切に、いろんなご縁に導かれながら、ボツボツ歩んで行きます。
☆今日は「黒豆ナイター」の日で、丹波篠山市出身のロッテ投手中森君を応援する日で、このユニフォームで出勤します。途中着替えると思うけど、この中途半端も自分らしいか。

Dr.1683 忘己利他(7月31日)
「忘己利他」(もうこりた)という仏教用語を知った。瀬戸内寂聴さんの秘書だった瀬尾まなほさんが講演で教えてくれた。自分のことを忘れて、他人のためにということだと思う。なかなか字句の通りにはいかないが、「ご縁を大切に、流れでやる羽目になったことは断らずにやる」というドクター方針も自分の思いや都合を優先させ過ぎず、頼まれたり期待されたりすることをやっていくということで、通じるところがあるのではと大胆にも思っている。
やっていると、生きていると、しんどいことや嫌な場面や言葉にも出会うが、自分のことはさておき、人が喜ぶ(と自分が思う)ことを精一杯やっていく。その結果として、思い通りの結果にならなかったとしても、自分としては良かれと思うことをやるだけだ。
もちろん、冷静な目で自分の言動を振り返ることは必要だが、最終的には自分が「利他」と思うことを、「忘己」の姿勢でやるしかない。
ドクター的には「忘己利他」をそこまで徹底せず、自分も他人も喜ぶみたいな方が良いが、そんな甘い考えではだめで、「忘己利他」を徹底せよとお釈迦様は言っているのだろう。
今後も「自他共喜」でいくのか「忘己利他」でいくのか、研究しながら歩んで行きます。ボチボチですけど。
☆高校ソフトボール大会を応援に行ったら、産業高校と東雲高校の生徒達が自分たちがつくった野菜で、ソフトボールをやっている高校生を応援していました。利他の精神ですね。教え子に学ぶ。

Dr.1682 暇がいいのか悪いのか(7月30)
いろんな行事があって立て込んでいる。どれも出席しなければならないので、一番の責務は出席しなければならないということだ。あいさつや、ちょっとした役割もあるので、それもやらなければならないが、毎回感動的なあいさつが出来る訳でもない。
出席することが仕事と言う役割もいかがなものかと思うが、それなら自由時間がいいのかと言うとそうでもない。暇を持て余すというということもある。結局、閑(自由な時間)がある方が良いのか。悪いのか、簡単には決められない。
世の中には働き過ぎで心身に不調をきたす人もいる。そういう人には休みが必要だ。暇を持て余す人には仕事があった方が良い。ただその仕事は過密過ぎない方が良い。世の中そんなにうまくは行かないので、忙しすぎるか、仕事ややることが無いのかどちらかと言うことも多い。
忙しすぎて体調を崩すのは良くないので、仕事が多すぎるのは良くない。その次には閑があり過ぎて、精神的な鬱になってしまう場合もあると聞くのでそれもよくない。そうであれば、やる事は一杯あるが、それに追い詰められた感じではなく対処して行くか、やることが無い状態でも精神的安定を得られるような心の持ち方を研究(修行)するかのどちらかと言うことになる。
どちらも簡単ではないし、どっちにしてもプラスマイナス両面あるが、これはやはりご縁や流れでやってきた役割に応じて、適切な対処法をマスターしていくのが一番と言うことかな。
☆昨日は行事が一杯で、今日は朝早くから作業系のやることがいっぱい。今は閑を持て余すということはないですけど、これからどういう流れになっても、そこをベースに自分の人生を整える考え方を研究していかなければ。そこが難しいですけど・・。まあ何とかなるかな。お気楽で行きましょう。


Dr.1681 無敵の老後(7月29日)
「無敵の老後」という本を読んでいる。部屋の中を見渡してみると、「老いる意味」「老いの品格」「快老生活」「ピンピンひらり」「死ぬ時幸福な人に共通する7つのこと」等、いつの間にか老後や定年後をどう生きるかについての本ばかりが散乱している。
表紙を見ても内容は直ぐに出てこないので、ほとんど忘れてしまっているが、幾ばくかは身についているものもあるかなって感じだ。「流れに任せて生きる」「ご縁を大切に生きる」という現在のドクターの生き方も、これまでの読書や周りの人の生き方を参考に自分の体験を通して辿り着いた面がある。
齢をとってきているので、高齢期の生き方の本が多くなっているけど、人生のどの段階でもどう生きるかを考える時に、本や出会いを通して触れた他者の言葉や生き方を参考にして、自分自身の生き方が決まっていったように思う。
要は、今を機嫌よく生きるにはどうすればいいか、自分だけの考えでは足りないので、他の人の考えや生き方を参考に、かといって他人を生きるわけにはいかないので、自分なりに出来ることをやって生きて来たし、これからの人生も生きて行きたい。
だから本や冊子、最近ではメールなどでも、貴重な考え方に触れながら、どうしたら自他に機嫌よく、絶好調に生きられるか考えながら生きているのだと思います。
そんな訳で、「無敵の老後」もうすぐ読み終わって、またその辺に置かれるだろうけど、少しでもつかんだものは生かしていきたい。
☆本だけでなく、自然とも一緒に、機嫌のよい生き方探っていきたいです。つかんだものは、又このブログなどで発信していきますので、こうご期待(そんなこと誰もこのブログに期待してないってか)
