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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1255 プチ幸せ(4月27日)

 幸せに大きい小さいがあるのかないのか微妙だが、ここでいうプチ幸せは慌ただしい日常の中で出会うちょっとした心和むことと言うような意味あいだ。

 長い間あっていない知り合いに出会えたり、以前にドクターがやった芸(開会式のあいさつでの前回り受け身や盛り上がろうエールなど)を覚えていてくれたり評価してもらったりする言葉が聞こえてきたり、トレーニング室でウェイトの時間を譲ってもらったりしたみたいなことだ。

 これも普段から自然体で周囲の人とコミュニケーションをとったり、自然体で芸をしたりしているからか。

 ともかく、日常生活では思い通りならないことが多い中、時々プチ幸せがちりばめられている。これを丁寧に拾い上げ、幸せを感じる瞬間を大事にしたい。それこそ生きてる幸せにつながるから。

 プチ幸せを感じる感度をあげる。これが上達すれば結構幸せに生きられるかも。さらにプチ幸せって結構大事なような気がする。幸せの本質ってこれかもしれない。大きすぎる幸せは欲張り過ぎで、無理があるような気もする。要は大小にこだわらず、幸せへの感度を上げて感謝の心を伝えることを心掛けて行こうということ。

 さあみなさん、今日もボチボチ出来ることを精一杯頑張り過ぎずに頑張りましょう。

 ☆長年の友人と。いくつになってもやってることは変わりませんね。幸せな時間です。プチですけど、プチがいいです。

Dr.1254 新緑の季節だけど(4月26日)

 生命が湧きたつ新緑の季節となってきた。周囲の山々を見れば木々植物のエネルギーを感じる。こんな活き活きした季節に母が入院した。

 数日前から食欲がなくなり、お腹が痛いとも言っていた。かかりつけの病院に連れて行き、さらに検査をする予定になっていたところに、検査日を待たずに体調が悪くなったので近くの病院に入院することになった。

 幸い1週間ほどの治療で退院できると見立ててもらったが、正確には今後の精密検査を待たないと分からない。

 自然界の様子や世間の関心とはまた別に個人的な出来事はやってくる。季節が良い日でも悪いことが起こることもあれば、その逆もある。季節の移ろいや自然界の様子に関心を持つことは悪いことではないが、それはそれとして自分や家族に関する出来事はたんたんと起こる。

 自分の老病死も含めて、人生に起こってくる出来事は受け入れて前向きに生きて行くしかない。生まれた以上いつかは命は終わる。辛いけれどもこの事実を忘れず、だからこそ生かされている今を感謝し大切に紡いでいきたい。自分の人生も、家族の人生も、友との関りも、全ての人やモノとの関りも、出来る時に大事にしていきたい。それしかできないし、それでいい。

 それはともかく、母や同じく病で苦しむ人の一日も早い回復を祈りながら、自分に出来ることを精一杯でも無理し過ぎず続けて行きます。皆さんもくれぐれもご無理し過ぎませんように。

 ☆新緑の季節であろうとなかろうと、いろんなことが生起する。受け入れながら出来ることをやっていきましょう。

Dr.1253 日々モヤモヤ(4月25日)

 昨日は悟ったようなことを書いたが、これでも日々快調に何の心配もなく過ごせているかと言うそんんな甘いものではない。これまでも偉大な先人があれこれと迷い、最終的には「人生は苦である(思い通りには行かない)」と喝破した人もいるほど、人生は甘くない。

 ドクターもこれまでから、人生観が固まったような、また迷いや悩みが押し寄せてくるような日々を繰り返している。最近の到達点、「大きな存在を信頼し任せてその日にすべきことをたんたんと行う」もその通りだと思っているが、だからと言って毎日がすこぶる爽快でいられるわけではない。

 特に問題が起こった時は勿論だが、特に問題なく順調に過ぎてるように思われる時にも心が晴れ渡るということが無い場合があって、やはり人生一筋縄ではいかないという思いをしている。

 逆に言うと、悟ろうがそうでなかろうが、日々のうちには気持ちの良い時もあればモヤモヤする時もあるということだ。とすれば悟りと言うのか人生観・人生哲学は要らないのかと言うとそうでもない。

 やはり根底には「どう生きる」の哲学と言うのか考え方をもって(それを改良しながら)、日々を送るしかない。哲学が明確になってきたからと言って油断せず、迷いが出て来たからと言って落ち込み過ぎず、大事なことは生き続けることだ。これも又一つの生き方訓かもしれませんね。

 結局このブログはこんなことをテーマに書き続けているように思います。そしてもう少し歩み続けますので、お付き合いの程よろしくお願い申し上げます。

 ☆村の用事したり百姓したり市役所行ったり相変わらずバタバタしています。嬉しい時もモヤモヤする時もあります。これが普通なんですね。

Dr.1252 心を手放す(4月24日)

 自分やこの世を生かしている(存在させている)大きな力を信頼して、自分のああしたいこうしたい、あれが欲しいこれになりたいみたいな心(欲望・執着心)を手放すと楽に生きられる。

 両親の出会いや結婚が無ければ自分はこの世にいなかった。夫々の両親の誕生もその前の祖父母の出会いがなければなかった。こんなことを考えていると、自分の誕生もこの世の成り立ちもご縁によっていることがわかる。こうしたご縁で生まれ、存在する自分の人生、そこで何をするかどう生きるか(本当は生かされているか)は、自分とそれを取り囲むこの世を生まれさしている大きな存在(ご縁・流れ)にお任せする。

 お任せすると言っても、何も自分で考えない、何も積極的な事はしないということではない。自分で考えて良いと思うこと、人の役に立つこと、自分の心がワクワクすることをやっていったらよいと思うが、それとて自分で考えているようで、そうではなくて自分を存在させている大きな力によって考えさせられているということ。

 だから、自分の損得・自分の快不快などの心や思いを手放し、大きな存在にゆだねる。ゆだねるしかないし、これまで自分を生かしてきてくださった大きな存在が自分を活かし(生死を超えて存在意義を発揮させる)てくださることは間違いない。謙虚に純粋に大きな存在(流れ)にお任せして気を楽にして生きよう。

 久しぶりにこんなことをまとめてみましたが、どうでしょうか。まあともかく気を楽に持ってボチボチ行きましょう。

 ☆3年前のドクター。冒険指導やらせて頂いていました。元気そうです。いつもその年齢に応じたやりがいのあるコトをやらさせて頂いています。有難いことです。これからもよろしくお願いします。

 皆さまにも、ご自分を生かさせている流れがあります。信頼して安心して進んで行きましょう。

Dr.1251 小さな幸せ(4月22日)

 小さな幸せの話が新聞に載っていた。何気ない日常の中にあるチョットした幸せに気付ければハッピーな気分でその日を過ごすことが出来る。

 昨日のドクターで言えば、普段あんまり話さない人と話せた。美味しいおやつを食べられた。チョコっと身体を動かし美味しく一杯飲めた。特にどこも痛い所がない。

 将来の心配をすればキリがないが、ほどほどにして、今日もやる流れの中を泳ぎながら、隙をついて気持ちの良い時間を見つけたい。あるいは気付けるようにしたい。そうこの気付ける力が大事だともう。この力を「気付き力」と名付けたい。

 この「気付き力」を磨けば、日常の当たり前の中にいっぱいちりばめられた有難い芽に気付くことが出来て、幸せ満ち足りた気分で過ごすことが出来る。

 今日もこの「気付き力」養成のためにも、自分にできるささやかな人の役立ち行為を頑張らずに頑張りたい。まあ皆さんボチボチ、マイ気付き力を磨いていきましょう。

 ☆昨晩のスポーツ推進委員会で出会った剣道部友人。市民のためのボランティア大したものです。人のために動ける人は幸せ度も高い人です。有難いことです。この有難さに気付けるドクターもまあ気付く力あるほうですね。これぐらいの自分に甘い基準も良いのかもですね。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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