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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1347 多少の満足といくつかの後悔(8月15日)

 人生の最後には誰でも「多少の満足といくつかの後悔」が残るらしい。これはよく分かる話で、人生の最後でなくても、日々そんな感じがする。

 ということは、これが真理と言うのか、人生の定理だとすると、何もそんなに身構えて生きなくても良いということではないか。上手く行かなかったとしても、ああこれがいくつかの後悔(今日一日なのかもっと長く尾を引くかは分からないにしても)のうちの一つか、またそのうち満足と言うのか嬉しいことも起こるだろうから落ち込み過ぎないようにしようと考えればいいだけのこと。

 また良いことがあったとしても、ああこれが多少の満足の一つか、これはこれで嬉しいことだが、どうせまた幾つかの後悔がやってくるからと、無防備の心体制は採らない方が無難だということ。と言っても、喜んではいけないということではなく、喜ぶときは喜んだとしても、いづれまたしんどいこともやってくることを忘れないようにしようということだ。

 こんな感じで、良いこと悪いコト、後悔と満足を織り交ぜながら、人生が一日が進んで行くということだ。さて、今日の良いこと悪いコト、どんなことが起こるやら。まだまだ悟りきらないドクターとしては、この定理を分かっていても、できれば悪いことは最小限にしてもらって、良いことの方が多めにお願いしたいと勝手なことを願うのでした。未熟者ですけど、ボチボチ修行もさせて頂きましょう。

 ☆目指せ、陽気な未熟者(ホントは悟り人ですけど、道は遠そうなので、当面はこんな感じで)。

Dr.1346 初盆(8月14日)

 母の初盆供養を行った。熱い時期の日中なので、お寺さんも含めて大変だと思ったが何とか終えることが出来た。その後息子と二人で、近くの地ビールのお店ともう一軒のお店でお酒を頂きながら、いろんな話をした。

 息子が母(息子にとっては祖母)との思い出で一番覚えていることは、二人で夜空の星を眺めたことだという。そんな時間にそんな場所(庭にブルーシートを敷いたらしい)に付き合ってくれた愛情と思いやりを感じたらしい。

 ドクターにとって母との具体的な場面をそんなに覚えている訳ではない。一番感謝しているのは、「自慢の息子」と言ってくれたことだ。母が自分のことを自慢と言ってくれるのは、それが客観的な評価でなくても嬉しいものだ。他人がどうこう言おうと、母は自分を評価してくれているというのは、自信というのか心の安定につながった。自己肯定感も持てたと思う。

 長く寝込まなかった人生の晩年の在り方も参考になる。思い通りには行かないものだが、母を通じてせっかく授かった命、定められた日まで機嫌よくいきたいと思う。母の初盆に考えたことです。

 ☆初盆の日に母が好きだったユリが咲いて供養しているかのようでした。有難いことです。

Dr.1345 同じような日々(8月12日)

 お盆が近付いている。昨日は休日でもあって、いつもとは違うはずだが、ドクター的には同じような感じで一日を過ごした。

 公務をして、空いた時間にトレーニングと農作業、一日の終わりに晩酌って感じで過ごした。一日が晩酌を美味しく頂くために調整される。

 何もしないで、公務も汗も流さずに過ごしても晩酌は美味しくない。早い時間に食べても、食べた後は寝てしまうので、夜中に目が覚めてペースが狂う。だいたい夕飯の時間が一定になるように、一日のスケジュールを調整しなければならない。

 お盆だし、特にうちは母の初盆だしで、それなりにやることはあるが、基本と言うのか、時間の過ごし方の根本はいつもと同じ。やることもそうだが、もっと根本を言うと、「流れでやることになったことを精一杯やって、その中に楽しみを見出す」こんな感じで生きていて、こんな感じで最後まで行くのだろう。

 体が動かなくなっても、晩酌が出来なくなっても、基本はやる流れのことをたんたんとやって、その中に自他の楽しみを見つけるということだ。

 こんな感じで機嫌よく生きて行きたいが、これまでの経験から言うと、悟った時期と悩みの時期が入り混じってくる。だんだんと悟りの時間を多くしたいと思うが、どうなることやら。流れに任せるしかない。

 ☆おもちゃの家で遊ぶこども。何も考えないで無心にいい時間を過ごしている。見習いたい。

Dr.1344 あの頃が良かった(8月11日)

 もうすぐ教頭会の研修を頼まれているので、「大したことは話せませんが、皆さんに私が話せることがあるとすれば年齢が上で教頭も校長も定年後も経験していることぐらいです。その体験から言うと、あの頃(教頭や校長等の現役時代)がしんどいこともあったけどやりがいもあった一番いい頃だったということ。だから今の時間を大切にしてください」みたいなことを中心にお話ししようと考えている。

 そんなことを考えている時、懇意にして頂いている80歳のある組合長から、「(丹後さん)今の仕事はしんどいこともあるかもしれないけど、後から考えたらやりがいのあった時と思い返すと思うよ」みたいなことを言われた。

 その方も大事な役をされているが、バリバリ現役と言う意識ではないようだ。男性の平均寿命83歳までもうすぐなので、いろんな役を後輩に任せてゆっくりしたいともおっしゃっていたが、上には上がおられて、上から見ると年下は「あの頃はまだ良かった」と思われるようだ。

 ということは、いくつになってもその歳、その歳が自分の人生では「今が一番若い」ということ。だから、後から考えたら「あの頃は良かった。まだあれができた。あんなことをやっていた」ということになるのだろう。

 そんなこんなで教頭会で後輩の皆さんにお話ししようと思っていたことは自分に帰ってくるということになった。これからの人生で「今が一番若い。今やらせてもらっていることが後から考えたら今となっては出来ないやりがいのあること」ということなのだから、今のしんどさだけでなく良さを噛みしめながら日々刻刻を大事にいこうということですね。

 「人に言うことは自分に帰ってくる」これはドクター人生で度々経験したことです。ありがとうございます。噛みしめながら、今日も前を向いてボチボチ行きます。

 ☆デカンショ節大賞の授賞式に出席した高校生。自分の高校生時代を考えても、あの頃は良かった。その時にはいろいろ嵐もあったと思うけど、後から考えたら良かった面が多いと思い返せる。ということは今もそうですかね。

Dr.1343 食べて飲み働く(8月10日)

 教え子の1人が「食べ、飲み、一生懸命働く充実感、人にとってこれ以上の幸せはない」という言葉を教えてくれた。

 欲張りな人間は、ついついこのほかにも何かを得たいと思ってあくせくすることが多いと思うけど、生きて食べて飲んで働ける、これで十分幸せじゃないかと気づくことは大切だと思う。

 この「飲んで」のところが、ドクターの大きな楽しみの「晩酌の一杯」という意味があるかどうかは知らんけど、今の自分はまさに、元気に動けて(多少腰は痛めてますけど)、美味しく食べれて、汗をかいて、一日の終わりに美味しく一杯頂くという毎日が送れていることが有難い。

 これがいつまで続くのかだろうかと言う不安や、気の合わない人との人間関係など多少の心配は抱えているが、そんなものは課題のうちにも入らない。という気もするし、チョットしたことが大きく気になったりもする弱い所がある自分であるのも知っているし、まあ日によって、時々によって快調であったり、元気が無かったりするのが現状。

 しかしまあ、冷静な時には、恵まれている自分に感謝しながら、生きられるところまで、少しは人の役に立つことをしながら、上機嫌で生きたいものだという真っ当な気持ちでいられる。

 揺れながらも上機嫌を確保していく、そしてそれを周りの人にも広げていく、そんな日々を過ごしたいと思っています。今日もボチボチ頑張り過ぎないで頑張ります。

 ☆ひとり機嫌よく咲くユリの花。こんな感じで行きたいものです。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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