Dr.1755 追悼谷村新司さん(10月17日)
歌手の谷村新司さんの訃報が入って来た。谷村さんと言えば、ドクターが鈴蘭台高校生徒会顧問時代(30代前半)に生徒会のメンバーを連れて大阪フェスティバルホールの楽屋でお会いしたことがある。
いきさつは、生徒会で決めた文化祭のテーマが「三都物語」(鈴高は神戸市にあった)だったので、歌「三都物語」をつくられた谷村さんに連絡したら、文化祭には行けないけど、近く大阪フェスティバルでコンサートがあるので、そこに来てビデオメッセージを撮ってくれというのだ。
生徒会顧問のドクターは文化祭を盛り上げるため、谷村さんと同じ髪型(ひげもはやして)をして会見にのぞんだ。谷村さんは鈴高生に対して元気の出るメッセージを発していただき、その様子は文化祭本番で披露した。
会見の後、コンサートを見て帰ってくださいと2階席前列を用意してくださり、コンサートを鑑賞させてもらった。そしてコンサートの最後に谷村さんが「最後の曲は2階席に捧げます」と言われて、謳われたのが『三都物語』だった。私たちは大興奮でこれは、私達へのプレゼントだと大盛り上がりをしたのを思い出す。
それからドクターはサービス精神と言うのか、常に場を盛り上げることの大切さを学んだような気がする。谷村さんのメッセージはそんなことではなかったかもしれませんが。
生徒達にも自分にも大きなプレゼントを頂いた谷村さんのご冥福を心からお祈り申し合上げます。「昨日 今日 あーす・・・」
☆谷村さんとの写真はいろんなプレゼンで使わせてもらいました。本当にありがとうございました。長い間私達に大きなメッセージを与えてくださりました。感謝 合掌

Dr.1754 親子(10月16日)
用事があって息子が帰ってきて、しばらく一緒に居て昨夜は一杯のみに行った。息子の行く末は親としては心配だが、何はともあれ元気で一緒に居酒屋に行って、いろいろ話しできる時間が持てるのは幸せなことだ。
これまでの「感謝考」の続きでもあるが、欲を言えばきりがないが、今の状態の恵まれていることに感謝する気持ちを忘れてはならない。
健康や経済的な状況や、時間がなければ、こんな時間はつくれない。喜んで親に付き合ってくれる息子にも感謝だ。
翻って、自分の両親に対して、自分が良い息子であったかどうかというと自信はない。いろいろお世話になった思いはあるが、何かをしてあげたという記憶はあまりない。仏前の父母はどんな気持ちだろう。
よく、「親孝行、したいときに親は無し」という言葉を聞くが、両親ともに亡くなった今としてはそんな気持ち。順送りと言うことも言われるので、親にしてもらったことを子どもにはしてやりたい。過保護になっては子どものためにならないのは分かっているが、そこのところのさじ加減が難しい。
ともかく、元気な子どもを授かったことに感謝して、親として陽気に元気に生きて、子どもとの時間を大事にして行きたい。
☆前に見せたかもしれませんけど、家の横にひっそり咲く花。咲きぶりを見逃すところでした。

Dr.1753 続感謝考(10月15日)
感謝の気持ちを持って1日を過ごすことの良さを体感する日が二日続いた。特に戦争や事件事故のニュースを新聞などで見聞きすると、そういう状態にない日本や自分の周囲の状態の有難さに気付く。ただし、他国や他人の不幸を自分の気付きに結び付けるだけに終わってはいけないとは思う。
不幸な状態の解消を祈ったり、自分にできる行動(ウクライナ募金やウクライナ国旗の掲揚等ーほんの一例ですけど)をとったり、自分が人に不幸を与えることがないように注意したりする(意図的でないにしても他者を不快な気持ちにする自分の言動に注意することは必要)ことも大切だ。
昨日も知人が「右目が白内障になった」というので、話を聞いて知人の不安を共有したり、手術の無事を祈った。
いろんなことをきっかけに、特に切っ掛けが無くても、自分の恵まれていることに気付き感謝する。感謝して、自分の出来る恩返しをしていく。感謝を基盤とした生き方、これからも深めて行きたい。
☆雨は雨で感謝し(作物の生育など)、晴天は晴天で感謝する(屋外の行事が出来る等)、感謝の種はそこここにいっぱいある。ドクターの課題は何事も継続していくことだ。感謝の種見つけの生き方は続けて行きたい。

Dr.1752 感謝を学ぶ(10月14日)
この間の講演で「感謝を学ぶ」という話を聞いた。人生を生きる目的は、何事にも感謝できるようになること、感謝についての鋭敏な意識を身につけることという趣旨だったと思う。
確かにこの力が身につけば、毎日を感謝一杯、満足一杯、笑顔いっぱいで過ごせような気がする。しかし、世の中にはまだまだ不平不満な人、攻撃的な人、疑心暗鬼な人など生きにくかろうと思えるような人がわんさかおられる。
こういう人達は、今の自分の恵まれている点、不満と言っておられることの中にも恵まれていることもあるという点についての認識が甘いというのか、かけている。さらに上を目指すため、敢えて満たされた点は見ないようにして、不足の部分を取り上げ、相手を攻撃して意に添わせようとされているのかのように見える。
現状に感謝して、満足していたら進歩は望めないのかしらん。それこそ何のための進歩かと言うこともあるが、ポイントはより幸せに日々を過ごす、より幸せに世の中が回るということだろう。そのためには、感謝の心は欠かせない。
他人の生き方はともかく、自分としては感謝を中心に、いたるところに感謝の心をもって、だからそれに報いるためにも自分の出来ることをやっていく、そんな生き方で生きて行きたい。そこにぶれはない。言うほど大したことできてませんけど。
☆こんなへき地の小さな学校でも、素晴らしい教育、素晴らしい子どもたちが生まれています。子どもたち、先生方、地域の皆さん、全ての方に感謝です。そんなところを見に行けたことにも感謝しています。

Dr.1751 自己肯定感(10月13日)
昨日は早朝から姫路に行く用事があり、ブログ更新できず申し訳ありませんでした。全国へき地教育大会に参加したのだが、今回の兵庫大会の実行委員長を丹波篠山市の校長が勤めている関係もあって、開会式のアトラクションで、その校長先生のところの子どもたちが全員でプレゼンしたりデカンショ踊りを披露したりした。
全国からの参加者を前に丹波篠山の魅力を活き活きと発信してくれて、子どもたちの自信にもつながって、とても良かったのだが、同席していた市長から子どもたちの舞台を盛り上げるように指示を受けたドクターは困った。
いつものように手を揚げて「オー」と叫んだりすれば、自分が目だってしまって、子どもたちの頑張りを奪ってしまう恐れがある。
どうしようかなと迷っている間にステージは終盤を迎え、そこで咄嗟に終わった時に「スタンんでぃぐオベーション」を一人でやった。ドクターの座席は前列3列目の中央付近だったので、後ろから見ていた観衆にも見えたし、子どもたちも見てくれたかもしれない。
会場は多少受けた程度で、何事もなく子どもたちへの大きな拍手に繋がって舞台の進行を妨げることもなかった。程よく盛り上げられたかなって感じだ。
後で、咄嗟にほどほどの配慮した行動(盛り上げ)をやった自分はなかなかの出来だと自分で自分に賛辞を贈った。自分を自分でなかなかよくやったと褒められるのは幸せなことだ。だれも褒めてくれなくても、自分で自分を褒めることが出来るってありがたいこと。これも小さい頃に甘やかされてきたおかげだろうか。家族やご縁に感謝です。今回自画自賛のエピソードですみません。
☆姫路城近くの会場で行われた全国へき地大会。学校にへき地校はあっても、教育にへき地はあってはならない、姫路城を愛でながら良い言葉を噛みしめるお気楽なドクターでした。

