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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1317 ネガティブ・ケイパビリティ(7月13日)

 ネガティブ・ケイパビリティというどうにも答えの出ない事態に耐える能力という概念を教えてもらった。

 答えが出なくても耐えたり、はぐらかしたり、何とかして持ちこたえていくと、そのうち落ち着くところに落ち着いて事態が何とかなっていく。決して積極的な解決策・対処法でなく一見消極的ともとらえられる対処法だが、現実の世界では、がんばれば何でもか思い通り解決していくということはまずないので、この力と言うのか対処法と言うのか生き方は必要な考え方だと思う。

 ドクターのずっと言っている、「何とかなる」に近いかもしれない。

 人生は夢や希望を持って生きろというのとも似ていて、それはそうだがそういう生き方が出来る人ばかりではない。だとすれば、夢や希望は無くても何とか生きて行く、課題やしんどさは一杯あっても何とか生きて行く、その日の終わりの一杯を楽しみに何とか生きて行く、こういう生き方と言うのか時間の過ごし方があっても良い。というのか、きれいごとだけではなく生きて行かなければならない。

 とすれば、何とか生を止めない生き方・考え方・対処法・力を持ちましょう。そのため、自分流の生き方楽思考が必要で、ドクターはこのところ「流れで生きる」生き方を推奨しているが、それに加えて今回のネガティブ・ケイパビリティだ。何でもいいから一つでも多く、自分の生を止めない、生き易くなる考え方を拾い集めて行きましょう。

 ☆ネガティブでも何でも、自分を楽にする考え方・哲学を見つけて行きましょう。

Dr.1316 過大評価(7月12日)

 時々ドクターを過大評価する人がいる。ドクターのことをあんまりよく知らない人に多い。全然知らない人は過大も何も全く知らないわけだから評価もない。よく知る人や、良く知るようになった人には評価が低くなる。

 悲しいことだが、ドクターの真の人間的魅力がないということか。いやいや前にも言ったが、チューインガム型人間のドクターは、はじめは美味しく、そのうちじきに味が無くなるけど、これをさらに噛み続けると味と言うのか慣れてきて離せなくなる。

 過去にそこまで付き合った人はそういないが、幸い自分自身は最大の理解者として、ドクターのことを好きで評価しているのが救いだ。

 それはともかく、昨日もドクター仕事場を訪ねて来られた方々は、「前にお勤めの学校では、その学校を全国的に有名にされた。その手腕を発揮して頂くのを期待しています」、また別の人は「ブログを書いておられ、発信が上手です」とか何とか評価してくださった。

 いずれもそばで聞いていた、ドクターをよく知る職員はキョトンとしていたが、外部評価が高いのは悪いことではない。評価に答えなければならないと考えるとしんどくなるが、まあ評価が高くても低くても、自分のできることを出来る範囲でできるようにやるしかない。

 それで評価が高かろうが低かろうがしょうがないが、自分の自分に対する評価だけは失わないようにしたい。それが結構高いので、「お気楽な奴」「お調子者」等と言われるが、その言葉は嫌いではない。まあみなさん、高温多湿のしんどい日が続きますが、ボチボチ自分に優しくいきましょう。

 ☆外部の過大評価を参考に、自分でも気が付かない力が自分にはあるのではないかと自己評価を高めるお気楽な奴。

Dr.1315 あるある人生(7月111日)

 車検ができるのを待つ間に読書をした。高齢者を幸齢者と呼ぼうという筆者が推奨しているのが、「あるある人生」だった。幸齢者になると体力や記憶力などなくなるものが多いが、ないものを数えるより、残っているモノ、まだあるものを数えて生きる人の方が元気に幸せで暮らしている例が多いということだった。

 確かにと思える内容に、ドクターもつい無くなりつつあるものに関心が行ってしまいがちだが、これからはまだあるもの、できることにフォーカスして毎日を送りたいと思った。

 その一つが体力で、まだ百姓仕事ができる。自分で歩ける、身の回りのことが出来る。この出来ること、出来る力を使って行くと、さらに長持ちするとのことだ。確かに、周りのの農業従事者の方々は元気で長生きだ。

 意識しないと、つい「ないない人生」になってしまうので、これからは意識的に「あるある人生」であるものを意識して、できること、やりたいことを中心に毎日を楽しんで生きたい。

 みなさん、ちょっと無理してでも、「あるある人生」チャレンジしていきましょう。

 ☆上の写真が、車検待つ間のドクター、下がまだある体力使って黒豆畑の土寄せにかかる前のドクター。いろんなあるあるを大事にしたいですね。

Dr.1314 一瞬一瞬を大事に(7月9日)

 ドクターとあまり歳の違わない元首相が凶弾に倒れて亡くなった。総理は辞められたものの有力な政治家として活躍され、その日も元気に応援演説中だった。

 一瞬にして生が終わる冷徹な現実を目の当たりにした。ここまで劇的ではないにしても、私たちの生もいつかは一瞬にして無くなる。

 普段は生の終わりのことなど考えず、日常のやるべきことにあくせくしている。それはそれで仕方ないが、毎日の瞬間瞬間を大事な時間として丁寧に扱う気持ちは持っておきたい。

 惰性になっていると、その価値を忘れがちだが、生かされている、人間に生まれて、やることがあって、生活できていることに感謝しながら日々を送りたい。

 元首相のご冥福をお祈り申し上げるとともに、自分の生のかけがえのなさをもう一度噛みしめ、最後の日まで丁寧に生きて行きたい。

 ☆久しぶりの庭での写真。こんなことができる幸せを噛みしめながら、行けるところまで行こう。

Dr.1313 閲覧数(7月7日)

 仕事の方のブログの閲覧数が話題になり係の人に調べてもらった。1日100件から200件のようだった。これが多いのか少ないのか。ドクターブログは300から400だと勝手に思っているが、こちらはその数字があってるかどうか確証がない。

 閲覧数は気になるが、そのために書いているのではない。でも、誰もほとんど見てないとなると書き続けるモチベーションが保てない。閲覧数のためではないとすると、何のために毎日書いているのだろう。

 ①自分の考えをまとめるため ②習慣 ③読んでくれる人のため ④何となく などいろいろあるが(あんまりいろいろでもないですね)、やはり一番は自分を激励するためのような気がする。

 このブログで、「皆さん、今日も~で行きましょう」と言っているのは、ほとんど自分のためにも言っている。

 落ち込みやすい自分が、どう考えたら、上機嫌で毎日を送れるか、その試行錯誤がこのブログだ。これが無くなれば、生きにくくなるだろう(近年はずっと書いているので、ホンマに止めたらどうなるのかは分からないですけど)。

 それでもって、今のところは、自他が喜ぶことを出来るだけやっていく。人の悪い所ではなく、良い所を見て行く、後は流れに任せる、一日終わった後の一杯を楽しみにまずその日一日を精一杯生きる、こんないつも言ってるようなことですけど、まあ皆さん、今日もボチボチ行きましょう。また言うてしまいました。

 ☆黒豆ナイター応援Tシャツ着ましたけど、快適でした。生きてると、時々良いことあります。これも自分に言ってます。閲覧数増えたかな。やっぱり気になるんかい。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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