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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1366 高齢期の過ごし方(9月3日)

 高齢期(いつから言うかはともかくとして)の元気な過ごし方について考えている。一つのヒントは周りの元気な高齢者に見習うこと。その点から言うと、ドクターの周りのお百姓(かつてはいろいろなところに勤めていたと思うけどリタイア後はみんなメインは百姓)達は、みんな元気だ。

 ドクターよりも先輩の方が多いが、山歩きなどもドクターよりも元気だ。やはり体を動かすのが良いのだろうか。農業に関していろいろとやることや思案することもある。時には共同作業でみんなで作業することもある。頭や身体を使い適度な人付き合いもある。そんなところがいいのだろうか。

 他にも考え方として、欲張らない、ほどほど、限界を知る、完璧にこだわらない。「まあいいか」みたいな自分を楽にする言葉を持つ。みたいなことを考えたが、どんな老後になるか、いつまで健康寿命でいられるか、節制も大事だが、それだけでは如何ともしがたい定めと言うのか流れもある。

 受け入れながら、できるだけ陽気に生きて行きたい。今のところこんなとこですが、こんなんで参考になります?もう少ししたら、高齢者大学でお話しすることになっているが、逆に秘訣をお聞きしたい。こんな講師でいいんでしょうか。適当ですね。

 

Dr.1365 最悪を想定(9月2日)

 自分の人生で起こるであろう最悪の事態を想定する。死ぬことは最悪かもしれないが、死んだら後のことはいかんともしがたいので、「死」以外の最悪の事態を想定する。

 その最悪の事態を何とか避けられているとすれば、後のことはそれから比べると大したことではないと思えるのではないか。最悪の事態が起こっていないことに感謝して、後の厄介なことはそれと比較すると、耐えられる、耐えなければならいことだと思える。

 この考え方は邪道かもしれないが、実際には莫大な効果がある。それほど、最悪の事態が怖ければ、それが怒らないように日頃から気を付ければ良いというようなものだが、愚かな人間としてはそれがなかなか実行できない。

 最悪の事態が起こらないように祈りながら、その可能性を0にすることができない。そしてさらに、その恩恵(最悪の事態が起こらないこと)を、それ以外の問題解決の発奮材料に使おうとしている。

 この考え方はほめられたものでないので、大きな声では勧められないが(こうしてブログでは大きな顔して書いてますけど)、効果は絶大だと思うので、どうしても困っている人のために、こんな考え方もあるよと紹介している。

 最悪の事態は自分の力だけでは避けられない所もある。今がその事態が起こってないとすれば、大きな力に感謝するしかない。そして、その恩恵に見合う自分ができるだけのことをやっていくしかない。

 そんな訳で、今日も感謝しながら、できるだけのことをやりながら、一日を送りたいと思います。自分も含めて、皆様に最悪の事態が起こりませんように。

 ☆いろんな事情を抱えながら、いろんな人が行き交う駅。大変なことも多いと思いますが、精一杯生きて参りましょう。

Dr.1364 なるようにしかならない(9月1日)

 稲刈りの時期を心配している。刈り取り時期としては、次の土日が良いように思っていたが、雨続きの模様で難しそうだ。近所の人の中には、それを見越して昨日や一昨日に刈り取った人もある。勤務のあるドクターとしてはそうもできない。

 今度の土日がダメなら、次の土日は行けるか気がかりなところだが、今からでは確実なところは分からないし、天気のことは気になるけれどもどうしようもない。どうしようもないことは、人生にいくつもある。ここは成り行きに任せて、「なるようにしかならない、でもなるようにはなる」の人生哲学を深めていくしかない。

 「なるようにしかならない」人生観はだいぶ学んできたように思うが、まだまだ徹しきれてはいない。ドクターの場合、他の人生哲学も同じで、その時には悟ったように思っても、また迷いが出てきて落ち着かない。悟ったり迷ったりするそういう人生だと悟るしかないか。

 自分の人生がバタバタ人生であることは、結構一貫した哲学だ。良くも悪くもそういう人生の過ごし方をする自分だから、バタバタしてても慌てないし、どこかそれを楽しんでいる余裕もある。落ち着いてじっくりというのは性に合わない。

 「なるようにしかならない人生哲学」もしっかりとつかめたら、生き易いようにも思うけど、そう思ったり、でも心配したり、覚悟が行き来して落ち着かない。バタバタしている。これもバタバタ人生だから仕方ないと納得できれば、落ち着いて暮らせるか。まあどうでしょうか。それこそ、なるようにしかならないですね。悟り切ってはいませんけど。

 ☆バタバタしてるうちに、あちこち見て回りました。あちこちの一つ、市中央図書館。大変ですけど、退屈しないです。バタバタ人生は結構腑に落ちてます。

Dr.1363 夢がある人(8月31日)

 ある人から、将来こういう学校を創りたい、こういう子どもを育てたいという夢を聞いた。命を懸けて最後のご奉公をするみたいなことを言った人にも会った。夢がある人には元気がある。そもそも元気がないと夢など語れない。

 こういう人達から見ると、ドクターなどは特に夢がなく情けない感じはするが、お陰様で元気だ。夢にしても、それがある人は凄い、いいことだなとは思うが、無いならないなりにやっていけると、負け惜しみではなくそう思っている。

 夢がないと生きられないわけではない。夢がない人はダメな人間と言うことでもない。夢がある人は、そういう生き方が出来て良かったねという感じだ。夢がある人は、それを中心に人生や毎日の過ごし方を組み立てたらいいからそれはお任せするとして、問題は夢や目的のない人の生き方だ。

 夢が無くても毎日を機嫌よくいきたい。毎日ボーっとするのも何だと思うから、何かすることはあった方が良い。そのすることが仕事の場合もあれば、趣味や割り当てられた役割の場合もあるだろう。そこは、そこも、ドクターなどは「流れ」「ご縁」「大きな力」(サムシンググレイト)様に任せている。

 それらに導かれてここまで来たし、結構面白かった(今から思えばですけど。途中はそれなりにしんどいこともありました。今も気になることは幾つもあるが、それはそれとして(気にしたら無くなるのならそうしますが、そうもいかないから気がかりとしてあるわけだから)元気に陽気にお気楽に生きて行きたい。それなら、これまでお世話になって信頼できる、これからもお世話になりたい、頼りにしている、「流れ」様達にお任せして、自分のできることを自分らしく出来る範囲でボチボチやって行くしかないし、それで良いと思っています。

 ☆流れで記者発表にも出させて頂きました。結構面白い場がやってきます、有難いことです。夢のない皆様、ないならないなりに機嫌よく生きられる考え方を身に着けて行きましょう、ご一緒にいかがですか。

Dr.1362 上手く言えない(8月30日)

 人前で話すのは苦手ではない。いやむしろ好きなほうかもしれない。が、昨夜の会議では、しどろもどろ、何を言っているのか自分でもよく分からない感じになってしまった。

 テーマが難しかったのか、論理的に話すのが苦手だからなのか分からないが、反省しきりで、イヤーな感じで終わってしまった。まあ、いつものことだけど、反省ばかりしてても前へは進まないので、切り替えて今日のやるべきことに当たらなければならない。

 幸い切り替えは得意と言われている。そんな時自分に心掛けているのは、「自分など大したことない」という思いを土台に、気持ちを整理するということだ。自己否定と言うことではなくて、自分にはいいところもあるけど、そんなにいろんな方面に才能があるわけではない(昨夜で言えばフリートークで論理的な話をする)ので、そこが上手く行かなくても当たり前。こんな程度の人間ですみませんって感じだ。

 この程度の人間でもやってくる役回りはある。自分で望むものではないが、やってくるものはやらせてもらいながら、できるだけ機嫌よく生きて行きたい。そんなことを考えている。

 流れでやってくるもの、役割をやらせていただくという、他力本願というのか受け身的な生き方だが、それが自分に合っているならそれで良いと思っている。生かされている命、自分を生かせしめているものに感謝しながら、精一杯と言うのか自分らしく生かさせていただく、それしかできないし、それで十分ではないでしょうか。こんな生き方、考え方で今日もボツボツ行きますわ。こんな感じが合ってる人がおられたら心強いんですけど。

 ☆昨日訪れた学校の軒下にあった大玉。人知れずあるけど、こんな感じで良いんじゃないでしょうか。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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