Dr.1787 人間ドック(11月22日)
本日これから人間ドックに行く。1拍2日のではなく、半日ほどのやつ。レントゲンを浴びたり、薬を多用するのは良くなく、特に身体に支障がなければ何もしないという説に一目置いているドクターとしては、それほど積極的ではないのだが、職場の流れに従って、一応最小限の検査は実施して報告書を提出するようにしている。
多分いくつかの数値で健康基準を超えるだろう。例えば血圧など基準値よりも高くても、めまいもないし特に問題ないと思っているが、長年血管を圧迫して、突然脳内や心臓で血管が破れるかもしれないと言われたら、気にはなる。しかし、だからと言って血圧下げる薬を常用するというのも、それはそれで問題もありそうにも思うし。
結局今のところは、何の薬も飲まず、特に大きな問題はなく過ごさせてもらっているが(小さな問題はいろいろあります)、加齢とともに昔の用にはできないことも増えてきた。が、それはそれで仕方ないし、何とか日常生活が出来ているというのは有難いことだ。
手術や薬の助けを借りるようになったら、それはそれで無理せず流れに従い、行けるところまでは元気で行きたい。しかし、できるだけは、自然な形で、それなりの年の取り方で行きたいと考えてますが、やはり感謝と貢献と流れに従う、これでしょうかね。
☆先日も地域の名山「高城山459m」に登れました。有難いことです。どこまで行けるかは、大きな力にお任せしています。


Dr.1786 空いた日(11月21日)
昨日は、ブログ更新できずご心配おかけしました。別に身体や心が不調という訳ではなく、原因はパソコンの不調です。不調と言うとパソコンに怒られそうですが、これまでたまっていた更新日らしく、なかなか作業ページがでてこず、出勤もあったので時間切れで更新できずということになってしまいました。
ブログの空いた日ということにもなったのですが、空いた日と言うのはその前の日曜日のことで、早朝の用事を済ませた後、空いた日になったというのか、子どもの大学祭に行くために空けた日にしたというのか、ともかく9時以降は久しぶりに奥様と娘の大学や下宿に行って、喫茶店によってというゆっくりとした日を過ごさせてもらった。
ずっと前からこの日を楽しみにしていて、何とかこの日を過ごすことが出来て良かったのだが、これがあったからすごく元気になったかと言うとそうでもない。学祭委員の娘とは構内で一瞬出会えただけで、後はプロレス同好会の学生プロレスを2時間ほど見ただけだった。それでも、特に何かの行事に出席しない日と言うのは、ストレスもなくありがたい時間だったが、終わってみると、特に元気が湧いてきたわけでもなく、こんな日がずっと続くのが良いかと言うとそうでもなく、ドクター的にはやはり何かやることがあって、たまーにこんな日があるというのが良いということが分かった。
毎日が空いた日ということになれば、その過ごし方も研究していかなければならないということはわかった。日々何かすることがあって、時に空いた日がやってくる、こんなのが今のところは良いように思った次第です。
☆子どもの大学祭で学生プロレスを見て過ごす空いた日。こんな日もたまには有難いですが、毎日となるとどうでしょうか。


Dr.1785 感謝・喜び・陽気(11月19日)
来年度の手帳も買って、11月は両方を持ち歩いている。新しい手帳には予定の他にも、後ろのページに気に入った言葉や大事にしている言葉を書き留めるようにしている。
毎年違う言葉が入るが、変わらず大事にして行きたいという意味で、来年の手帳には「感謝・喜び・陽気」と言った意味を認めた。
基本は感謝の心だと思っている。今ここに生かされて、生活させてもらっている。これは当たり前ではなく、本当にいろんなご縁を頂いて今の生活・命があるのだと思うから、感謝しかない。感謝があるから、自分の命を大事に生きて自分にできる貢献はしていかなければならないと思う。
命を大事に生きるということは、自分に与えられた役割を精一杯やるのと、出来るだけ陽気に元気に喜んで生きることだと思っている。ただあんまり頑張り過ぎず、ボツボツお気楽にと言うのも忘れないようにですけど。
そんなことを考えながら昨日も過ごしていると、何度か嬉しい場面に出会えました。有難いことです。
☆昨日であった嬉しいことの一つ。丹波篠山市民の日で中国武術を演じるM少年と。自分にできる貢献は「丹波篠山市盛り上げて行こう」「オー」をやったぐらいですけど。

Dr.1784 素直な心(11月18日)
お隣の丹波市の中学生と触れ合う機会があった。丹波市の中でも田舎にあたる地域の学校だ。初めてあったドクターなどとも気さくに話が出来る。話していても、あたたかさや素直さ、面白さを感じる。これまでこうした特色は、丹波篠山市の子どもの特性だと思っていたが、お隣の市にもあるということは、似たような自然環境、素朴な田舎の人情が子どもたちの育ちに良い影響を与えているのだろうか。
都会の子が悪いなどと言うつもりはなく、都会にも田舎にもそれぞれの良さがあり、個人の特性もある。夫々の人がもっている良さを伸ばしてほしいし、教育はそれを支援するのだと思う。
今回感じたのは、田舎の子どもたちの素直さ、大らかさ、あたたかさだった。こうした良さを伸ばす働きかけが、各地で行われていると思うと嬉しくなる。
自分たちは自分達で自分の出来る働きかけをやっていきたい。大きなことは言えないが、出来る範囲で全力で、陽気に、感謝の心を忘れずあゆんでいきましょう。ぼちぼちですけど。
☆昨日はカメラを家に忘れていて、昨日の中学生との触れ合いの様子はスマホでしかとれませんでしたけど。カメラどうしたのかと不安でしたが、家にあるのみつかって良かったです。
この写真は以前に撮ったやつですが、家の石垣に生えた木から新枝が下に伸びてる様子です。何でこの方向にだけ枝が伸びるのって不思議ですけど、天与の延びる方向があるのかも。この伸びを応援していきたいですね。

Dr.1783 手をかける(11月17日)
田んぼに置いたままにしていた黒豆の枝と葉っぱを燃やしたが、雨で乾ききっていないこともあり火をつけただけでは乾いたところ一部が燃えるだけ。全て乾燥していれば、あっという間に燃えてしまうのだが、雨が染み込んで濡れたところがあるので、放っておけば少し燃えて消えてしまう。
一回目はそれで諦めてしまったが、放っておくこともできないので、今回は一部が燃えて日に勢いがあるうちに、少し湿ったところもあるけど乾いたところもある枝の乾いた部分を一番燃えている所に乗せた。すると乾いた部分が燃えることで、湿ったところの水分も飛ぶのか、その枝一本が燃える。そして、次の枝、そしてそのまた次の枝と手をかけて燃やし続けて、結構な量を燃やすことが出来た。
手をかけると可能になることは、他にもある。教育は正にそうだと思うが、それ以外でも手をかけた方が良いことは多い。かけ過ぎの弊害には注意しながら、かけなければならない所には手をかけながら、人生を前へ進めて行きたいと思う。
☆教育も植物も手をかける時には手をかける。成長を始めると、手を放しても一人で大きく育つようになる。いろんなことに学ぶことが多い。

