Dr.100 メタボマン
諸事情から子どもの保育園時代を思い出していて、娘が4~5歳だった頃娘のクラスで親子レクレーションの指導をしたことを思い出した。親の足の上に子どもを載せて歩いたり、子どもを持ち上げて親の身体を一周させたりする活動内容は思い出したが、その時自分が何と名乗っていたのかが思い出せなかった。白色の全身タイツを着て「〇〇マン」と言っていたことは思い出したので、「ヤッターマン」(確か白色のつなぎを着たかっこいいー若者でドロン女とか何とかいう悪党をやっつける)かと思っていたが、娘に尋ねると「メタボマン」だったと言う。そして父がそんな恰好をして指導するのがはずかしかったらしい。話が変わるが、ドクターが冒険指導でよく着ているオレンジのTシャツを贈ってくれた友人が、「あれ少し小さかったですね」と申し訳なさそうに言った。彼はよくこのブログを見ていてオレンジTシャツを着たドクターの写真がいつもピチピチで映っているのが気になっていたようだ(これはTシャツのサイズが小さいためでなくドクターの太りすぎが原因であることは明白)。この二つの話から導き出される結論は次の通りだ。①ドクターは昔から太っていて人の前へ出るのが好きだった、②ドクターは昔から家族から恥ずかしがられる存在だった(目立つことはやめるように言い続けてきた妻はなぜか最近「市長選にでたら」とは言っているが)、③最近も太っている、④農作業の時の缶チューハイを止めるかもっと走らなければならない(菓子パンはやめられない)。どれも前から分かっていることだった。
☆娘に撮ってもらった昨日の夕日。この景色を背景に「メタボマン」の思い出が胸に迫ってきた。

☆前に三田西陵高校に勤めていたスマートな青年。とても「メタボマン」にはなれない彼と熱く教育を語れて嬉しかった。

☆すぐに思い立ってジムのランニングマシンに。行動は早いが長続きはしない。

Dr.99 じょそうざい(8月1日)
黒豆畑に除草剤を撒いた。できるだけ農薬の使用は減らしたいと考えているが、日本の農業は草との戦いだ。これで最後にはしたいと思っているが、それには黒豆たちに頑張ってもらって、大きく葉を広げてもらわなくてはならない。葉が大きくなるとその下の雑草に光が届かず豆の勝ちとなるのだ。ただドクター畑の黒豆たちは、この間の台風の風に横倒しになるやつが出る位軟弱だから心配だ。心配な子ほどかわいいので、とりあえずまだ雑草の丈はそれほど伸びていない今のうちに雑草の成長を止めておけば、いかに軟弱なドクター黒豆たちも少しは雑草に太刀打ちできるだろうとと思ってのことだ。ところで除草剤を撒きながら、これまでの人生における「女装」について考えた。今でこそ、修学旅行の学年レクでは定番になっているほどよくみられるが、昔はそれほどでもなかったなと考えながら一筋目の畔間を撒き終えたが、2筋目にかかって思い出した。ドクターが最初に担任をした30年ほど前の土木科でも、文化祭にT君を女装させたことを思い出した。T君は目鼻立ちの整った小柄な生徒だったが特に嫌がらずに女装してくれたように思うし、女装が登場するクラス劇のシナリオを書いたのは自分だったようにも思う。その当時は「こだわった」「してあげる先生」だったのだ。ちなみに今の先生に求める理想は、「柔軟な対応ができる」「してもらう先生」だ。3筋目になって、校長退職最後の年に「男子生徒の女装コンテスト」というテレビの企画を三田西陵高校で引き受けて、男子生徒のイケメンたちがイケ女に変身する様子がテレビで放送されたのを思い出した。当時校長だったドクターも出演したが、その時男子生徒たちのメイクを担当したのがピカ〇という女性言葉でしゃべる中年おじちゃんだったが、この人がなかなか味のある人で男・女の境界を越えていたのを思い出した。多様な人がいろんな生き方をする時代になったものだとか何とか考えている間に作業は終了した。冒険教育家のメインの仕事が百姓という生き方もある時代になった。
☆「除草剤」を撒きながら、「女装」について思いを巡らす男装のドクター。

☆風で倒れるは、虫には食べられるは、軟弱なうちの豆たちの成長が気になる。

☆豆に劣らずドクター田の稲たちも、倒れるは、穂数は少ないは、軟弱で心配だ。どうも作物は育てる人の性格に似るらしい。

Dr.98 成長しなくてよい(7月31日)
今回もネタ元は新聞で恐縮だが、「経済成長」と「経済」と「成長」を一緒に使うから、経済は成長しなくてはならないと無意識のうちに思い込んでしまっている。経済も身長と同じくその人の時期や体質にあったものがよく、いつまでも成長し続けると身が持たない、高齢期の人の身長が縮むように、経済も国が成熟期に入ると縮んだ方が身の丈に合った動きがしやすいというようなお話であった(かなりドクター勝手解釈が入ってますけど)。これを読んで目が覚めた。それまでは自分も日本の経済成長率に一喜一憂し(自分の生活には直接関係ないですけど)、EUやアメリカや中国に比べて日本の成長率がいつも低いのが気になっていたが、少子高齢化が進み成熟期を迎える日本では成長を気にせず、今ある規模でどのような国を作っていくかが大事ということだ。これは自分の生活にも当てはまる。もちろん家計収入経済は減少しているが、そのことだけでなく、定年から残りの寿命はどうみても成長期ではない(体重増加は成長しているが)のだから、この時期にあった生き方をしろということだ。成長ではなく成熟、拡大ではなくコンパクト化をキーワードに。それにしても、やはり新しい知見を得るということは気持ちがいい。あっいけない、また増やす方の肩を持ってしまった。でも大丈夫だ、その十倍のスピードで記憶を減らしている。これで安心して脳内コンパクト化が進められる。
☆廃品回収で家の中は整理されるが、当番で村の廃品を集めて回って軽トラ荷台はいっぱいになった。リサイクル活動は成長か縮小か。

☆そんなことを考えている間に集積場に着き、子どもたちが忙しく分別、積み下ろしに動き回っていた。空になったマイ軽トラは次の運び込み車に場所を譲らなければならず、じっとしてることは許されない。人生も立ち止まることは許されず、流れに任せて動き続ける。学ぶことは多いが、ためないようにしたい。

Dr.97 隠れた効能(7月30日)
ドクターブログアクセス数は、隠れた一部固定ファン(なぜ「隠れた」かと言えば、こんなモノを見ていることが人に知られると恥ずかしいと思うからだ。隠れていないとおっしゃるなら、もっと周りの人に推奨していただきアクセス数を増やしていただきたい)とドクター自身の一日数回にわたる涙ぐましい努力によって支えれれている。それでも毎月平均10人ほど減っている。このままでは50年後には閲覧者はいなくなる。最もそのころにはドクターはブログをやめて別の趣味を始めてるかもしれない。それはともかく、今朝の新聞んで毎日文章を書くということは脳のボケ防止に良いという記事を見つけた。ブログを続けていても、ボケ度は増してるように思うが、これをやっていなければもっと症状が進行していたということか。これは良いことを教えてもらった。もともとボケ防止のために書いているのではないが、そんな隠れた効能があったとは。もしかしたら他のことにも、本来の目的以外の効能(役立つこと)が隠れてるのかもしれない。一日3個の菓子パンや一日中家族以外誰ともしゃべらない生活の隠れた効能が知りたい。
☆巣立った4匹の子ツバメが連れてき友達ツバメ達、軽トラのフロントガラスのカエル、池のアメンボ、こんな者たちにも隠れた効能があるのだろうか。見てるだけで一人ぼっちの寂しさが癒される。それ以外の効能探しは無理にしなくていい。効能は隠れているのがいいのかもしれない。


Dr.96 自然の偉大さ(7月28日)
篠山市では昨日シャワーのような短時間の雨が降った。久しぶりの雨だ。畑の作物特に黒豆には恵みの雨だ。それにしても自然は偉大だ。それまでは容器で水を運んだり、水戦争をかいくぐって田んぼに水を入れたり、畑に水をやったりしていたのだが、自然の一振り(正確には一降り)でとてつもなく多くの田や畑にあっという間(1時間ほど)に水をまいてしまった。この前ラジコンヘリコプターによる農薬散布を見たが、2mほどのラジコンヘリで申し込みのあった田(標識が立ててある)に防除剤を撒いていくのだが、人が背負い散布機でやるよりずっと早いが、それでも一つの田に数分はかかり、地域の申し込み田すべてを回るのは半日から数日かかる感じだ。さらに自然の偉大な所は、だれの田畑も分け隔てなく恵みをもたらすところだ。ヘリコプター散布のように標識がたててあるところだけ回るようなせこいことはしない。予算をケチったのと申し込みの手続きの邪魔くささでヘリコプター散布をしてもらえなかったドクターは、隣の田んぼまできたヘリコプターが勢いでちょっとだけでも自分の田にも薬剤を撒いてくれないかと期待していたが無理だった。今回の自然の雨はこの時の無念さを晴らしてくれるような、分け隔ての無い降り方だった。やはり自然に学ぶことは多い。ドクターには金と労力を惜しまず適切な時期に適切な作業(農薬散布を含む)をしてきちんと作物を育てる正しい百姓の仕方も学んでほしい。
☆短時間集中降雨で水不足が解消したドクター田と水を喜ぶ黒豆。自然の偉大さに感謝したい。

☆巣立った後も時折帰ってくるドクター家の巣で育ったツバメ。我が家の子どもたちにも見習ってもらいたい。


