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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1338 ホッとしたのもつかの間(8月5日)

 今朝は半日ほどの人間ドックに行くので休みを取っている。昨夜帰る時に明日の午前は勤務がないと思うと、久しぶりに気張らなくても良いホッとした時間が訪れた。

 定年でフルタイム勤務を終えた時のような感じかなと思い出した。何が起きるか分からない勤務に、大勢のいろんなタイプの人との人間関係、やはり気を使う。

 いろいろストレスに負けない生き方、考え方を試してみては、自他に発信しているが、それでもなかなか決め手はないし、これで悟りきったというゴールもない。

 昨日などは校長会で、「ネガティブ・ケイパビリティ」(答えの出ない事態に耐える力)なる言葉と考え方を紹介して、直ぐに解決しない問題も多いと思いますけど、そういう宙ぶらりんの状態にも耐えて行きましょう、それは大事な能力です、等と聞きかじった言葉を紹介して一番自分に言い聞かせた。

 ホッとしたのが束の間だからと言って、いつもホッとしていると、ホッとした事態が常態となって、それではホット緊張が解けた解放感は味わえない。だからと言って365日何年も緊張のしっぱなしと言うのも辛いことだ。

 ここは、流れとご縁でやらせてもらうことに携わりながら(緊張をしながら)、時々ホッとした瞬間の嬉しさを体験する、こんな感じもいいのかも。

 「生きる目的が必要」なのではなく、「生きることが目的」という言葉も知った。自分が生き易く、心が楽になる生き方、考え方を見つけて、生かされている間を快調に生きましょう。

 ☆最近のいい写真ないので、昔の笑顔写真です。どんな時でも楽しくやってたみたいですね、この人は。こういう写真撮る時だけかもしれませんけど。

Dr.1337 自分を離れる(8月4日)

 いろんな場所で自分の生き方について参考になる言葉に出会う。読んでピンときたことは自分のものにして生き易さにつなげたい。

 「置かれた場所で咲きなさい」もドクターがよく紹介する言葉で、自分の意思を離れて、いろんなご縁で置かれた場所で活躍しようということで、どこに置かれるかは時の運、ご縁、神の意志、流れを信頼して任そうということに力点を置いて使っていたが、後半の「咲きなさい」も、敢えて「咲かなくても良い」という言葉も目にした。

 無理して咲かなくても、咲くか咲かないかも、時の運、流れ、人知を超えた力も働くのだから、咲くか咲かないかばかりに焦点を合わすのではなく、咲くときには咲くし、大して咲かない時には咲かない、それでいい。ってことだ。咲いたからと言って自慢し有頂天になる、咲かないからと言って悲観ししょげる、どちらも違うだろうと思う。

 「我を離れる」と言う言葉も、上手く行っても行かなくても、自分が自分がという気持ちを離れる。どこで生きるかどんな生き方をするかも含めて、授かった命、与えられた使命、それをたんたん丹後とやっていくだけ。自分の精でも、自分の手柄でもない、自分を離れて、自分が良いと思うことを(それが結果的に誰かに不快を与えることもあるかもしれないが)やっていくだけ、でもこの言葉はさらに「良い悪い」も離れるのかもしれない。深い。

 ただ、深いのが上等で、浅いのがだめというのも違うようにも思う。要は自分が機嫌よく生かされた命を生ある限り生きて行く、それしかないし、それで十分。こんな感じです、今日のところは。

 ☆久しぶりに訪れた校長出発点の学校。いい子どもが育っています。

Dr.1336 思わぬ人と講演会(8月3日)

 思わぬ人からこのブログ読んでますとメールを頂いた。こんな嬉しいことはない。もしまたどなたかメール頂けるなら、また嬉しくなります。アドレスはsap@fullvalue.jpです。

 ところで中堅職員の講習会でお話をさせてもらった。校長や教頭を目指す人たちで、本当にありがたい存在だ。是非、校長や教頭になっていただきたく、自分の経験を思い出して、やりがいを3つお話しさせてもらった。

 一つは、どの学年どのクラスの子どもとも関われる。管理職になるとよく子どもから離れるので嫌だという人がいるが、逆に誰とでも必要な場合や相性が合う場合には関われる。これは楽しくて面白い。

 二つは、自分のやりたいことができる。団体のトップなので、自分がやりたい活動が出来る。ドクターとしては、今も一応は団体のトップのはずだが、現職は校長の時程自由さはないように思う。それはそれで、暴走を止めてもらっている訳だから、自分にはない視点を教えてもらっているのだから、と思うようにしている。

 3つ目は、子どもを笑顔にできる。これは今も変わらず、子どもだけでなく、周囲の人を笑顔に、元気を与えて、生きがいを持って生きてもらえるようにする、そんなことに関われる、少しでも貢献できるということは、自分の生きている喜び、生きがいになる。

 そんな思いを昔の写真(子どもと笑顔で写っている)と一緒に話した。この話がどれだけ役に立ったか、後援会の参加者にはたまた、思いがけずこのブログを見ていただいてる方々に、分からないけど、先ほどのメールでお知らせ頂ければこんな嬉しいことはございません。

 まあともかく、今日もやる流れになっていること、ボチボチ楽しみながら取り組んで参りましょう。

 ☆昨日更衣室のロッカーみたら、取り忘れの100円玉を見つけました。もちろん届けましたけど。生きてると、思いがけず嬉しいことがありますね、この100円やメールのように。

Dr.1335 合う人合わぬ人(8月2日)

 誰にでも、波長の合う人合わない人がいると思う。この頃合わない人が増えたように思うのは、自分の癖が強くなったせいか、現在の立場のせいか、はたまた前と変わらないのに疲れや弱気でマイナス思考に陥っているからなのか。

 どっちにしても気にし過ぎず、自分の見方も結構いるのだから、元気を出して自他貢献を進めて行きたいと思う。

 前から思っているように、人を変えることはできないので、自分が変わるか、合わない人とは接触は最低限にするのが良いようだ。ただこちらから心を閉ざすのはしないようにしたい。

 人間でも動物でも相性はあると思うので、また世の中に人は多いので、気持ちよくいける環境を選びたい。

 会う人とは元気よく、合わない人ともそれなりに、自分にはやさしく最大の味方として、最大の合う人として機嫌よく生きられるように心掛けたい。誰でも自分の最大の理解者もしくは見方は自分、ただし一番ごまかせないのも自分、自分に恥じないように行動していれば、自分はいつでも最大の見方でいてくれる。

 まあ皆さん、今日も自分に正直に、自分を信じてボチボチ生きましょう。

 ☆ドクター的にはいつも変わらず人にも自分にも優しい人だと思うのですが。自分に甘すぎますかねえ。

Dr.1334 今しかできないこと(8月1日)

 また高校時代剣道部仲間の会合に参加した。春から3回目。黒豆栽培の作業をしてから、昼食を一緒にとるパターンが多い。

 5~6人が集まることになるが、みんないろいろな人生を50年間ほど過ごした後に、一堂に会せるのは本当に有難いことだ。場所を提供してくれる友人がいたり、送迎してくれる友人がいたり、料理に詳しい友人がいたりするからできる。

 ドクターは自分の農作業もあって、昼食会からの参加が多いし、特に何と言った貢献はしていないが、可能ならできるだけ参加するようにさせてもらっている。みんな歓迎してくれる。

 あまり考えたくないことではあるが、いつ参加できなくなるか分からない。今できるうちに参加させてもらおうと思って参加している。同年代の卒業生の何人かは鬼籍に入っている。

 でも考えて見れば、こうした会合だけでなく、毎日の生活そのものが、今しかできないことかもしれない。人間いつかは命が終わることは間違いないので、日々、一刻一刻が今しかない瞬間の連続だ。

 とはいっても、毎日毎回感激に耽ってばかりもいられないので、今回のように折にふれて、生かされていること、出会いの大事さ貴重さを感じながら、かけがえのない時間を過ごしていきたい。

 今日も一日のかけがえなさを思いながらも、ボチボチ行きましょう。

 ☆前にも見てもらったけど、かけがえのない瞬間写真。こんな時間の積み重ねですね人生は、気付いてないかもしれませんけど。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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