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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1353 気の合う人(8月21日)

 気の合う人達とお酒を頂いた。かつて同じところ(3人一緒ではないが)で勤めた人たちだ。美味しい料理を頂きながら、昔話に花が咲いた。

 昔話を何回しても生産性はないように思うが、実に楽しい時間だった。同じ話を何度言ったかも分からない。今度はもう一人加えて、また年末にやろうということになった。

 私達は生産性のためだけに生きているのではない。というより、何か目的があって生きているのでもない、というのがこの頃のドクターの学びだ。ただ生まれて、一定の期間生きて、また去っていく。このことに何か特別な意味があるわけではない。

 特別な意味を意味付けした方が充実した生き方が出来る人はそうされたらいいが、そんな意味に縛られない方が楽な人は、意味なしで、たんたんと生きればいい。

 ドクター的には後者だが、あんまり何もなさ過ぎても充実感や幸福感が得にくいかもしれない。そこで考えられるのが「人のため」だが、これももう少し踏み込むと、自己満足につながる利己的な理由になるのかもしれない。

 まあともかく、利他であろうと利己であろうと、毎日が元気でちょっとばかりの幸福感を持って生きられるのが良い。そうなるためには、昔話も「ひとのため」意識も何でもありなのではないでしょうか。まあみなさん、やって良かったことをやって行きましょう。

 ☆昨日は特に写真撮らなかったので、前のやつです。こんないい加減な感じでいいんでしょうか。こんなんもありじゃないですか。

Dr.1352 相談を受ける(8月20日)

 いろんな理由で苦しんでいる人から相談を受けることがある。自分自身も悩みやすいし、いろんな課題もある中、他人の相談にのっている場合ではないという人があるかもしれないが、相談者から「話を聞いてもらえただけでも良かったです」「気になっていたことが一つ減りました」「優しい人やと思ってました」みたいなことを言われると、聞かせてもらってよかったと思う。

 悩みに大小を付けるのはおかしなこととは思うものの、深刻なお話を聞いていると、自分の悩みなどちっぽけなものだと思えてくることもある。しかし、世の中には人から見ると小さな悩みに見えても、当人にとっては生死を分けるほどの大きな悩みのこともある。悩みの大小は人が決めることではない。

  自分も悩みやすいと、人の悩みや苦しみの現状が分かりやすい。その人しか分からない部分は勿論あると思うが、しんどさの方向性はわかる部分も多いと思う。

 ホントに世の中、思い通りには行かない。そこに悩みが起きるわけだが、その思いにこだわり過ぎないようにしようというのが、今のところの気付きだ。思いは持ってもいいし、持ってしまうものだが、それはそれとして、思い通りならないとだめだという思いは減らしていく。

 どうせ世の中なるようにしかならないが、なるようにはなる。流れやご縁や運命(人によっては神のご意志、仏のお導き)大きな意志、何と呼んでも良いが、自分の力では如何ともしがたい力によって人生、世の中が進んで行く。

 これを時々心に落とし込みながら、しんどいことも楽しいこともある人生を、ボチボチ歩んで行きましょう。これは相談者にも自分にも言いたいことです。皆さんも良かったら。

  ☆オンライン研修。勇気をもって手を揚げ発言しました。言うか言わないか、その日なんで手を揚げたのか、自分の力だけではないように思います。こんな感じで生かされています。

Dr.1351 施餓鬼(8月19日)

 母の施餓鬼法要を近くのお寺で行った。この1年に亡くなった家(家族)が順に拝んでいただく。5名ほどのお坊さんや村の役員(社寺係)の皆さんなどが関わっていただき、集まる家庭も多いので(今回は3家庭)多くの人が集まった。

 先日の初七日から昨日の施餓鬼、そして今夜の百箇日と一連の亡き母に関する行事が集中している。仕事もあるので慌ただしく時間と行事が過ぎていく感じだ。

 ゆっくりとお別れと言う感じではないが、この慌ただしさは却って寂しさを紛らわせてくれているのかもしれない。

 慌ただしさに流されるのは、自分の生き方としてはよくある。いわゆるバタバタ人生だ。性に合っているというのか、そういう生き方が定めなのかもしれない。ゆっくりゆったりした生活では、深く考え過ぎてしまう。それはそれで悩みやすく大変なような気がする。

 落ち着きがない、味わいがない、深みがないと言われそうだが、所詮人生こんなもの、一度の人生だから有意義に生きなければならない等と気張るよりはいいように思う。あんまり身構えすぎると却って生きにくくなるタイプ(ドクター含む)の人には、この流れに任せてバタバタして生きて、気が付いたら最後の時が近い、こんな生き方も大いにありだと思うのですが、皆さんどうでしょうか。

 ☆慌ただしくバタバタしている間にもうお盆も過ぎてきました。ボチボチバタバタしていきましょう。どっちなんかいって感じですね。

Dr.1350 毎日がチャレンジ(8月18日)

 昨日仕事場に、かつて冒険教育で一緒に働いた後輩たちが訪ねて来てくれた。会議等で会うことはできなかったが、自分を訪ねて来てくれる人があるというのは嬉しいことだ。自分の存在価値を認めてもらったようで有難い。

 あの時燃えていた冒険指導の日々を思い出した。その時は夢中で日々の取組自体が冒険・チャレンジだとは思っていなかったが、今から振り返ると、何もなかったところに冒険施設を作って、冒険指導者を養成するって、なかなかの大仕事だったなあと感慨がやってくる。

 過ぎたことに浸っていても仕方ないが、今の仕事も日々チャレンジのような気がする。新しいことにバリバリ取り組むチャレンジや肉体的なチャレンジとは違うが、日々いろんな思いの人と何とか調和しながら精神的に参ってしまわないで進むというのは、考えて見れば結構チャレンジだ。

 「チャレンジは人を成長させる」「人の成長にはチャレンジが必要」みたいなことは、よく言っていたし、今でもそう思う。

 チャレンジはエネルギーも使うし、ずっと上手く行くことばかりではないけど(リスクや失敗があるのがチャレンジ)、これを続ければ自分の成長につながるし、流れでやる羽目になったことはたんたんとやっていくという人生哲学にもマッチする。

 まあともかく、時折やって来てくれる、元気をくれる仲間、気の合う人からの暖かいメッセージ、それらを拠り所に、本日も最後までどうなるか分かりませんけど、チャレンジをボチボチやってみますわ。まあみなさん、ボチボチ行きましょう。

 ☆チャレンジな一日の終わりに。ちょっと疲れて見えますが、がんばれ自分、頑張り過ぎないで愉快なチャレンジを(最後は神頼みかい)。

Dr.1349 国は違っても(8月17日)

 ALT(外国語指導助手)の皆さんに日本文化について、ブロークンイングリッシュ(下手な英語)で話をした。中身はどこまで通じたか定かではないが(通じたとしても大した内容ではないが)、おもてなしの心や感謝を伝えたいという気持ちは伝わったようだ。

 国は違っても、コミュニケーションはとれるし、個性の違いは感じる。いろんな国の人がいるが、個性は様々だ。物静かな人、やさし(そうな)人、純朴な人、まとめ役的な人、お調子者の人(日本文化を説明した日本人:ドクター)など、その人の持ち味がビビッド(適当な英語です)に感じられる。

 相性も、合いそうな人あいにくそうな人(今回はいませんでしたけど)、国を超えてどこにでもいる。今回のプレゼンを手伝ってくれた情報通信技術支援員の日本人の若者とは、これまでそんなに親しく関わったことはなかったが、今回話してみてとても話しやすい人だと感じた。とても相性が合うとこちらからは一方的に思っている。

 そんなこんなで、国を超えて、年齢性別を超えて人柄や性格や相性は分かり合えるものだ。ということは、世界中どこへ行っても、いくつになっても、自分の性格や生き方と合う人もいれば合いにくい人もいるということ。

 どうせそのようなことならば、ちょっと合いにくそうな人がいても気にせず、「何とかなるさ」で、たんたんと自分のペースで自分の生き方でいきましょう。もちろん、できるだけ周りの人とは上手くやって行くことは心掛けながら、それでも自分と自分の生き方を大事にしながら朗らかにいきましょう。

 ☆ALTの皆さんに素をさらけ出して話をするドクター。写真はドクターと相性の合う(と一方的にこちらが思っている)日本人のMさんが撮ってくれました。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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