Dr.1271 誰かが見ている(5月21日)
ネットでブログ書いてるのだから当然と言えば当然だが、どこかで誰かが見てくださっている。普段は何人ぐらいが見ているかの数値しか分からないが(時折ダッシュボードの数字を見るが、それすら本当は何の数字かよくわかってませんが)、時々「見てますよ」という声を頂き嬉しい思いをすることがある。
教育長ブログも書いているので、そちらでも思わぬところから「見てますよ」という声を頂くことがある。たまに両方見てますよという方もいらっしゃる。
昨日はこども園の保護者の方が、子どもを横に載せた車の窓から声をかけてくださった。誰だったかなと思い出していると(最近では人の名前は勿論、顔さへも思い出しにくくなってきている)、「日記見てます」と言われるので、ブログつながりの方と言うことが分かった。
前には、海外の日本人学校の方が偶然見つけて、見てますとおっしゃってくださっていた。
とりとめのないことや、同じようなことばかり書いてるドクターブログを読んでくださる方がいるというのは嬉しいし有難い。
ちょっと考えて見たのだが、自分の文章なり、自分の発言を聞いてくれたり、覚えてくれたりする人がいるのは何故嬉しいのだろう。自分の存在が何らかの価値があるということで嬉しくなるのだろうか。存在意義に関わるようなことかもしれない。
よくは分からないが、読んでくれる人がいたり、「見てますよ」という声が聞けたりするのは、間違いなく当人(ドクター)にとって嬉しいし、励みになり、やりがい生きがいにも通じる。
これからも続けられる限り続けますのでご愛顧よろしくお願いします。時々感想も聞かせてくださいね。
☆海外日本人学校から帰ってこられた元校長先生。ご挨拶を頂き、元気を頂いた。
Dr.1270 人は皆そこそこ同じ(5月20日)
全国伝統的建造物群連絡協議会の総会に広島県呉市まで行って来た。ドクターは用事があるので日帰りで、総会後に失礼したが、全国の関係者の方を見て皆そこそこ同じという思いをした。
いろんな意味があるが、伝統的建造物群を持つ市町として共通の課題とまちづくり手法を持っているという点でも共通するし、そこに関わって市町長や市町行政関係職員、教育長や市町教委職員の顔ぶれを見ても構成も人間的にもそこそこ同じと感じたという意味もある。
市長に促されて、ドクター教育長も、これまた全国からの参加者を前に、「伝統的建造物群を活用してまちづくりがんばるぞー」「オー」のいつもの掛け声をやったが、国関係者もいた会場の雰囲気もいつもとそこそこ同じで、盛り上がる人は盛り上がり、唖然とする人は唖然とし、苦笑いの人は苦笑いだし、みんな同じ人間、細部には違いはあっても、そんなに大きく変わらなかった。
これからも、どんな舞台でも臆せず、人間皆同じ。細部に違いはあっても(その違いは尊重しなければならないが)、同じ人間、同じ時間・空間を生きる者として、思いを共有してみんなのためにできることを協力して取り組んで行く。そんな思いを大事にしたい。
☆総会前の腹ごしらえ、広島焼き。もちろん広島焼きの独自色もあるが、お好み焼きと共通するところも多い。人間もそれを取り巻く営みも、みなそこそこ同じです。人類は皆兄妹、仲良く生きましょう。
Dr.1269 あっという間(5月19日)
毎日やる事が一杯で、一日があっという間に過ぎる。大切な時間なので味わいながら、大事に生きて行きたいとは思うけど、バタバタもいい所はある。
何かに長く悩んでいる間がないのはいいことかもしれない。退屈しないのも良い。充実してると言えなくもない。
本当は緩急つけて、じっくり考える時間とゆったり過ごす時間の両方があるのが理想だろうが、現実はなかなか理想通りには行かないものなので、どちらかに偏るというのであれば、ドクターとしてはバタバタ慌ただしい方が良い。
時間の過ごし方も、生き方同様、流れに任せる派なので、今はバタバタ、ゆっくりする時期に入ればゆっくりを味わう(これまでの人生ではあんまりなかったけど)で行きたい。
流れご縁にお任せすると、なかなか生き易い。いろいろと悩む派の人には是非お勧めしたい。世の中、生かされているのは大きな力のお陰です。それを信じて、自分にやってくる流れの中で任せて安心して日々を過ごしましょう。
ドクターはお陰様で、この大きな力を信じることが出来てますが、そういう習慣がない人には難しいのかもしれない。これは最早、人知を超えた、知識を超えた世界だと思うので、正しいかどうかと言うより、信じるか信じないか、幸せに生きられるかそうでないかと言うことだと思います。
皆さん、もしよければ流れに任せて(やる事は自分らしくやるのは勿論ですが)安寧に暮らしましょう。
☆自然の恵みを受けて順調に育つ早苗。天の動きを大事に生かされています。
Dr.1268 何かが足りない(5月18日)
母の葬儀が終わって、初七日も終わり、慌ただしい日常を送っているが、これまでと同じようで何かが足りない。母の存在の大きさをいつもの生活が始まって余計に感じる。
普段いた人、してもらっていたことが、いなかったり自分でしなければいけなかったり。子どもたちも下宿に戻って行ったので、余計に寂しさを感じる。
個人の存在は孤独が基本だというが、家族をはじめいろんな人との関りの中で生きているのを痛感する。
今まだ存在するいろんな人との関りを大事にして、寂しさを抱えながらも、生きて行きたい。不完全、未熟、バタバタ落ち着かない自分だが、生きている限りは、自分の役割を果たさなければならないし、それが生きてる意味のような気がする。
大そうなことはできないが、自分に出来ることを自分らしく、ボツボツやっていきます。皆さん、ボツボツ行きましょう。頑張り過ぎてはダメですよ。人には優しく、自分にも優しく行こうじゃないですか。
☆バタバタな日常の中で見た、ホッとする風景。時々ある心癒される時間を大にしながら、ボチボチ行きましょう。
Dr.1267 背中を押す(5月17日)
しばらく連絡を取っていなかった友人から電話があった。彼とは彼が大学生の時、ドクターが隣の野外学習センターで冒険教育をやっていた時に出会って以来の付き合いだ。
但馬の方で小学校教員をやっているが、勤務校の校長先生から管理職試験を受けるように勧められているがどうしようという相談だった。
ドクターに相談したら、「頼まれるのはあなたが見込まれてのことだから引き受けるのが良い」と言うことは分かっていたようだが、電話してきたと言うことは、管理職の道を歩み始める背中を押してほしかったのかもしれない。
ともかく、ドクターは予想通りの答えで、「いろんなご縁で置かれた場所で自分らしさを発揮して咲きましょう」と語った。人生は自分の意思だけで動いているのではない。天の意思と言うのか、自分の力を超えた巡り合わせでいろんな環境が巡ってくる。
咄嗟の自分の思いとは違っても、天と言うのか大きな存在の意志をくみ取り、今の自分に必要なその役割に打ち込んで、自分に必要なものを吸収しよう。それでいいし、それで十分だし、それしかない、みたいなことを彼に話しながら、自分にも語り掛けた。
☆以前に給食試食会で頂いた紅白団子。給食づくりが置かれた場所のみなさんの見事な気持ちを頂きました。みなさん、置かれた場所で咲きましょう(周りの人に笑顔を届けましょう)。