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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1092 一人は寂しい(10月25日)

 奥様と娘が大学の下見に一泊2日で出かけたので、母との夕食を除いてほとんどが一人の時間となった。

 家族とは普段からそんなに話しするわけではないが、一言二言は交わすし、何より「そこにいる」という感覚はある。それが誰もいないと、世の中に自分ひとりって感じになり、強く寂しさを感じた。

 世の中には一人で暮らされている人もいるので、慣れるのかもしれないが、普段家族で過ごしていて急にそれがいなくなると、弧族感や寂寥感は大きい。

 生きる元気や生きる意味も失いそうな感じだった。それほど家族の有難さが分かったのなら、普段から大事にしなければならないが、これがまた勝手なもので、また日常が戻ってくるとその有難さを見失いがちになり、不平や不満も出てくる。

 人間って勝手なものだと思いながらも、家族の存在意義を感じられた今回の妻娘不在は貴重な体験でした。

 今後は常に一緒にいる人の数は減っていくだろうから、一人に慣れるのと、家族も家族以外の人も含めて交流の機会は大事にしていきたいし交流する人も大事にしていきたい。

 ☆スーパーで久しぶりにマツタケを見たが(勿論見るだけ)、昔々は今は亡き親父と一緒にマツタケ採りに行っていた。自分が生きる時代と共に家族ノカタチも生き方も変わってくる。変化する人生、悪いことばかりでもないはず、時間の流れにも乗って生きましょう。

Dr.1091 明日のことを思い煩うな(10月24日)

  今日のしんどさは今日だけのこととし(一日の終わりでそれも終わりとして)、明日のことは思い煩わないようにしようというような言葉が聖書にもあるらしい。

 何とか一日を終えて、夕食時の一杯を楽しみに生きる(一杯後はバタンキュー)ドクターとしては、意を強くする言葉だ。聖書にも仏教(人生は苦である)にもこのような言葉があるとは、古今東西を通じて人類には生きるのがしんどい要素があるということだろう。

 人間は知能が発達して生き延びて来たが、その知能故に「まだ起きていない未来を予測し、まだ起きていない苦難に悩む」ということが起きている。未来には幸せな予測もあるはずだが、しんどさが先に来るのは、これまでの人生(過去から現在まで)において苦しいことの方が多かった故か。

 最悪を想定しそれに備えるというのは大事なことだと思うが、その最悪予想が常に頭の中心と言うのでは心が持たない。

 時には備えながらも、そういう心配から逃れる時間も必要。休日何かは元気を蓄えるのに良いと思うが、日曜になると明日からのことが気になりだす。

 そんな時こそ、この言葉「明日のことは明日心配しよう」(ちょっと変わって来てますけど)で乗り越えましょう。

 ☆何とか今日を元気に生きる考え方を見つけたいと思案するドクターに朝日が差し込んできました。

Dr.1090 場所を変わる(10月23日)

 仕事場のパソコンの不調で、いつもいる部屋から多くの皆さんがいる場所へ移ってパソコン作業を行った。

 すると普段聞こえてこない多くの人の雑多な声が聞こえてきたり、見える景色も随分と違う。

 場所は変わっても、その場所にあるパソコンを使っていつもの仕事をしただけだが、もし仕事の中身もいつもその席にいる職員がやっていることをやらなければならないとしたらどうだろうと想像してみた。

 以前に校長をやめてからそういう一スタッフの仕事をやったことがあるが、半人前の仕事しかできなかったという記憶がある。手先が不器用で遅く、仕事の覚えも悪いので役に立たないのだ。

 人にはそれぞれ向き不向きがあり、年齢や役職によっても仕事の内容は変わってくる。ドクターには管理職の仕事が似合っており、一職員の仕事には不向きだみたいな傲慢なことを思っている訳ではない。

 管理職の仕事もボロだらけだと自覚している。何をやってもどこにおいてもボロだらけだが、これまで何とか一番傷が浅い(自分のストレスにとって)道を歩んでこられたのではないかと、これまでの自分の歩みとそれを導いてくれた流れに改めて感謝する気持ちが湧き起こった。

 誰でもつい今の自分が置かれた位置や状況の不満は言いたくなるが、今の自分の恵まれている点には気付きにくい。

 時々は視点を変えて(そのためには物理的に場所を変えるのが有効)、今自分が置かれている場所のプラスマイナスを見てみることも必要ではないか。パソコン操作場所移動体験からいろんな気付きを得ることが出来た。

 ☆事前投票所が設置された市役所ロビー。もし働き場所がロビーの案内係だったらどうだろう、意外と得意かもしれないし、思っているほどできないかもしれない。

Dr.1089 滅多にない良い日(10月22日)

 生きてると辛い日も多いけど、時に「生きてて良かった」と思えるような良い日に巡り合える。だから生きてるんじゃないのかという寅さんのセリフもある。

 その滅多にない良い日に巡り合った。

 会いたい人に会えた。予期してなかった良い人に会えた。やりたいと思っていたことが出来た。心配事がそれほどでもなかった、久しぶりに息子と連絡が取れた・・・

 具体的に言ってないのでなんのこっちゃでしょうが、ともかくドクターにとって滅多にない嬉しいことが続く日だった。こんな日は、物事がすべて良い方向で動く。

 こんな日は滅多にないので、いつ終わるのか気になったり、こんなに良いことが続いていいのかと落ち着かなかったり、貧乏性だ。

 あんまり貧乏性的発想過ぎては、折角の機会を謳歌できないし、運気の上昇を止めてしまうような気がする。

 それは分かっているので、ほどほどに楽しませていただいたが、調子に乗ってこんな良い日がいつまでも続くと思ってはいけない。やはり現実は厳しいことが多いものなので、身構えながら、又どうしようもないことは諦めながら、ボツボツ行きたい。そうすれば又いつか、滅多にない良い日がやって来てくれると信じて。

 ☆行ってみたかったススキの群生地へも行けた。滅多にない良いことは誰にも訪れると思いますよ、滅多にはないでしょうけど。

Dr.1088 兼ね合い(10月21日)

 いろんな場面で遠慮をしていると自分の存在意義がないように思われるし、かと言って一方的に自分の意見ばかり主張するのも周りとの摩擦が起きる。

 何事もその兼ね合いと言うのかバランスが難しい。自己主張が強い傾向の人は少し押さえて周りの意見にも耳を傾ける、大人しめの人はちょっと頑張って自分の意見も言ってみるみたいな努力が必要か。

 翻って、自分はどうだろう。自分の意見を言うのが好きと言うよりは自分の思いで直ぐに動きたいタイプ。自分が良かれと思って思って動いても、かえって事態を良くない方向にもっていく場合もある。それなら、何も言わない、何も行動しないというのがいいのかと言うと、それは違うような気がする。

 熟慮して常に適切な言動ができれば良いが、なかなかそこまでの域に達していないし、自分の柄でもない。

 結局、自分は自分らしく行くしかないが、謙虚さは忘れないようにしたい。所詮、一人で出来ることは限られている。裸の王様になってはいけない。

 でもしかし、一人の力を侮ってもいけない。一人の思いや力が大きな動きに繋がることもある。

 結局、自己主張と傾聴のバランスが大事と言うことだろう。こんなことを考えながら、本日もほどほどにできることをやっていくしかありませんね。

 ☆兼ね合いを模索しながら、結局今日も流れに任せて自分らしく、謙虚に自分らしくいくのが良いか。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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