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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.103 おっさんの力(8月6日)

週末に会った小学校区の夏祭りでおっさんの力を見た。村ごとに担当が決まっていて、うちの村は以前から「金魚すくい」を担当している。「金魚すくい」の店ぐらい簡単だと思う人は甘い。特にこの暑さの中元気に金魚を泳がすためにはいろいろと工夫がいる。ドクターは午前中に宅急便で配達された金魚を受け取って、涼しい所に置いたぐらいだが、それから16時30分の開会に向けて、金魚すくい店を整えたのは、この道10数年のSさんだ(もちろんドクターよりも少し年配のおっさんだ。「もちろん」というのは村にはドクターよりも若いおっさんやお兄ちゃんはほとんどいないからだ。もちろん、お姉さんは少なく、おばさんはいてもこのようなイベントにはあまり出てこられない。)このSおっさんが、一人で金魚桶に水をはり(これもグランドの真ん中なので結構大変)、牛乳パックで作った氷を入れて水温を整え、その中に宅急便に入ってきたままの金魚の入った水パックをつけて、ドクター達売り子の到着を待っていた。金魚パックを桶に浮かばせるのは、金魚をすぐに金魚桶に入れると水温差でダメージを受けるから、温度が同じくらいになってから放す必要があるからだ。その後Sおっさんは、子どもたちが救った金魚を入れるお椀と店側が金魚をすくう手網がないのに気が付いて、村の倉庫まで探しに戻り、見つからないと分かると市内の店でそれらを調達してきた。そして、今回使うホイ(客が金魚をすくう紙が貼ってあるやつ)で試しすくいをやって、今回のホイの紙が丈夫過ぎるのをつきとめ、救った金魚を全部持って帰るのではなく、最大5匹というルールも提案した。そして、自分は自分が経営する牧場の牛の世話をするために帰っていった。ドクターは一連のSおっさんの動きを見て感心・感動した。いろんな課題が出てくるたびに、ひょいひょいと自力でクリアーしていく。しかも終始笑顔で冗談を言いながら。そしてこれらすべてボランティアだ。学校ではこんな動きをする職員は見たことがない。似たような動きをしてくれる人がいなかったわけではないが、終始笑顔で文句(特に管理職に対して)も言わずというわけにはいかなかった。

☆ドクターもそれなりに朝からテントはりやステージ作りなどにがんばったが、Sおっさんの力には遠く及ばない(すぐに自分の写真を撮りたがるとこなども)。

 

☆金魚屋のおっさんもやったが、やはりSおっさんの予想通り、ホイが強すぎて、子どもらは金魚すくいまくり。その後Sおっさんは、たくさんすくった子が5匹だけでは可哀そうだと、自宅から景品を持ってこられた。Sさんのボランティア精神には脱帽だ(麦わら帽子は着たままですけど)。地域には他にも学ぶべきおっさんが多い。

 

 

Dr.102 投げ出された存在(8月4日)

朝余裕がある時は本を読むようにしている。本を読むと言っても5~10分ほどだから偉そうなことは言えないが、夜はほとんど酩酊してるし、昼間は昼寝や百姓で忙しいのでこの時間しかない。短くても色々得るものはあるし、得たものは忘れないうちにブログで発信するようにしている。自分は忘れても誰かの心の中に残れば嬉しいという思いだ。さあそこで、今朝は「人間は既に投げ出された存在である。ただ目の前の舞台で踊るしかない」というような言葉に出会った。生き方や学びをしっかりしてから人生を歩んで行ければいいが、気が付いた時にはもはや人生が始まっている(投げ出された存在)のだから、自分が生かされている環境で、実際の生を生きながら(踊りながら)やっていくしかない、というような意味だと思う。自分の実感にもあって良い言葉だと思うが、まてよ、これは昨日のブログの「人生やってみないと分からない」と同趣旨ではないか。ひょっとしたら今朝読んだと思ったのは間違いで、もっと前に読んでいて、それに影響されて昨日のブログを書いたのかもしれない。昨日なのか今日なのか、自分の考えなのか誰かの受け売りなのか、境界があいまいになってくるのが定年後と言うことらしい。そのうち生きているのか死んでいるのか分からなくなるかもしれない。そのような終わり方も悪くはないが。

☆現役バリバリの校長先生と。後数年はあるとおっしゃる校長人生、校長の時にしかできないことを悔いの内容にやりきってほしい。ドクターもついこの間まで校長室にいたように思うが、既に数か月前のことのようだ。

☆夕日の中で豆の杭打ち(倒れないように杭を立てて、紐を貼る作業)をした。夕日の写真はいつもあげているような気がする、時間意識がだいぶ弱くなっているお気楽な毎日。

 

Dr.101 やってみないと分からない

この夏の暑さもそうだが、何事も想像するのと現実は違う。定年後の生活もこんなモノとは思いもよらなかった。思いもよらなかったの中身は悪いことばかりではないが、一言でいうと忙しいのと孤独だということだ(これ二言ですけど)。忙しいのは何でも成り行きに任せて引き受けているからで、すべて断ればヒマにはなるのだろうが、それでは何のために生きているのか分からない。孤独の方も自分からいろんなところへ出かけていけば少しは友だちも増えるのだろうが、そういう性格でもないのでしかたがない。現役の頃はしょっちゅう教頭先生やだれやかやからメールや電話が入って、常に着信に気を付けていなければならなかったが、この頃ではフェイスブックのお友達申請ばかりだ。最初はこのシステムが分からなかったので、だれでも承認していたが、よく発信している人の同じような記事ばかり見させられることがわかり、この頃はほってある。これもやってみないと分からないことの一つだ。要するに世の中は、定年後生活も含めてやってみないと分からないことばかりだが、その続きは「やっているうちに分かってくる」だ。忙しいのもその内何とかなるだろうし、孤独もなれればやっかいごとを持ち込む人もいないのでお気楽だ。友達がいないと言っても、これまでお付き合いのある人と時々旧交を温めるのも楽しい。誰にもやってくる定年後の生活、その先駆者として、また悩み多い毎日をいかにお気楽に生きるのかの研究者として、実体験を交えて発信するこのブログが今もそしてこれからもドクターのいきがいであることは間違いない。これはやって見なくてもわかることだ。

☆定年後の昼寝をするのに要るだろうと思って定年前に買ったキャンプ用ベッド。この暑さと忙しさで納屋に眠ったままだ。やってみないと何が要って何が要らないのかも分からない。

 

☆ドクターに生徒の指導を依頼されたM高校の先生と打ち合わせ。先生は昔にドクターの指導を受けて冒険教育の魅力を感じられたようだが、今のドクターの腕がどこまで落ちているのかはやってみないと分からない。

☆灼熱のアスファルト道路に寝転ぶ村のツバメ達。なぜこんなことをするのかよく分からないまま先輩ツバメの真似をして寝転んでみたものの、半端ない暑さに驚いて、きっとこう思っているはずだ。「(何事も)やってみないと分からない」。

Dr.100 メタボマン

諸事情から子どもの保育園時代を思い出していて、娘が4~5歳だった頃娘のクラスで親子レクレーションの指導をしたことを思い出した。親の足の上に子どもを載せて歩いたり、子どもを持ち上げて親の身体を一周させたりする活動内容は思い出したが、その時自分が何と名乗っていたのかが思い出せなかった。白色の全身タイツを着て「〇〇マン」と言っていたことは思い出したので、「ヤッターマン」(確か白色のつなぎを着たかっこいいー若者でドロン女とか何とかいう悪党をやっつける)かと思っていたが、娘に尋ねると「メタボマン」だったと言う。そして父がそんな恰好をして指導するのがはずかしかったらしい。話が変わるが、ドクターが冒険指導でよく着ているオレンジのTシャツを贈ってくれた友人が、「あれ少し小さかったですね」と申し訳なさそうに言った。彼はよくこのブログを見ていてオレンジTシャツを着たドクターの写真がいつもピチピチで映っているのが気になっていたようだ(これはTシャツのサイズが小さいためでなくドクターの太りすぎが原因であることは明白)。この二つの話から導き出される結論は次の通りだ。①ドクターは昔から太っていて人の前へ出るのが好きだった、②ドクターは昔から家族から恥ずかしがられる存在だった(目立つことはやめるように言い続けてきた妻はなぜか最近「市長選にでたら」とは言っているが)、③最近も太っている、④農作業の時の缶チューハイを止めるかもっと走らなければならない(菓子パンはやめられない)。どれも前から分かっていることだった。

☆娘に撮ってもらった昨日の夕日。この景色を背景に「メタボマン」の思い出が胸に迫ってきた。

 

☆前に三田西陵高校に勤めていたスマートな青年。とても「メタボマン」にはなれない彼と熱く教育を語れて嬉しかった。

☆すぐに思い立ってジムのランニングマシンに。行動は早いが長続きはしない。

Dr.99 じょそうざい(8月1日)

黒豆畑に除草剤を撒いた。できるだけ農薬の使用は減らしたいと考えているが、日本の農業は草との戦いだ。これで最後にはしたいと思っているが、それには黒豆たちに頑張ってもらって、大きく葉を広げてもらわなくてはならない。葉が大きくなるとその下の雑草に光が届かず豆の勝ちとなるのだ。ただドクター畑の黒豆たちは、この間の台風の風に横倒しになるやつが出る位軟弱だから心配だ。心配な子ほどかわいいので、とりあえずまだ雑草の丈はそれほど伸びていない今のうちに雑草の成長を止めておけば、いかに軟弱なドクター黒豆たちも少しは雑草に太刀打ちできるだろうとと思ってのことだ。ところで除草剤を撒きながら、これまでの人生における「女装」について考えた。今でこそ、修学旅行の学年レクでは定番になっているほどよくみられるが、昔はそれほどでもなかったなと考えながら一筋目の畔間を撒き終えたが、2筋目にかかって思い出した。ドクターが最初に担任をした30年ほど前の土木科でも、文化祭にT君を女装させたことを思い出した。T君は目鼻立ちの整った小柄な生徒だったが特に嫌がらずに女装してくれたように思うし、女装が登場するクラス劇のシナリオを書いたのは自分だったようにも思う。その当時は「こだわった」「してあげる先生」だったのだ。ちなみに今の先生に求める理想は、「柔軟な対応ができる」「してもらう先生」だ。3筋目になって、校長退職最後の年に「男子生徒の女装コンテスト」というテレビの企画を三田西陵高校で引き受けて、男子生徒のイケメンたちがイケ女に変身する様子がテレビで放送されたのを思い出した。当時校長だったドクターも出演したが、その時男子生徒たちのメイクを担当したのがピカ〇という女性言葉でしゃべる中年おじちゃんだったが、この人がなかなか味のある人で男・女の境界を越えていたのを思い出した。多様な人がいろんな生き方をする時代になったものだとか何とか考えている間に作業は終了した。冒険教育家のメインの仕事が百姓という生き方もある時代になった。

☆「除草剤」を撒きながら、「女装」について思いを巡らす男装のドクター。

☆風で倒れるは、虫には食べられるは、軟弱なうちの豆たちの成長が気になる。

 

☆豆に劣らずドクター田の稲たちも、倒れるは、穂数は少ないは、軟弱で心配だ。どうも作物は育てる人の性格に似るらしい。

 

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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