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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.109 120歳まで生きる友人

40年来の友人と居酒屋で旧交を温めた。積もった話やとりとめのない話をしながら楽しい時間を過ごしたが、その友人が「自分は120歳まで生きるつもりだ」と言う。「人間の寿命はそんなにないぜ」というドクターに対して友人は、「今はなくても、時代が進めば生きられるはずだ」という。どうも本気でそう考えているようだ。そして65歳か70歳くらいまで働き、80歳から念願だったペルーへ移住して、インカだったかナスカだったかネアカだったか忘れたが、その古代文明の研究をするという。「ペルーは行ったことがないから、あんたが移住するんやったら、その間に一回は旅行で立ち寄らせてもらうわ」と話が弾み、「でも、どうせ移住するんやったら、まだ体の動く70歳からの方がいいんとちゃうの」と言うと、70歳から80歳までは日本で移住や研究のための準備をする期間に充てるという。結構具体的に計画しているようだ。人生の山は過ぎたので、後は余生をどうお気楽に無難に過ごすかということしか考えていなかったドクターにとっては衝撃だった。同じ年齢の人が、人生まだまだこれからと考えているのだ。そういえば、先だって小学校の同級生の還暦同窓会をやったが、その時の同い年の参加者もこれからコンビニのオーナーを始めるとか言っていた。これらの還暦過ぎても意気軒高な人たちには刺激を受けるが、だから自分も壮大な夢に向かって歩んで行きたいと思っても、その夢がない。無理して、大してしたくもない夢を追い求めるのも無理がある。第一、つけ焼きの夢では原動力にならない。ここはやはり従来通り、「ドクターのお気楽な毎日」の実現に向かってぼちぼち生きてゆこう。でも待てよ、ひょっとしたら「日々お気楽道」「日々上機嫌道」の完成こそ、ペルー移住やコンビニオーナーにも劣らない大きな夢かもしれない。

☆120歳まで生きるという壮大な夢を持つ友人とお気楽道完成の夢を持つドクター。お互いの夢に乾杯。

☆11年ぶりの小学校クラス会。6年間一緒の仲間36人中12人の同級生と90歳の先生が参加した。90歳先生のお元気な姿こそ、ドクターのめざす夢の姿かもしれない。

 

Dr.108 言われるがまま(8月11日)

隣の家と自分の家の間の境界の溝を直した。と言っても、ほとんどのお膳立ては6~7歳年上の隣の人がしてくれた。ドクターは言われるがままに、砂やバラスの袋を開け、セメントをねったり、運んだり、U字溝をかついだりしただけだ。今回、溝を修理しようという意欲も技術も年齢もリーダーシップも上の隣の人が主導権を握るのは当然だ。しかも、言われるがまま、指示通りに動くのも悪くない。自分の主張をしようにも、やる気も技術もないドクターが何か言う余地がないこともあるが、人から言われたままに行動するのはお気楽でいい。しかも、その方が奇麗に確実に仕上がっていく。生きる上においては、自分の思うようにやりたいという気持ちはあるが、自分が不得意なところや「言われるままでもよい」と思うことでは、言われるままにするのが良い。ドクターがよく言う「定めや流れに従って生きよう」「運命や天命を大切に」というのも、一種の天や神や宇宙の意志の言われるがままに生きるということではないか。なるほど、言われるがままの作業が気持ちよかったわけが分かった。

☆隣の人の言われるがままに作業して作った境界線の側溝。圧倒的な存在の隣の人の前では、「作業をしてる写真が撮りたい」とは言い出せず、後でこっそり自撮りした。「言われるがまま」の生活はいいが、圧倒的存在には逆らえないのがちょっと厳しい。目を盗むぐらいか。

 

☆自然の言われるがままに生活する、我が家で育ったツバメ達。自然や本能に逆らおうとも思わない彼らの域を目指したい。

Dr.107 鳥(8月10日)

定年後、一人で過ごすことが多いからか、鳥の姿が気になる。酉年生まれだからかもしれない。一番目にするのは、我が家で巣立った4匹のツバメとその親ツバメ3匹(親が3匹というのは腑に落ちないが、どうも3~4匹で子育てをしていたように見えた)だ。もはや巣で生活はしていないが、折に触れ、巣の周りの電線にとまって帰ってくる。他のツバメと見分けられるようにまでなってきたが、声をかけても応えてはくれない。でも周りに見知ったものがいるというのは慰めになる。他にも村ではスズメやカラス、セキレイの仲間やウグイス色をした鳥たちもみかけるが、ドクターが最もあこがれるのは鷹や鷲と言った連中だ。滅多にお目にかからないが、バタバタしないで悠然と風に乗って舞っている姿がいい。自分も風に乗って悠然と生きていきたいというあこがれからかもしれない。最近の生活は、人に会う機会こそ少ないが、日々雑用や農作業に終われバタバタしていて、とても鷹や鷲のような生活とは言えない。でも、フルタイムの再就職を断って、不確かな冒険指導者という活動をメインに生きているのは、風任せの生き方と言って言えないことはない。風に乗って高く飛びたいが、冒険の風はいつ吹いてくるのだろう。

☆移動中に見つけた池でも鳥が気になる。

 

☆自どり(撮りと鳥がかけてあります)した自画像では、周囲に風が吹き始めているようにも見えるが、得意のお気楽すぎる独りよがりかもしれない。今回、とりとめのないことを書いてしまい、すみません(この「とりとめ」にも鳥がかけてあるのですが・・・、もういいか)。

Dr.106 よなふせ(8月9日)

「よなふせ」に意味はない。このドクターブログは、サイトを管理するネットワークサービスにアクセスして更新しているのだが、セキュリティのためにパスワード以外に毎回表示されるひらがな4文字を打ち込まなければならい。このひらがな4文字は毎回変わる。誰が考えているのか、コンピューターだと思うが、この4文字の意味の無さがすごい。人間が考えたのではこうはいかない、つい意味のある4文字を使ってしまうのではないだろうか。「はやおき」「かしぱん」「だらだら」などだが、初めはいいとしてもその内、意味のある4文字を毎回考えるのがつらくなるのではないかと思う。最近ではブログ更新の時のこの無機質の無意味さが面白くなって、今日の4文字は何だろうと楽しみにさへなってきた。ところで、この意味がないということもちょっといい(意味がある)のではないかと思う。世の中意味を求めすぎているからだ。「言葉の意味」「仕事の意味」「人間関係の意味」、極め付きは「生きる意味」などだ。あんまり意味を考えすぎるとしんどいし、息苦しい。「特に意味を真剣に考えたことないけど」、「何となく」「はずみで」「面白そうだから」「ほかにないから」「別に」、こんな感じも生きていける。特に、人生に意味を求めすぎると苦しくなる。この頃では「人生に特に意味はない」とさへ思っているのだが。

☆篠山市内中で準備が進む篠山市夏の最大イベント「デカンショ祭り」。「デカンショ」の意味についても、いろいろいわれているが、もしかしたら思い付きかも。意味があろうとなかろうと、今年も8月15日16日になれば「デカンショ」祭りへ行き「デカンショ節」を踊る。意味にとらわれすぎる必要はない。

 

 

Dr.105 極上の孤独(8月8日)

ブログタイトルと同名の本が、ドクターの物置テリトリー(ドクター家では家のここらあたりは誰のものを主に置くという暗黙の了解スペースが決められている)に置かれていた。「孤独」と名の付く本は結構興味があるので時々買うので、この本も自分が以前に買って読んだかどうかも思い出せない本の一つかなと思っていると(そんなことはよくあるというより、読んだ本の内容を覚えている本はほとんどない)、それにしてはやけにピカピカしていて新しそうなのに気付いた(新書のコーティング表紙が光っていた)ので、発行日を見てみると2018年だ。いくら何でも定年後に買ったのなら、自分が買ったのかどうかぐらいは覚えているはずだと思って、妻に聞くと、妻が買ったものだが、ちょっと置かしてくれと言う。おかしい。妻が自分んで読もうと思って買ったのなら自分のテリトリーに置くはずだ(家の中では妻が管理するスペースが一番広い)。これはきっと、定年後孤独に悩む夫に読ませるために買ったものに違いない。でもさすがにタイトルがタイトルだけに「はいどうぞ」と言って渡すわけにはいかない。それではいかにも夫が孤独で見ていられないと言っているよいうなものだからだ。ともかく、今朝ちょっと読んでみて感心した。「孤独と寂しいは違う」「孤独は人間関係の悩みを防ぎ、人を深く豊かにする」「孤独は一人でいる時よりも、みんなといる時に感じる」など示唆に富む内容がいっぱいだ。妻にはうまく感謝の気持ちを伝えられないが、これからはこの本の内容を参考に「極上の孤独」を楽しみたい。

☆自然の中で一人でする百姓仕事。汗はかくが、自分のペースで出来て悪くない。

 

☆今のところ良く育っているドクター畑の黒豆。葉の奥をよく見れば、紫色の黒豆の花が見られる。この小さな花を味わうには、一人で静かにが似合う。

 

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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