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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.333 平成最後の日(5月1日)

今日は令和(初めて入力しました)最初の日だが、昨日の平成最後の日は連勤の合間を縫って田植えの準備(代かき)でした。年末年始に年が改まる時や誕生日に一つ年齢をとる時と同じようにいつもの連続した時間が続いている。改元は年末年始や誕生日よりも大きな節目だとは思うが、自分としてはいつもの時間の延長と言う感じだ。きっとこの調子でこの世からあの世に行く時も特に気張ったりせず、普段の日常の延長で事果てるのだと思うし、そうありたい。節目を祝い大事にするのもそれはそれでよいと思うが、最後の日であろうと最初の日であろうと、いつもの日と同じように大切な日である。ドクター的には生きている日は大切なものだからと言って気合を入れ過ぎず(それではもたないので)、たんたんと、やるべきことを自分のできる範囲で出来る範囲の力でやっていく。これしかないし、これで十分だと思う。いつもの生き方を評価していただければそれはそれで嬉しくありがたいことだが、人の評価ばかりを意識せず自分の納得感を大事に時を紡いでいきたい。年号の変わる節目にそう考えた。これってつまりは節目を意識しているってこと。節目もいつもの日も変わらず大事と言っておきながら、節目ならではのことを言う。年号が変わってもドクターのいい加減さは変わらないようです。
 ☆平成最後の日は代かき。いつもの時間が流れていますが、この日にドクタートラクターの新車がデビューしました。でも1日作業すれば新車も汚れいつものトラクターに(トラクターは仕事をすれば汚れるのが通常の状態)、ドクターもいつものようにテキトーに全力で一日を過ごしました。節目を超えて自分らしく時を紡いでいきたいと思います。

Dr.332 大きな存在(4月30日)

ある神道系の団体で体験談をお話しする機会を頂いた。これまでの自分の人生の節目節目に神に支えて頂いて今の自分があるということをお話しさせていただいた。また、自分は公立学校の教員だったので特定の宗教を信仰するように子供や親御さんには言えないが、人間は人間の力を超えた大きな存在に導かれて活かされている。人智や人間の計らいを超えた大きな存在(それを神とか仏とか、宇宙とかサムシンググレイトとか呼び方はいろいろだが)を信じることが、自分を謙虚にそして生きやすくすると思うと話した。自分の力で全て何とかできる、してきたと言うのは思い上がりだと思うし、このような自分の力至上主義的な発想では上手く行かない場合も全て自分のせいと言うことになってしまいしんどいだろうし、上手く行ったら行ったで自分の力を過信して傲慢になって鼻持ちならない。これまで生きてきた実感から言っても、やはり自分は何か大きな力に導かれて歩んできたし、その助けでいろんな困難(自分で蒔いた種も多いですが)を何とかして(突破とはいいがたいですけど)ここまでこられたと心底思っている。それがドクター流、「流れに従って生きよう」「頼まれたことややる羽目になったことはできる範囲で全力で」「同じやるなら笑顔でお気楽に」というような人生訓につながっている。よい機会を与えてくださったことに感謝しながらこれからも出来る範囲でボツボツ歩んで行きたい。
 ☆写真は前回の高城山登山中に見た、水田に写った逆さ高城山(丹波富士)と風でなぎ倒された木の根っこ(生えている場所の土や岩盤に従って奔放に根を生やしている・生きている)。生き方の参考になる。

Dr.331 主役以外の役(4月29日)

ドクターの住む篠山市八上地区で来年度の明智光秀を主役とするNHK大河ドラマにちなんだ八上城登山を行った。実行した委員会の単なる委員の一人のドクターは、受付から旗を持って行列の最後を歩く役、救急箱の持ち役、頂上での舞台の司会役、参加した小学生とトークする役、参加者の目を盗んで菓子パンを食べる役など行事の主役以外のいろんな役をこなした。これまでは校長や委員長など主役を務めることが多かったドクターだが、今後は今回のようにいろんな役をやらせていただくことになるとは思うが、どうも主役以外の役にまだ慣れず、油断すると主役以上に目立とうとして困ってしまう。主役も一つの役なので、誰かが務めなければならない。どの役もなくてはならない大事な役だ。主役だからと言って威張らず、その他の役だからと言って遠慮せず、各自が大切な人生の役を担っていきたい。
 ☆天候に恵まれ「八上麒麟がくる委員会」主催の八上城登山が実施された。ドクターは主役以外の様々な役をこなしながら参加した。頂上では太鼓や舞が披露された。主役以外に慣れるにはよい機会だったが、少し寂しかった。主役以外の役を勤める修行が必要だ。

Dr.330 忙中楽あり(4月28日)

世間では10連休だとかゴールデンウィークが始まったとかいうけれど、ドクターは連勤とは言いにくいが、この間ずーっと何かの用事でバタバタしている。暇な時間がたくさんあると人生いかに生くべきか等と悩んでしまうタイプの自分としては回遊魚のようにずーっと足を動かし続けているというのも悪くない。ゆっくり味わうべきものもバタバタ時間の制約があるな中で済ませてしまうというのは、これはもう自分の生き方そのものだとこの頃では観念している。バタバタ忙中もやりがいのある忙中ばかりではないが、そんな忙中の中にもチョコっと良いことが混じることがある。昨日で言えば、1年間務めた娘の中学校PTA会長が新年度の総会で全ての行事が終了し、夜には一緒にやってきた気の合う役員仲間と先生方、新しい役員の皆さんと楽しい宴を開くことが出来た。その間にかつての教え子が顔を見せてくれた。おいしそうな焼酎を見つけて買った。菓子パンをいつものように期限過ぎてからでなくまだぱさぱさでない柔らかいうちに食べることが出来た。最後の懇親会でドクターと一緒にPTAをやれて良かったと言ってくださる方が数名いらしゃった等だ。
 ☆連休中バタバタしているが「忙中閑あり」ならぬ「忙中楽あり」で時々楽しいことが混じる。その中でもかつて勤務していた高校の生徒たちが顔を見せてくれ、一緒に写真を撮ることが出来た。こんな嬉しいことはない。生きてるとたまには嬉しいハプニングがある。奇麗な高城山も見れた。やはり生きているのは悪くないと思える、結構幸せな日でした。感謝。

Dr.329 いろいろな色(4月27日)

ある中学校の冒険指導(HAP)を担当した。短い時間だったが10数名の班員の個性が見えてきた。リーダー的な人、ついていく人、大人しいけど優しい人、自分のペースで動く人、幼い所が多いけど時々ハッとするようなことをいう男子などいろんな個性、いろいろいろな色が重なり合って活動は進んで行った。折しも新緑の季節、休憩中に周りの景色を見ると同じ緑でも本当に様々な緑があるのに気付いて驚いた。色名としては緑で括られるのだろうが、薄緑、鶯色、濃い緑などいろいろある。中学生という括り方で共通した年代的特徴はあるとしても、一人一人は本当に様々で、簡単に中学生とはこんなものと決めつけないで一人一人を見ないといけないと改めて思った。指導するファシリテーターもいろんな色があり、各自の色を活かして全力で指導にあたっていた。かくいうドクターも自分の色である「明るく元気で最初から全力」で行こうとしたが、今回は上手くこの手法が参加者とかみ合わなかったような気がしてちょっと元気をなくしている。自分自身の色も年齢や経験、環境と共に変わるということか。同じ変わるなら良い方へ変わりたいが、油断していると悪い方へは変わりやすい。ともかく、今日の自分の色を確かめながら、悪い方ではなく良い方へ、自分色を持っていきたい。
 ☆「中学生」とひとくくりしないで、それぞれの個性(色)を見極めながら指導出来たらいいとは思うが、これがなかなか難しい。冒険指導者ドクターの色にも深みを出さなければとも思うが、これもなかなか難しい。

 ☆冒険広場のいろいろな緑色を見ながら自分の色について思いを巡らすドクター。緑いろいろ、人生もいろいろ。みんな違ってみんないい。こんな心境になりたい。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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