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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.321 いつかは寿命が(4月17日)

長年使っていた給油ポンプ(通称パフパフ)が使えなくなった。いくら頭の部分を指でつかんでパフパフやっても軽油が上がってこないのだ。使い方を間違えているのか(棒状の硬いパイプの方とくねくねしたパイプの方を反対に入れるなど)、指の握力が弱ったのか、パフパフ回数が少ないのか、菓子パンの食べ方が足りないのか等色々と検討した結果、経年劣化によるパイプの寿命と判断し、新しいパイプを買いに行った。その日の帰りに定期健診で歯医者に行ったら、前にインプラントを入れた奥歯と反対側の奥歯(臼歯)が「揺れてますね」と言われた。インプラント臼歯が入るまで、正確には入ってからも使い慣れるまで、今揺れていると言われた臼歯だけが頼りだった。この臼歯と上の奥歯のコンビでドクターの咀嚼の大部分を担当してくれていた。ポンプと言い、奥歯と言い何事にも寿命があって、いつまでも使い続けることはできないのだという現実をつきつけられた感じだ。人間の命にしても、身体にしても、仕事にしても、いつかは寿命が来る。これは事実だが、だからといってまだ寿命でもないうちから心配しても仕方がない。できればポンプのように、前に使った時は問題なかったのに今回急に全くダメになったという感じ、人間で言えば「ピンピンコロリ」という感じで行きたい。そのためには終わり「コロリ」のことは気にせず、今日一日を「ピンピン」で行こう。
 ☆トラクターに給油ポンプで軽油を入れようとして、この前まで何ともなかったポンプが急に使えなくなっている(寿命が来た)のが分かって驚き、自分の人生に思いをはせるドクター。何事からも教訓を引き出すタイプです。

Dr.320 潜る覚悟(4月16日)

前日に続いて田植えの準備の農作業を行った。今回は前日と一変して好天気で、田んぼにいても気持ちの良い気候だった。こんな好天の日に生徒の心配や職員の苦情、10時頃に食べる菓子パンの心配などの気がかりもなく、心置きなく田んぼで仕事が出来る幸せを噛みしめながら、総菜パンに缶チューハイを飲みながら上機嫌で作業をしていた。しかし世の中そんなにうまくばかりは回らない。夕方そろそろ終い支度かと思っている時、池の水が止まらないことが分かった。それまではチョロチョロと畔練り作業に丁度良いくらいの水があたっていたので、「これぐらいの水量で蓋の閉じ加減が調整できたとはラッキー」と思ってやっていたが、よく見てみると池の水量を調整する水中にある蓋に小石か藻がからみついて完全に閉まらなくなっていることが分かった。このまま水が出続けると、いかにチョロチョロでも2~3日で池は空になってしまう。この池の水を使うのはドクター田だけとはいっても、これから田植えまで水が要るのは必定なので、自分が困るのは目に見えている。そこでドクターは最悪の場合は水深1~2mのところにある蓋まで潜って詰まりモノを取り除くことを覚悟して、念入りなシュミレーションを行った。手順はこうだ。①長い棒で蓋の周りを掃除する、②濡れても良い靴・服などに着替え、腰辺りまで水につかって蓋の周りを掃除する、③いよいよ潜る覚悟を決めるが、もう一度だけ祈りを捧げる、④潜る、⑤着替える、⑥水が止まればそれを祝して一杯やる。結果は想定の通り進み、③の祈りが通じたのか、④は実施しないで済んだ。⑤と⑥は予定通りに実施した。今考えると、良い天気ではあったとはいえ、②のように腰まで水に入っただけでも山際にある水は相当冷たく、④は余程な覚悟と危険を伴うから普通では考えられないことだが、その時は火事場のクソ力というのか本当に潜る勢いだった。「好事魔多し」これからも油断しないように気を付けたい。とはいっても現実にはいろんな魔に遭遇するだろうという予感はする。
 ☆潜る覚悟をする前は、村の水利委員として用水路の点検などもし、その様子を写真に撮る余裕もあって絶好調だったが、夕方自体が急悪化し悲惨な事態を迎えそうだったが、いつものように祈り(神頼み)が功を奏し潜らなくてよくなり一杯で一日を終えることが出来た。こんな調子だから人生を甘く見るんですね。

Dr.319 初めましてメール(4月15日)

雨の中本年度初めてのドクタートラクター出動させて田植え準備の荒鋤きをしようと企てている日に「初めまして・・・」で始まるメールが届いた。読ませていただくと、ドクターがまだ「絶こうちょう」だった時に、高校の説明会でしゃべったのを聞かれてS高校に子どもさんが入学したら、ドクターはその年から退職してがっかりしたという内容だった。「来てください来てください、良い学校ですよ」と言っておきながら、いざ入ってみると誘った本人は転職や退職でその学校にいないということは篠山S高校に続いて2回目だ。県の内示まで自分の人事は分からなかったり、知っていても発表できないルールなので仕方ない面もあるが、自分でも申し訳なく思う。でもこの方が偉いのは、ドクターの無責任な言動を怒るのではなく、「絶こうちょう」がいないのは残念だが他の先生方によくして頂きS高校に入って良かった、そのきっかけを作ってくれたドクターに感謝するというようなことまでおっしゃっている点だ。人生に無駄なことはないが、人生に起きる様々な出来事のプラス面をみられる人は少ない。どんな「こと」「モノ」にも必ずプラス・マイナス両面があり、マイナスにばかり焦点を当てる人には不満やストレスが溜まり、プラス面に焦点が当てられる人はお気楽に伸び伸び生きられる。ドクターとしてもそういつもいつもプラス面ばかり見られるわけではないが、意識的にはそうなるように少し気を付けている。この「少し」というのがドクター流で、「とても」になると無理がありしんどくなるので後は流れに任せるということだ。それにしても、時々頂くお便りには「『ドクターブログ』を楽しく読ませていただいています」とか「元気が出ます」みたいなことを書いていただくが、自分としては巷のブログやファイスブック・ラインなどに「景気の良い話」や「こんなことしました、あんなとこ行きました、すごいでしょう」みたいな発信が多いのが気に入らず、もっと「こんなことで悩んでいます」「こんなにうまく行かずしんどいです」みたいな話(現実には多いはずです)があっても良いと思っているので、包み隠さず(ちょっとは隠してますけど)特に大したこととてない定年後の生活を綴っているつもりだが、それで喜んでいただいたり、元気が出たり、楽しくなったりするのなら、こんな嬉しいことはない。少し自信を頂きもう少し『お気楽ブログ』続けさせていただこうと少し決意した。
 ☆初めましてメールに元気を頂き雨の中の田んぼ鋤と夜のまち協総会を乗り切れました。ありがとうございました。

Dr.318 有機農法(4月14日)

篠山で有機農法を学ぶ会に参加した。一般参加者としてではなく4月から流れでやらせていただいている仕事の一環としての参加だ。一般参加者は近く篠山への移住や移住しての農業を考えておられる30代から50代の方々で遠くは関東、大阪方面からも参加されており、その熱心さには驚かされた。さらに驚かされたのはこの日講師を勤めていただいた、もう40年は有機農法をやっておられるというSさんだ。一切、農薬も化学肥料も使わないで野菜やお米を育てておられ、肥料や草抜き、作物の選定、販路の確保などの工夫や苦労とやりがいについて熱く語られた。その情熱と饒舌には驚かされた。ドクターも一応減農薬減化学肥料でお米や黒豆を作っているが、それは安全な食べ物を求めるというSさんのような立派な哲学によるものではなく、農薬や化学肥料はお金もかかるしそれを度々やるのは面倒だからという極めていい加減な理由からだ。田んぼを鋤くのから水の管理などまで適当でもそれなりに作物は育ってくれるし、肉体労働も多いので身体にも良いし、自然の中に長くいるのは気分もいいし、何より時間がつぶれるというような適当な理由でなんちゃって百姓をやっている。熱心な有機農法家のSさんの前ではとてもこのようなことは言えない。メモを取りながら非常に熱心に話を聞く参加者の皆さんの姿に感心しながらも、もう少し適当でも何とかなりますよと言ってあげたくなったが、余計なお世話と思ってやめにした。
 ☆有機農業を学ぶ会でこの道40年のベテランSさんのお話を熱心に聞く、これから有機農業を始めようという参加者の皆さんと皆さんの熱心さと真面目さに敬意を感じながらももう少し適当でも農業も人生も何とかなりますよとなんちゃって百姓&お気楽定年者のドクターは考えた。

Dr.317 もう一つの人生(4月13日)

人は2つの人生を生きると語る人や本は多い。どさくさに紛れてドクターもそう語りたい。いつから2つ目の人生に入るかについては、50歳からという説や60歳、あるいは65歳等いろいろあるが、期日はともかく現代人に与えられた特典第2の人生は第1の人生とは違う形で楽しみたい。1つ目が良かった人は2つ目も同じ形でやられるのもいいが、最後まで1つの形の人生で行くのは難しいし、折角だから違う形の人生を楽しむのも悪くない。ドクターの場合もはや2つ目の人生に入っているのは間違いないが、これをどのような形で送るのかはまだ定まってない感じだ。人生のテーマは1つ目を『絶こうちょう人生』とするなら、2つ目は『お気楽人生』で行こうとは思うが、具体的に何をやって行くのかはまだ模索中だ。冒険教育と百姓で行こうと軽く考えていたがそう簡単ではないことも分かってきた、一時は大学研究者人生も考えたがこれもそう簡単には行かない。でも第一の人生も教員になることや管理職になることを最初から狙ってたわけではなく、回りまわって流れ流れてそうなった。この経験から言うと第2の人生も流れや頼まれたことをやっているうちに行きつくところがあるような気がする。当分は流れに従って、ふわふわ行きたい。
 ☆昨日に引き続き市民センターの桜盆栽展を見ていると、古い樹根の上に新しい芽を出している作品に出会った。古い幹は小学校の校庭に植えられていたものを工事で切り倒されて掘り起こされたのをもらいう受け、作者の方が植えていたら根がついて、新しい花を咲かせたらしい。古い幹(第一の人生)と新しい芽(第2の人生)がつながっていて見事だ。そこにドクター人生今後のヒントを見たような気がする。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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