ささやま冒険教育

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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.166 指導になっていない(10月15日)

昨日のHAP(ひょうご冒険教育)には、嬉野台生涯教育センターの隣にある大学の3回生ミ〇がドクターのアシスタントとして入ってくれた。ミ〇は将来先生になることを目指して学ぶ、冒険教育に関心のある学生だ。ドクターは一目見るなり、彼女は先生としての適性にあふれる素敵な人だと分かった。冒険教育に関心があるうえ、休日にボランティアで手伝いに来て、しかも自分でドクターとか名乗っている変なおっさんのグループに入らされても嫌な顔をしないだけでも、如何に彼女が優れた人物であるかが分かる。ドクターは3家族(大人4人小学生以下6人)のHAP体験というあまりやったことのない指導をいつものように出たとこ勝負で何とかやり終えた後、ミ〇に「(さも計画通りに)今回はこういう意図でこういうプログラム構成でやった」というようなことを得意げに話した。そしてミ〇が熱心に聞いてくれるのを幸いに、調子に乗ってとうとうと「冒険指導はこうあらなければならない」というようなことや「先生にはこんな人が向いてる」さらには、「自分はなぜ教師になったのか」という聞かれてもいないことまで熱く語った。最近は自分の話を聞いてくれる家族や教頭先生もいないので、たまっていた鬱憤を吐き出すように語ってしまったが、中身は「冒険指導は(安全さへ確保していれば)臨機応変適当でよい」「指導者自身が楽しむのが大事だ」「先生には失敗や挫折が必要だ」「定年退職者、特に管理職退職者に働き甲斐のある職場を用意せよ」など支離滅裂で、まじめなミ〇には何の指導にもならなかったのではないかと危惧している。そうそう「後で危惧しようがしまいが、やってしまったことはどうしようもないのでこだわってはいけない」ということも付け足せばよかった。

☆青空の下で行われたファミリーHAP。ドクターの適当な指導でも一生懸命に取り組むご家族。

 

 

☆真面目なミ〇にはテキトーなドクターを反面教師として、自分の個性を生かした素敵な先生になってほしい。

 

Dr.165 丁度良いがない(10月14日)

丹波黒枝豆の出荷が忙しく、ブログ更新が滞るほどだ。同時に滅多にない冒険指導が二日続けて入っている。ちょっと前までは暇すぎて「有り余る時間をどうつぶすか」が主要なテーマだったが、ここ2~3日は、「こんな忙しくってやってられるかい」がテーマだ。我が家の顔拭きタオルも新品はヌルヌル滑り、使い込んだ奴はゴワゴワだ。丁度よい気持ちの良い拭き心地の時は長くない。このタオルのように人生の時間にも、ほどほどにやることがあって、しかもゆとりをもって毎日を過ごせるような丁度良い時間バランスはないものなのか。ことほど左様に何事にも丁度良いは難しい。「丁度よい状態をどうつかみ取るか」が次のテーマになりそうだが、やってきたことはたんたんとこなす派のドクターとしては、このテーマの解決策も「どうか私のところへほどほどのやることがある状態で仕事が来ますように」という神頼みになりそうだ。神頼みが答えとは他の人の参考にもならなくて恐縮だが、今日も忙しいのでとりあえずこの変でブログは切り上げ、冒険指導に行って、できるだけ早く帰って黒豆の続きをとりたい。と言いながら今日もバタバタ時間が過ぎていく。

☆黒豆の収穫(忙しくて新たな写真を撮る余裕がなく前のやつ)と冒険の指導、忙しい時は重なる。

 

 

☆忙しくても生徒との交流は大事にしたい。というわけでさらに時間に追いかけられる。

 

Dr.164 退職者の典型(10月12日)

用事があって久しぶりに昼間市立図書館へ行ったら、そこでいつもよくトレーニングセンターで見かけるおっさんを見かけた。その人とはよくトレセンに行く時間が重なるのだが、話しかけてもあまり乗ってくるタイプではないのでいつしか会釈だけの関係になっている。ある日、その人を知っている人に聞いてみると数年前に郵便局を退職された方だということが分かった。1週間に何度も見かけるのにその程度の事さへ本人からは聞けなかったということだ。その退職おっさんが日中、図書館で過ごしている。ある本に(やることのない、元気のない)退職男性の典型的な過ごし方は、図書館とジムだというようなことが書いてあった。図書館とジム(この辺ではスポセン)は悪くないと思うが、毎日となると退屈かもしれない。その方の元気のなさ(かと言ってほとんど毎日トレーニングするのだから体力的な問題ではない)も気になるが、よく考えてみると、ドクター自身もその人と同じような行動パターンをしているからその人によく出会うのだ。ドクターも知ってる人とはよく話すが、知らない人にどんどん話しかけるタイプではない。冒険指導中や自撮り写真の前では笑顔だが、普段はそれほどでもない。あれれっ、これではまったくその人と同じではないか。もしかしたらそのおっさんは鏡に映った自分かもしれない。今後はそのおっさんとおっさんの行動パターンを肯定的に見るようにして、笑顔で話しかけるようにしたいが、多分反応は大して期待できないだろう。やはり退職後のおっさんの生活は難しい。

☆百姓仕事がある分、そのおっさんよりはやることがあって良かったが、自撮りタイマー設定時間を間違えて、構えていない時の自分はこんな感じで笑顔無し作業をしていた。もしかしたらそのおっさんも陰で百姓をしているかもしれない。

 

☆これがタイマーの設定時間が合った営業用の笑顔だ。定年後おっさんの苦悩はともかく、丹波黒枝豆いりませんか。

Dr.163 まだら忘れ(10月11日)

背広の上着をどこかへ置き忘れてきてしまった。プチ旅先からブログ更新予定だったのにカメラからパソコンへの入力コードを家に忘れてきてしまった(ので昨日の更新が出来ずすみません)。市役所へ印鑑証明をもらいに行って印鑑証明カードが要ることを忘れていて取りに帰った。他にも忘れ物はいくらでもあるが思い出せないぐらいだ。かと思うと覚えていることもある(名前、家への帰り方、ブログの更新、他にもあるが思い出せない)。こういう状態を一般には「まだらボケ」とかいうかもしれないが、「ボケ」という響きは良くないので「まだら忘れ」と呼びたい。そしてこの「まだら忘れ」を肯定的にとらえたい。自分の陥っている状態を悲観的にとらえるのは良くないからだ。「まだら忘れ」でも致命的な支障がない限り、年齢に伴ってこの状態になるのは誰にもあることで、かえって煩わしいことも忘れてお気楽に生きられるから高齢者や定年退職者には都合がいいと捉えるのだ。「まだら忘れ」が進んで全く何も分からなくなれば、それはそれで当人にとっては何も問題はない(というより問題かどうかも分からない)だろう。周囲は困るかもしれないが当人も好きでなっているのでないから仕方がない。やがては誰もが通る道だし、本人が幸せそうでニコニコしている(自信はないが)のだからおおらかな態度で接してほしい。これだけ頼んでおけば後は安心だが、問題は自分に都合の悪いことだけ忘れられるようになれるかどうかだ。こんなせこいことを心配しているような奴は大往生(大忘れ)には当分なれないか。

☆こんな旅空ショットを更新するはずだったが、カメラの接続コードを忘れてできなかった。

 

☆帰ってきてからは明日の黒豆太枝切はさみの修理を思い出しJAの農機具センターへ行ったら、農業大学校出の彼女が見事に直してくれた。早速ツーショット写真を撮ることは忘れなかった。幸先の良い「まだら忘れ」への道だ。

 

Dr.162 追い求めてはいけない(10月9日)

日本人のノーベル賞受賞の先生が、「とことん疑問に思ったことを追い求める」みたいなことを言っていた気がする。気がするだけでいいなら、「夢をあきらめるな」「努力は裏切らない」みたいなことも言っていたかもしれないとも付け足したい。その先生でなくても、この種の言葉は「先生」と呼ばれる人なら誰かがどこかできっと子どもたちに言っているはずだ。これらの熱い言葉は、まだ若い子ども達や一部の才能のある人には言ってもいいが、普通の中高年がこの手の言葉を真に受けて、何かにとことん打ち込み始めるのは要注意だ。特に定年後の人が、「定年後の充実した生き方」や「孤独の癒し方」みたいなテーマをとことん極めようとするのは危険である。底なしの泥沼にはまり込む恐れがある。ドクターがお勧めするのは、何事も追い求めるのはほどほどにして、雑事ややらなければならなくなったこと(妻からの指示等)でバタバタと過ごし、気が付けばもうこんなに生きていたというのが良い。「生き方等を追い求めすぎないほうが健康な生き方ができる」もどこかの精神科の先生が言っていたような気がする。このように世間にはどのようなことも誰かがどこかで言っている(ような気がする)、大事なのはそこから自分に合ったのをえらぶこと(のような気がする)。というわけで、またプチ旅に出ます。

☆自撮りばかりも何なので、たまには秋の風情の方が良い(ような気がしました)。

 

 

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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