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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.309 世界で最も幸せな国(4月4日)

市民センターで南太平洋の島国バヌアツ共和国の展示を見た。バヌアツは世界で最も幸せな国と言われているらしい。写真や文章でしか分からないが、平和で平等、暢気に暮らしている感じがした。実際にはそう良いことばかりではないだろうが、現代日本とは違う生き方をされているのは間違いない。そのパンフレットに、なぜバヌアツの暮らしが幸福かという説明に、バヌアツ人の考え方が、かたよらない、こだわらない、とらわれない等とあって、これはドクターが長らく生き方の指針にしているモットーと同じなので嬉しかった。かたよらず、こだわらず、とらわれず流れのままに頼まれたことを出来る範囲で精一杯やりながら毎日を生きているはずだが、バヌアツの人ほど幸せな感じはしない。何が違うのだろう。もしかしたら今の自分の幸せに気が付いていないだけかもしれない。もう一度バヌアツ展をしっかり見つめて考えたい。
 ☆世界で最も幸せな国バヌアツの展示。蔓を足に撒いただけのバンジーの写真もあった。これは一般的には恐怖だろうが、幸せかどうかはその人が決める。

Dr.308 グローカル(4月3日)

息子の大学入学式で前日から関東の息子の下宿に泊まり翌日の式を終えて帰ってきた。見たこともないような大勢の人(入学生・保護者・お上りおっさん等)が参加する入学式で、学長が「本学はグローカルを追求する」というようなことをおっしゃった。「グローカル」とは野球の「グローブを借る」のでも電灯の「グロー管(点灯管)を替える」のでもなく、グローバルとローカル国際性と地域性をキーワードに未来を支える人材を育てるみたいなことらしい。グローブを借りるのもグロー管を替えるのも国際性を意識しながら地域振興を考えるのも、それぞれ不足している人や家庭や地域には必要なことだ。落ち着いた口調で穏やかに話される学長講話には好感が持てた。ドクターが学長ならあの何千人の聴衆を前に上ずった声で「ユーアーファンタステイック あなたは自分が思っている以上に素晴らしい」と叫び、舞謳うところだが、もはやそんな必要も要請もない。式を終えて静かに新幹線に乗った。
 ☆見たことないような大勢の人が参加した息子の大学入学式を終え、一人寂しくシュウマイ弁当を食べながら帰路につくドクター。息子のこれからの学生生活の充実と世界と地域のグローカルな発展を祈りながら一杯やっていると、車窓に富士が見えた。みなさん吉兆です。


Dr.307 年度は変わったけれど(4月1日)

4月1日になって新年度が始まった。年度は変わったけれど定年退職者ドクターの生活はそう変わらない。昨年度1年間初めての定年後生活を送ってみて、定年後生活の課題は私の場合は「退屈」と「生きがい」かなということが分かった。どちらも現役時代は悩むことのないものだ。現役が退屈であろうはずはないし、教職と言う仕事はお陰様で人の成長を支援しておまけに自分も成長でき、さらにおまけに子どもたちや親御さんらから感謝されるという「生きがい・やりがい」に満ちたものだ。定年後は時間がいっぱいあって退屈に悩むときと、それなりにやることが重なってバタバタ忙しい時(大体やることは重なってやってくるということが経験上分かる)がやってきて、言わば『バタヒマ』な感じだ。「生きがい」については自分で見つけるものではなく、生きてると向こうから「やってくるもの」で、やってきた頼まれごとを精一杯やっているうちに、それが生きがいになる場合もあるしならない場合もあるけど、ならないからといって大騒ぎするすることもない。要は「退屈」も「生きがい(有るか無いか分からない状態)」もどちらも慣れの問題だと思うようになってきた。定年後バタヒマ生活、慣れるにはもう少し時間が掛りそうだ。新年度もこれを追求したい。
 ☆旧年度に溜まったものを剪定枝と一緒に燃やし身ぎれいにして新年度に備える。このブログも新年度用に写真と文章を変えたいと思いながら、定年後バタヒマ生活で4月1日に間に合わず。でも間に合わないからと言って「まあいいか」「しゃあないわ」と思う。まあこんな感じで新年度も時を紡いで行きますので、お付き合い願えればありがたく存じます。

Dr.306 亡くなったかと思いました(3月31日)

年度末の慌ただしい時に不吉なタイトルのブログですみません。でも内容はとっても暖かいものです、少なくとも私には。「亡くなったかと思いました」というのは、昨日久しぶりにトレーニングに行ったら、ジムで時々一緒になる篠山S高校時代の教え子たち(ちなみにこやつらは筋トレに凝ってムキムキ)が、「毎日のように来ている(丹後)先生の顔が長い間見えないと思っていた時に、市内の葬儀場の案内板に『丹後家御葬儀』の掲示があったので、もしかしたら丹後が亡くなったのではないかと心配した」という話だ。ドクターが亡くなっていなかったのを知って喜んだのか、長く来れなかった理由が免停だったと知って情けをかけたくなったのか、本当に亡くなる時の弔辞のつもりか「先生がいたからS高校へ行きました」「高校時代は先生のお陰で楽しかった」「先生は生徒にも親にも地元の人にも、今自分がお世話になっている会社の工場長にも人気があります」みたいに持ち上げ、でも「同僚の先生方には人気がなかったのは何故ですか」と聞くから、「それは多分、何回も校則違反する生徒でも辞めさせたらあかんみたいなこと言うからちゃうか」と応えたりした。何にしても地元で勤められたこと、地元に住んで成長した教え子に会えること、時々会う教え子や保護者の方が当時を懐かしんでくださることは定年後教職者の冥利に尽きる。寿命が毎回1年ぐらい伸びる感じだ(周りの人には迷惑かもしれないが)。この度の異動で地元が近くなった教職員の皆様、これは絶好のチャンスです。ご存分にご活躍を。
 ☆「亡くなったかと思いました」と心配してくれた教え子に年齢の割に筋肉がついてると褒められ気を良くするドクター。特に褒められた足(こんなもの見たくないか)。

 ☆当番の地元公民館の掃除をしていて見つけた竣工記念の写真。ちなみに最上段右から二人目が27~8年前のドクターで、最下段右端がドクターの父。この中には父も含めて本当にお亡くなりになった方も何人かおられます。故人のご冥福と地元ご転勤の皆様のご活躍をお祈り申し上げます。

Dr.305 旅立ちの時(3月30日)

1泊2日で自家用車で引っ越し荷物を運んで関東まで、この春から大学生生活を始める息子の新居準備に行ってきた。細々とした日常品を買いそろえ、すぐに生活できるように配置するのは大仕事だった。大家さんにも初めてお目にかかりご挨拶をした。ドクターの母親の年齢でとても親切な方で安心する。下宿も築50年はたっているらしいが、前の方(息子と同じ大学の先輩)がきれいに掃除され、冷蔵庫や洗濯機も残しておいてくださるご配慮もいただき、何とかこれから住む最低限の準備はできた。後は息子の心の問題だ。なんせ初めての1人暮らしだから寂しくって仕方ないらしい。食事準備も掃除も洗濯も本格的に自分でやるのは初めてだ。慣れない一人暮らしに慣れない遠い地での生活、寂しさや緊張を感じないわけがない。親としても初めての子どもの旅立ちで寂しく心配でならないが、いつまでも手元に置いておくわけにはいかない。いつまでも親離れしなければ、それはそれで心配だ。何よりも自分が行きたかった大学で自分が学びたかったことが学べるのだから、こんな幸運なことはない。親としてもこれを応援しないわけにはいかない。このような気持ちはどこの親御さんも同じだろう。寂しいような嬉しいような。古巣を離れて新天地へ、どんな旅立ちの時にも付き物の気持ちかもしれない。自分の息子はもちろん、自分自身も含めてすべての旅立ちの時を迎える皆さんに、ボンボヤージュ(良い旅立ちを)。すぐにちゃっかり自分のことも潜り込ませるのはドクターの得意技だが、このセコイ根性にもボンボヤージュと行きたいが。
 ☆ついに我が家から旅立ちの時を迎えて、新大学生生活に入る息子がお世話になるアパート。

 ☆引っ越し準備の朝に届いた先日のイベントの記事。今回のブログは旅立ちの時を迎える皆さんにエールを送るのが主題のはずが、すぐに自分の話題を持ち出したがるセコイ自分中心主義から旅たちの時を迎えがたいドクター。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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