Dr.612 ウェイトトレーニング(3月15日)
篠山スポーツセンタートレーニング室利用回数2000回の記念日がいよいよ今週末になる予定だ。2000回を記念した記者会見で達成記念と市民の皆さんへのスポセン利用と体力維持の勧めをする予定だったが、この時期なので控えて一人で2000回達成の思いを今から噛みしめたい。噛みしめている間にウェイトトレーニングの思わぬ効用を記す記事を見つけたので紹介したい。ウェイトトレーニングは筋肉を増強あるいは維持するだけでなく、脳にも効くというのだ。人間の脳は加齢とともに穴が開いて、その穴が物覚えや思考回路の邪魔をするらしいが、ウェイトトレーニングによってその穴ができにくくなるという実験結果あるという。スポセンでウェイトトレーニングするのは筋肉男子の若者が多いが、今後は年配の男女利用者にも筋力維持と脳の機能維持を兼ねたウェイトトレーニングを勧めたい。これはやっぱり記念記者会見して皆さんに知ってもらった方が良かったか。ともかく、トレーニングや日頃から身体を動かすことで健康が維持されるのは間違いないので、皆さん、自分自身のためにも医療費抑制で市の支出を抑えその分を別の事業に活用して市の絶こうちょう化を進めるためにも日頃の運動に励みましょう。これも記念記者会見で言いたかったな。今言ったから、まあいいか。
☆絶こうちょうで篠山スポーツセンターでウェイトトレーニングに励むドクター。でもこのでっ腹ではもうすぐ2000回と大きなことは言えなですね。

Dr.611 お天気が続かない(3月14日)
今朝も傘をさして朝のウォーキングみたいなランニングをしていたら、よくお出会いする犬を連れて散歩されているご婦人から「お天気が続きませんね」と声をかけられた。そういえば天気が良かったり雨が降ったりするする日が交互に続いている。この頃の天気予報はよく当たるので、明日の予定を決める時に雨なら雨でもできること(ドライブしたり菓子パン食べたりすることなど)、晴なら晴れの日に出来ること(百姓仕事だったり菓子パン食べたりなど)をするようにしている。百姓や冒険指導者(この頃は少しお休みしている)としては晴れの日が続く方が嬉しいが、適度に雨の日もないと水不足や植物の生育には困る。自然界の天気に晴れの日も雨の日も必要なように、人生天気にも晴れの日も雨の日もあるのは、人生天気の雨が人間の成長には必要ということだろう。自然天気も人生天気も晴れの方が嬉しく雨が続くと困ってしまうが、時々の雨ならその必要性を理解して雨の日にできることをしながら成長のための準備をして行こう。とりあえず今日の雨の日にできることは何をしようか。
☆昨日の貴重な晴れの日には息子に手伝ってもらって田んぼの畔の草焼きをした。お天気だからできたことだが、野焼きには課題もある。ドクター人生の野焼きは課題だらけだ。



Dr.610 しんどい時には(3月13日)
滅多に公開しないが心がしんどくなった時には、「死んでたかもしれない体験」や「破産してたかもしれない体験」を思い出し、あの時死んでたかもしれなかったり破産してたかもしれなかったことから見れば、今はまだましと思って自分の心を慰めるという奥の手を使う時がある。新型コロナだけでなく、いろんな事情で心がしんどい人のために公開したい。この考え方は建設的ではないし、誰にでも効くかどうかは分からないけど、いろいろやってみたけどまだしんどいという人は一度試してみてほしい。ドクターの場合は先ず、これまでの人生で死にそうになった時を思い出す。酔っぱらって雨の中で寝込んだ時や何度かの交通事故寸前やった時や病気の時などだ。特に車に乗っててヒヤリとしたことは何度かあり、一つ間違っていれば命がないか重症だった。事故かセーフかは紙一重、ほんの一瞬の差、現在命があるのは自分の力ではない、大きな意志に生かされている感じだ。破産と言うのか経済的に致命的な危機も何度かあって、校長時代などは特に責任を取る立場なので自他のトラブルで辞職に至らなかったのは運が良かっただけのような気もする。そんなこんなで死んでたかもしれなかったり経済的に破綻していたかもしれなかったことを思えば、今は何とか生きて食っていけているだけでもまだ恵まれていると思って、心のしんどさを紛らわすのだ。この手がいつまで通用するか分からないので、他のストレス軽減対策も研究しながら、今のところはこの奥の手で凌いでいる。
☆もう枯れそうだけど健気に花を咲かす老梅を見ながら、何とかお気楽な生き方を模索するドクター。根っからお気楽なくせにという妻の声もある。


Dr.609 厳しい環境を超えて(3月12日)
新型コロナウィルスの影響で学校休校をはじめ様々な厳しい状況が出ている。影響の出方は人それぞれ、各家庭や事業所によって違うだろうが、ここは何とか工夫と忍耐で乗り越えてほしいと願うばかりだ。今回は極端な例だが、生きてると災害や事故をはじめ様々な厳しい環境に出会う。泣きそうになったり投げ出したくなったりすることもあろうが、ここは我慢してベストや理想通りではなくても、工夫で最悪は避け生き延びるというのか生活を続けたい。今朝の新聞で見た小学生の投稿に元気をもらった。小学校が休みでみんなと会えないのが嫌で元気な人の登校は認めてほしいと思っていたが仕方がないので家でドリル学習やできることをやっていた。今では少し慣れてきて家での時間が十分にあるからこそできることもあると分かってきた。学校再開まで、学校が休みの今しかできないことに積極的に取り組みながらその日を楽しみに待ちたいというような内容だった。事態を嘆いてばかりでもどうにもならないから今できることをやるしかないことは頭ではわかっていても中々気持ちが付いて行かず、誰もがこの小学生のように対応できるわけではないことは分かる。が、本当にどうしようもないことはどうしようもない。それを踏まえて少しでも自分が生きやすく楽になるための行動や考え方を工夫するしかない。ここはあきらめずできることから、どんなに小さなことでもいいから歩み続けていきましょう。
☆ドクターの近所では山すその木が倒れて電線を切ったり、通行の妨げにならないように樹木の伐採があちらこちらで進んでいる。止むをえない厳しい環境への対策だが、この伐採後に栗を植えてマロンベルト(栗園の帯)にしたらどうかという提案を考える人もいる。みんなで知恵を出し合い、励まし合って厳しい環境を乗り越えたい。


Dr.608 バタバタする(3月11日)
昨日のブログ内容と反するようだが、時間が一杯あってあれやこれやと考えるのは得意ではない。これまでの経験でドクターには「小人閑居して不善をなす」傾向があり、閑だとろくなことをしないし、考える時間が十分にあると不安や心配が先に立って元気がなくなる。それよりは酉年生まれらしくいつもバタバタしている方が性に合ってるし、心配事をじっくり考えてる暇もないほど日中バタバタして夕方になって一杯飲んでばったんキューが良い感じだ。それでは市の絶こうちょう化も人生の大きな決断もじっくり考えないのかと言われそうだが、どちらも考える材料はバタバタ出来るだけ沢山集めて頭に入れ、後はそれらが頭の中で化学反応を起こして一つの方向が閃くのを待つというのか、その時出て来た答えを育てていく。人生も市の課題もコロナ対策も時々刻々情勢は変化しているのだから、ためらわず臨機に決定し、残った課題には修正で対応していく。良くないのは考えすぎて動けなくなったり、決定が遅れて時機を逃すことだ。こんな感じのバタバタで生きて来て今のところ満足しているが、ちょっと心配なのが「バタバタして、気が付いたら人生終わり」ということだが、それも考えようによっては良い人生かも。
☆バタバタな一日の中には、温泉施設に置いてある水槽の魚を無心に眺めるという時間も含まれるが、そんなことをしてるから他が余計バタバタしてきて気持ちが良い。




