Dr.2102 丹精より適当(10月28日)
黒枝豆を送らせてもらった相手の方から「丹精を込めて作られたから美味しいです」みたいなメールを頂き恐縮して、「丹精と言うより適当です」と返信した。「適当」はドクター的には、「大雑把、雑」のイメージで使ったが、「適当」本来には「ちょうどよい。ふさわしい」の意味もあることも思い出した。
「丹精」も漢字を見ると、丹の付く人(丹後など)が精を出してやる、みたいに見えなくもない。
このようなことをひっくるめて、自分の生き方を考えると、性格や仕事ぶりは雑だけど(手を抜いたりいい加減にするという意味ではなく、緻密にできないんです)、自分のカラーを大事に(人に喜んでもらう、笑顔で明るく等)、全力で(でも無理はせず、自分のペースで)取り組んできました。これは、「適当」の両方の意味(ちょうどよいと大雑把)が入っているような感じです。
黒豆づくりも、畝も植え方もグネグネ、肥料のやり方も適当ですけど、自分がやりたいときには全力で(毎朝の土寄せ等)やりました。暑い時に水もあまり入れてませんので、豆が膨らまなくても仕方ないはずだけど、お陰様で結構大きな実が出来ました。
人生も同じく、適当に流れとご縁に従ってやってきましたが、豊かな実りを頂いています。有難いことです。これからも適当人生、適当百姓やれるところまでやって行きたいと思います。皆様もボチボチ、ご自分にあった人生を、楽しみながらお歩みください。
☆昨日も地域の文化祭へ行ったり、百姓したりしました。有難いことです。


Dr.2101 ありがたい健康(10月27日)
2か月に一回の隣保の集会が昨夜あった。10名ちょっとの村の人が集まった。小学校の頃に一緒に登校していた人が多い。数軒は代が変わって後継ぎの若者(といっても40代50代)が出ているが、ほとんどが同年代の人だ。
その中に、1カ月入院して退屈だったという人、腰を痛めて3週間ほど家で寝ていてほとんど農作業はしていないという人がいたり、ここ数カ月の間に足を怪我した人もいる。皆さん、今は集会に出られるようになって、健康状態も徐々に回復しつつあり良かったのだが。
そう考えると、入院も大病もせずバタバタと暮らせているドクターとしては幸せな限りだ。健康の有難さを感じる。しかし、いつ何時同様の怪我・病気にならないとも限らない。節制や予防は大事だが、いくら気を付けていても、なる時にはなる。
ドクターも詳細に見ると、腰が痛かったり、以前痛めた股関節が未だに痛かったり、視力や記憶力が衰えたり、血圧が高かったり、朝のランニングが朝の散歩並みの早さになったりしているが、何とか日常生活は送れている。
健康面でも他の面でも、上を望めばきりがない、現状を改善する努力は尊いとは思うが、無理をしないで現状を受け入れ、今出来ること、今の現状(健康状態も)に感謝して、今日出来ることをボツボツやって行きたい。
☆昨日は村の池の点検にもいきました。何と言うことはないですが、できること、出来たことに感謝して、笑顔で暮したいと思います。皆さん、自分の恵まれている所を忘れないようにいきましょう。

Dr.2100 ちょっとしたことで(10月26日)
1泊2日の旅行から帰って遅い時間にトレーニングを終えて帰ろうとした時、お母さんの車に乗った小学生が手を振って「またね」(やったように思うのですが)みたいな声をかけてくれた。誰かは定かでないが、向こうがドクターを意識して、手を振ってくれたのは間違いない。
これで旅の疲れも消えて俄然元気になった。他にも、ラインの中の小さな一言が元気を与えてくれることもある。ちょっとした一言、ちょっとしたことが、人に大きな幸せや元気を与える。
逆もあるので、気を付けながら、自分も誰かに自分のちょっとした行為で元気を与えられることを心掛けたい。
皆さま、日々生きていると、いろいろあると思いますが、生かされていることに感謝して、自分にできるちょっとしたことを意識して、自他を元気にして行きましょう。
☆旅先で出会った1シーンも元気を与えてくれました。


Dr.2099 いろんな意見(10月24日)
職場で多くの人で来年度の方向性を検討する機会があった。いろんな意見があり、とても参考になった。自分一人ではとうてい考えられない。多様な視点から、物事を見て行くことの大事さ、有効さを感じた。
意見を言う視点も、その人によって特徴があることも分かった。言葉遣いの間違いにこだわる人、全体の整合性に気を配る人、大局的視点から見る人、細部にこだわる人、具体的な視点から意見を言う人等、みんなそれぞれの持ち味が違う。
ただ、仕事上ではこうした多様な観点、意見、考え方等から、よりよいものを作り上げるということは大事だろうが、個人の生き方としては、自分の視点で生きて行くしかない。足りない視点もあるかもしれないが、自分が意識できる範囲で向上を目指すしかない。あんまり、足りない所を気にし過ぎていると前へ進めないし、しんどくなる。
他の人の意見や本などで、自分の視点と違う見方も参考にしながら、自分の生き方を改善していく、より生き易くしていくということもありだと思う。ただ、他人の意見に振り回されず、自分の価値観で自分を大事に生きて行くという生き方もあっていい。
どちらでいくのか、さらに他の生き方で行くのか、それを選ぶのは自分だ。自分が生き易く、周りにも迷惑をかけず、貢献できる生き方が良いと思うが、これもドクターの考え方で、各自の考え方があると思うので、自分の生き方を大事にすると同様に、他の人の生き方も大事にしたい。
☆みんないろんな意見、生き方がある。自分も大事に、他の人の生き方も大事にして行きたい。

Dr.2098 震災体験(10月23日)
ある会合で、今年元旦の能登半島地震の支援に行った人がその様子を語る場面があって、その前の挨拶で、ドクターは自分の震災体験について少し話した。
来年1月で30年になる神戸淡路大震災の時に、神戸市北区の高校で勤務していたドクターは、北区は揺れたけれども建物の損壊もあまりなく、揺れが強く被害の大きかった南部の長田区にある避難所の小学校にボランティアに行った。
避難所の手伝いなどをしたと思うが、その時覚えているのが、避難所運営の地元の方が、ボランティアの私たちに、救援物資のカップ麺などを混ぜ合わせて作った食事を出してくださったことだ。
自分が被災していても、(世話になるだけでなく)自分が出来ることはする、どんな状況でも感謝の気持ちは表したいという人間の持っている本質と言うのか、暖かさに感動したのを覚えている。
人は何でもしてもらったら楽というのではなく、自分に出来ることはしていきたいという本質的な気持ちがあるように思う。
このことは、災害時だけでなく、いろんな場面で、自分が出来ること、その人がやりたいことは尊重していかなければならないということにつながる。齢を取って来て、できることは減って来ても、自分が出来ることは大事にして行きたい。
☆この頃あんまり写真撮ってないので、5年前の今頃です。高城山、今まだ登れるかな。登りたいという気持ちがあるかどうかですね。やる気、面白がる気持ち、大事にして行きたいと思います。
