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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2295 ぎりぎりです(6月13日)

 昨日はブログ更新が途中になってしまった。パソコンの不調で、今日もここまでものすごく時間が掛ってしまっているし、最後まで更新できるか怪しい。

 日々の生活と同じで、ブログ更新、パソコン状態もギリギリって感じ。こうなると余計なことは書けなくて、先ずは更新しときます。できればですけど。こんな余計なこと書いてる余裕はないんですけど。

 ☆写真更新も怪しいですが、もしできたらこれは今年のセル播き黒大豆の今の生育状況です。先ずはここまででアップします。何とか行ければ明日は休日なので時間はとれると思うのですが。余計なことが無いドクターブログって面白くないですね。人生に余計な事(余裕)って必要ってことでしょうね。皆様今日も何とか更新できますように(一日を無事終えられますように)。

Dr.2294 人生とんとん(6月12日)

 今朝の新聞の投稿に若者が「人生トントン」と考えて、生き易くしているみたいな話が載っていた。「とんとん」というのは、「半分半分、丁度同じくらい、帳尻が合う」みたいな意味で使っているのだろうか。

 「悪いことがあったら、後は良いことが続くだろう」と考え、良いことがあった場合は「次は悪いコトが起こる」と考えるのではなく、「良いことがあった(良いことをした)のだから、良い報いがあるだろう」と考える。一貫性はないかもしれないが、自分の人生訓や生き方の指針・モットーなどは、正しいかどうかよりも、それで自分がどれだけ楽になれるか、生き易くなれるかというのが肝心な点だと思うので、この若者の考え方は素晴らしい。

 ドクターの「流れとご縁を大切に、生かされていることに感謝し、自分の出来る範囲で自分らしく精一杯でもボチボチやる(貢献する)」というのも、どこかに科学的根拠があると言うことでもなく、こう考えて生きるのが自分の生き易さにつながるという意味で大事にしている生き方だ。

 

Dr.2293 助けるは助かる(6月11日)

 仕事場に福祉作業所の方がお弁当を販売に来られていたので、助けになればと思い二つ購入した。その日は奥様外出の為、子どもと二人分の夕食をドクターが買う役だったので、こちらも助かると思って購入したのだが、作業所の方にすごくお礼を言われて逆に恐縮するほどだった。

 その後いろいろあって、他の食材も買いにスーパーに行くと、ほとんど総菜は売り切れており、お弁当は一つもなかった。

 あそこで作業所のお弁当を購入していなければ、また別の店に移動しなければならなかったところだった。少し作業所の助けにもなればと思ってとった行動が、結果的にはこちらの助けにもなった。

 こういうことは他にもあると思うので、「人助けは自分助け」ということを忘れず、出来る範囲の人助け(貢献)はこれからも続けて行きたい。人助けは自分の助けになるからやるのではないが、世の中よくできているので、自然と自分が助けてもらうことにもつながってくる(何事にも感謝の気持ちを忘れないようにしたい)。

 今日もなかなかどうなるか見通せませんし、いろんなことは起こると思いますが、自分が良いと思ったことは積極的にというのか、自然な形で心掛けて行きたいですね。

 ☆写真撮る間なかったので、また6年前の今日ですが、今年と同じようなことをやってますね。年齢だけ行きましたが、まあボツボツいきましょう。何とか1日終わりますように。

 

Dr.2292 ショック(6月10日)

 今朝ズボンのベルトを締めていたら、今まで使ったことのない外側の穴でないとお腹周りがきついことが分かってショックを受けた。朝のランニング(世間的にはウオーキング)と夕方のトレーニングをほぼ毎日やっている(農作業などで汗を流した時はお休み)から、ぜい肉の付き方はそれほどでないと高をくくっていただけにショックだった。

 考えて見れば、三食以外にもコーヒー時に甘いもの(菓子パンなど)を食べているし、夕食時は食事が終わった後もせんべいなどをあてに飲んでいるので、1時間ほど動いていると言ってもカロリー的には太るのは当たり前だ。

 小太りのショックだけでなく、日々の生活では気がかりなことが多い。それらに比べたら、ベルト穴一つ分お腹周りが肥えたと言って大騒ぎすることでもないか。いろんな気がかりがある中、そこにベルト穴一つ分気がかりが増えたというべきか。

 何れにしても、体調にも気を付けないと、他の気がかりにも対処できない。対処と言っても、積極的な直ぐにの解決策があるわけではなく、解決しない状態に耐えるというのか、我慢する力がいる。人生において、スカッとこれですべて解決、何の憂いもないという状態は考えにくい。考えて見れば、いつも何らかのモヤモヤの中で生きてきたようにも思う。

 後から思い出すのは、いい思い出が多いが、ようく考えて見れば、いろいろと厄介ごとがあったのが思い出される。何れにしても今を乗り越えないと過去を思い出す未来もやって来ない。乗り越えると言うほど立派な解決策はないが、今日も何とかモタモタしながらも、一日を終えて明日につなげたい。いろいろとある皆様、ご一緒に何とか今日をカラ元気ででも歩んで行きましょう。それを応援してくれる人がきっといますから。

 ☆小雨の降る庭を眺めながら、自分の腹も眺めるドクター。ちょっとこの写真は腹を引っ込めてる感じです。

Dr.2291 それよりはマシ(6月9日)

 昨日も畑仕事や黒豆の種まき等で朝から晩まで忙しかったが、そんな時にトラクターのキーが無くなった。これはあの作業の次に必ず使うからと思って、胸のポケットに入れておいたのに。

 胸のポケットに入れたのは覚えていたので、そこにキーがないことに気付いた時は、「なんでやねん。今日はいっぱいやることあるし、今日トラクターで畝立てしておかないと、月曜日からは雨が続くので無理になる。今日しかないのに、キーがないなんてどういうことなんや」って気持ちでした。

 結局は、軽トラの前の地面に落ちていたのが見つかったのだが(拾い物をしたときに前かがみになって落としたようです)、トラクターのキーがなくて機械が使えなかったら、その後の黒豆栽培計画はまったく狂ってしまうところだった。トラクターでの畝立てが上手く行かなかったり、立てた畝の土が固かったりといろいろ課題はあるが、畝が立たないよりはましだ。

 そう考えると、農作業に限らずやることにはいろいろ足りない部分はあったとしても(思いとは違っていることも多いが)、最悪(今回で言えばトラクターキーが見つからず、トラクターが動かせない)の事態それよりはマシという気付きも、ある意味からは使える考え方ではないだろうか。

 いろいろ気がかりや残念なことはあっても、「それよりはマシ」と思うことは、あんまり建設的ではないとは思うが、少し心は楽になる。そんなに大きな声で人には勧めにくいが、ドクター内面では「それより(最悪の事態より)はいいか」と心を落ち着かせるのに使っています。

 いろんな考え方があると思いますので、自分に合った少し心が楽になる考え方も大事にして、今日も何とかやって行きましょう。

 ☆ドクターの雑な畝立て。でも畝が立たないよりはマシと考えたら、ここまで出来ただけでも有難いことと思えます。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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