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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1379 一人に慣れる(9月18日) 

 久しぶりに母が生前中に仲良くさせてもらっていたおばあさんにお会いした。母がいなくなって寂しいと言われ、でもこの頃は少しは一人に慣れてきたとも言われた。人生の最後の方は誰でも一人の時間が多くなる。

 誰でも一人に慣れなくてはならない。ドクターの昨日の作業や夕食までの家庭での生活が一人だった。一人でテレビを見ながら、食事をして、一杯飲んで寝た。

 かつての冒険時代のように、時々は気の合う人に会いたいとも思うが、気の合わない人もいたので、気の合わない人に会わなくて済む独りも悪いことばかりではないと思い改める。

 ともかく、だれもが、高齢期を中心に一人に慣れないといけないとすると、今からでも独りで生きる、一人で生活することに慣れなければならない。これも慣れ、習慣だと思うので、最初は大変かもしれないが、慣れて行けば、何とかやっていけそうな気もする。

 逆に、一人で生きて行けるだけの、体力や気力を養うことは、高齢期を生きる身としては心掛けなければならないことかもしれない。一人での生き方、できれば快適な生き方・考え方、こちらも準備して、良いアイディアがあればご紹介していきたい。

 ☆一人でトレーニングしての帰りの夕景色。一人は昔から結構慣れてるかもしれません。

Dr.1378 習慣(9月17日)

 皆さんはどんな習慣がありますか。ドクターの場合は、朝4時30分ごろ起きる、寝るのはまちまちだけど、早い時で8時、遅くても10時30分と基本的に早寝早起き。夕食に一杯飲んで、直ぐに寝てしまう。

 朝5時半ごろからランニングと言うのか、ウォーキングというのか30~40分やります。これはもう30年以上になるかな。仕事帰りにスポセンでトレーニング。これはもう通算で2500~2600回になります。

 そうそうこの頃はこのブログ(ほぼ毎日)と職場のブログ(週4~5回)書いてます。こんな感じで、習慣が生活に占める割合は大きい。これに考え方の習慣や食べる物の傾向まで習慣と言ってしまえば、生きることの大半が習慣と言ってもいいかも。

 それぐらい習慣って大きいけど、これは意識すると変えられる。意識しなくっても変わっている場合もあるけど。いい習慣と言うのか、自分が付けたいと思う習慣は、最初ちょっと頑張らないとあかんけど、一旦習慣になると今度は中々やめられない。

 習慣って、結構大きい影響あると思います。できれば、生きるのにいい習慣を身に着けて行きたい。これがうまく行くと、あんまり考えなくても生き易くなるかも。年齢や体力と共に習慣は変わるから、いつの年齢でもそれに適応した、生き易い習慣を磨いて行きましょうではありませんか。

 ☆まちなみアートフェスティバルの会場で。そうそう自分の写真撮るのも習慣みたいな感じです。これ良いかどうか分かりませんけど。一度自分の習慣に目を向けてみましょう。あっ、こんな感じで皆さんに呼びかけるのもこの頃習慣になってますね。

Dr.1377 忙しいか閑か(9月15日)

 忙しいのが良いか、閑が良いか、答えの出ない問いを考えることがある。忙しすぎるとあっという間に一日が終わり、何かセがない気がする。しかし、かと言って時間があり過ぎるのも、いろいろ考えすぎ悩み過ぎて心の健康によくない。

 結局何度か言うように、忙中閑あり、バタバタの中にホッとする時間を見出す、これが良いとは思うが、これも何度も言うように、これがなかなか難しい。しかしまあ、こんなことを言いながら長年暮らしてきたので、少しはバタバタの中にホッとする時間を見つけられるようにもなってきたように思うが

 バタバタは性にも合ってるので、基本はバタバタとして、そこにホッとを見つけていく、これで行くのがドクター人生では良さそうに思う。

 だとすれば、いつまでも基本バタバタ人生でいけるように、バタバタの材料を見つけなければならない。何でもいいわけでもなく、これまでは流れに任せてきて結構面白いバタバタがやって来たように思うが、今後も面白いバタバタ材料がやってくるか不安はある。

 不安があるということは、流れを信頼しきれていないということだと思うが、基本的に心配性なのですぐ不安がるのは流れ様に許してもらって、最後は流れに従っていきますからという結論になりますから。

 ☆市役所の裏を歩いていて、地面にキノコ発見。バタバタの中のホッと見つけました。バタバタの中のホッとは少しは進化してるか。不安癖はなくなりませんけど。まあ何とかなるでしょう。みなさん、ボチボチ行きましょう。

Dr.1376 陰徳(9月14日)

 いいことをする時は黙って隠れてやる方が良いと思っている。なのに今回は反対のようなことを話しますけど。昨日、あしなが育英会から残暑見舞いのハガキが届いていた。高校2年生の奨学生が直筆で、お礼と今の頑張りを書いていた。自分が「あしながおじさん」になっていたとは知らなかった(正確には覚えていなかった)。

 いくらか募金をしたようなしていないような記憶しかない。だから(もし本当に自分が善行をしていたとしても)これは陰徳と言うよりも、物忘れ徳だ。

 自分が過去にやったいいことも悪いことも結構忘れて来ている。物忘れが進んでいるのは心配だが、今回のように自分のやったいいことも忘れているというのは、陰徳にもつながって少しは良い面と言えるかも。

 数は少なくても、自分がやったいいことをずっと得意げに覚えているというのはあまりよろしくないと思う。自慢げにつながるからだ。

 それよりかは、きれいさっぱり忘れて、またまっさらな気持ちで、周囲の人に少しでも良いことが出来ればと思う。これと同じく、嫌な出来事も忘れさせてもらえればありがたいのだが、こちらはなかなか思うようには忘れさせてもらえない。

 簡単に忘れないで、同じ過ちを繰り返さないためにも必要なのかもしれない。それも分かるけど、こちらも、永久と言うよりは、だんだんと薄くしてもらえればありがたいのだけれど。そうは問屋が卸さないか。こんな虫のいいことを願うのは今回が初めてのような気がするが、もしかしたら前にもあって、こちらが忘れているだけかもしれない。忘却力、なかなかがんばってます。

 ☆あしなが育英会から届いた残暑見舞い礼状。この裏に直筆のメッセージが。こんな葉書を頂けるなんてありがたいことです。

Dr.1375 やることがない(9月13日)

 以前一緒にお勤めさせて頂いた先輩にお会いしたら、「やることがない」と愚痴られていた。71歳まで働かれた後(60歳で定年後、別の仕事で11年)、1~2年前にその仕事もやめられた。地元の方だが、農作業はされていない。

 これこそ、定年後というのか仕事完全リタイア後の生き方の問題実例だ。誰にもいつかはやってくる。この時、趣味だの百姓仕事だのがあればいいが、それとて誰にも、いつまでもあるわけでhない。その頃の過ごし方について書いた本も幾つもあるが、作者は書くことをはじめ現役の仕事がある方が多く参考になりにくい所もある。

 本当に完全引退後の充実した生き方についての答えが欲しい。自分で見つけるしかないのは分かっているが、本当のところはなってみないと分からないだろうが、なって見てからでは遅いと分かっても手遅れになるのが心配だ。

 心配しても仕方ない、なるようにしかならないというのも分かるが、それでも正直なところは心配だ。それでいろいろ模索している所に、「やることがない」と嘆く(それほど深刻そうでなかったのが救いか)先輩にお会いしたという訳だ。

 いろんな方の生き方を参考に、少しでもましな充実老後の生き方を探りたい。そんなことを真剣に探して生きられるのは間違いなく幸せな人生だ。それを忘れないように、感謝と貢献を軸に、ぼつぼつ探っていきます。

 ☆お堀に映る飛行機の跡。市役所裏の紅白の花。忙中に美しさに気付く。バタバタ人生の生き方、少しは進歩したかも。こんな感じで完全リタイア後の生活も進化したいですね。

 

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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