Dr.1247 自分のやり方を考える(4月18日)
高齢者大学講師を頼まれていることもあって、高齢者や定年後の(定年前の人にも当てはまると思うけど)機嫌よい生き方を考えている。考えながら、この休日は公務や農作業をした。
人によっては農作業にあこがれる人がいる。トラクターに初めて乗ったと嬉しそうにSNSにあげている人もいる。自分がトラクターに乗っていて、気持ち良いと感じたることもあるけど、作業予定を気にしたりして、これが生きがいという域にまでは達していない。
農業を生きがいにしている人もいれば、自分の趣味や、健康で自活できることを楽しみにしている人もいる。結局は、自分の考え方ややり方を考えるということになって、それは人それぞれと言うことになるように思う。しかし、他人のやり方や生き方、考え方は参考になる。特にその人が活き活き生きている場合には参考になる。しかしまた、何時でも順調と言う人はいないと思うので、調子の悪い時でも悪いなりに、あるいは逆境から回復した人の言葉にも魅力を感じる。
まだまだ結論を言う時期ではないけど、結局は考え方次第。機嫌よく毎日が送れる考え方を追求していきたい。今のところは、運やご縁や天啓等が入り混じった流れに従い、やる流れになったことを精一杯でも頑張り過ぎずに自分らしくやって、一日終わってホッとする。そんな時間を楽しみに一日を終えて、その積み重ねで人生の最後まで行く。そんな感じでしょうか。まだまだ結論ではないですけど、結構集約されてきているようにも感じます。
☆農作業前のドクターと水を張った田んぼ。この日のやる流れの作業に取り掛かります。このようにやる流れのことがやってきます。ありがたいことです。自分らしく(農作業で言えば雑に、他のもそうかも)やらせて頂きます。みなさん、ボチボチ行きましょう。

Dr.1246 取り残された感(4月17日)
剣道部仲間ラインを見ると、海外に住む娘さんがお孫さん連れて帰国したり、同窓会で徳島行ったりしている。ウチの奥さんは、帰省中の娘と買い物行ったり、下宿へ送って行ったりしている。皆さん活動的だ。
ドクターは一人で田植え準備したり、何やかやしているが、何かいま一つな感じはする。趣味や打ち込むものがある人は活き活きしている。そもそも、どう生きるか、どう時間を使うかなど悩んでもいないような感じだ。
何も考えないでもいきいき生きられるような生き方、羨ましくも思うが、自分は自分の人生を生きるしかない。
そこで今ちょっと考えているのが、もしかしたらドクターは、生き方の探求が好きなのではないかと言うことだ。いろんな人の本や言葉を参考に、自分が自分の人生をどう考え、どう生きたら生きやすくなるのかにすこぶる興味と関心がある。つかんだことを発信するのにも興味がある。
もしこれを終生のテーマとするとすれば、奥が深く、答えはつかんだようでもまたすぐ迷いが生じて一筋縄ではない。でもしかし、追求する価値はあるし、まあ好きである。
このテーマで行く生き方も昨日今日思いついたことなので、今後どうなっていくかは分からないが、これも流れに任せて、今日やる事、やる流れになっていることに自分らしく精一杯、でもまあボチボチと取り組んで行きます。いつも言うことですけど、それしかないし、それで十分だ。いろいろ不安はあるけど、先ずは今元気で居られていることに感謝して今日を始めましょう。
☆なんか道端で見た、いろんな色が混じった桜?。人生もいろんな色(時期・こと)が混じってますね。これからどうなっていくのか、何をテーマに生きるのか、流れを信頼して流れにに任せよう。

Dr.1245 過去の財産(4月16日)
県下の教育長会に参加したら、その中のお一人に親し気に声をかけていただいた。その教育長のかつての教え子のお子様がドクターがいた学校に通われていて、当時の校長だったドクターの話しを聞かされて親近感がわいたということだった。
その後本庁の教育委員会を回ったら、各課長や課員に知り合いが多くおられて過去の交友関係を活かしてお話しすることが出来た。
県庁からの帰り道にかつて勤務した高校へ寄ったら、新しい校長も知人で、旧知の職員の方ともあえて懐かしいお話をすることが出来た。みなさん、お世辞にも過去のドクターを美化してくれはる。まさに過去の栄光(財産)に浸った時間だった。
過去の財産を懐かしむのは良いかもしれないが、大事なのはこれからだ。過去を褒めてもらうというのは今の評価することがないということか。
さてこれからどうすべきだろうか。自分としては、かつても今も同じように生きている。実際「変わりませんね」という声も多く聞いた。かつてにしても当時はいろいろいう人もいたし、上手く行くことばかりではなかった。後から振り返って良い思い出だけが残るのだろう。過去は美化されるということか。
だとすれば、なかなか思い通りには行かない今だが、過去のように精一杯やって、後から振り返って良い思い出となる可能性があるということだ。過去にしても今にしても、自分は自分らしく、子どもたちや周りの人に喜んでもらえるようにやるのが、自分も喜ばすことになる。
そんなこんなで、やっぱり、今流れでやる事になったことを自分らしく、機嫌よく取り組んで行くしかない。それでいいし、それしかできない。みなさん、いろいろあるかもしれませんが、自分らしく出来ることに全力で(でも無理し過ぎず)取り組んで行きましょう。後から振り返って(今が過去になった時)懐かしく幸せな時間と思えるように。
☆県庁に行く途中で立ち寄った道の駅。ドライブ好きには良い時間となりました。ありがとうございました。

Dr.1244 先の見通しないけど(4月15日)
今週も何とか週末までたどりついたって感じだ。毎日を機嫌よく、自分も周りの人も気分よく過ごせるのを心掛けて、一日の終わりにチョコっとトレーニングして一杯飲む。幸い一杯飲んだらすぐに寝付けるのでそれで一日は終わる。その繰り返しで1週間が過ぎ。気が付いたら1月が過ぎようとしている。
そんなその日暮らしで、先の見通しがないのは良くないように思うが、毎日を健康で機嫌よく過ごせているのは有難い、感謝すべきこと。いっぱい幸運(良い流れ)が積み重なってそういう日々を送らせて頂いているのだから、それ以上何を求めようというのかという思いも一方ではある。
小さい頃から計画的に生きよ、将来の計画を持つのが良いことと言われ続けられてきたので、先の見通しなくただその日その日を送るのは良くないことのように思うのだろうが、この頃のドクター流れ人生論では、人生(自分のも他の人のも含めてみんな)は自分の意思だけではなく(意志と思っているのも実は流れ)ご縁と流れで決まって行くので、いつまで元気で(身体が動いて)生きられるかも流れ次第。
一日や2・3日ぐらい先の見通しは何とか持てるので、見通しはそれぐらいにして、後はどうなるかは分からないのだから、先ずはその日一日を機嫌よく過ごす、そして一日が終われば一杯飲んで寝る。そんな感じで生きてます。
人に勧められるような生き方ではないが、65歳が近い今、何人かの友人がこの世を去った今、80歳90歳で元気な人がいるのも知ってはいるけど、こんな生き方をしています。何か不安もあるけど、こんな生き方でも元気でいられることに感謝してます。その分、ない自分の出来ることを周囲に恩返ししながら行けるところまで行こうって感じです。何だか取り留めない話しですみません。まだまだ生き方摸索中(成長途上ってか)のドクターです。
☆この前、娘の大学近くにある竜安寺の「我只足るを知るのみ」の水受け。参考になります。

Dr.1243 贅沢な(4月14日)
久しぶりに嫌な言葉も、嫌な処遇もなく、快調な日だった。そうでありながら、一日終えるとやはり疲れている。予期せぬパンチに見舞われた時など、心理的に落ち込みもう嫌だ等と思う日も元気を無くすが、そんなことが全くなかったラッキーデーに幸福感満載でないのはどうしたことか。
贅沢な悩みだと思う。厚かましい奴だと自分を思う。でも正直なところ、一日の終わりとしてはそんなに変わらない疲れ方だ。打たれ慣れしたのか、喜びに鈍感になったのか、いずれにしても日々元気で陽気にいきたいものとしては、打つ手を考えなければならない。
感謝心を研ぎす、目先の出来事に一喜一憂せず、いや一喜はした方がいいか。なんせ良くても悪くても元気で一日過ごせたことに感謝して、周りに元気を与えることを心掛けて過ごしていきたい。
自分の満足度だけを考えず、小さな嬉しいことを忘れず、人にプラスを考えて、自分の役割を勤めて行きたい。自尊心は大事だけれど、それは人に振りかざさず心に留め、自分のような不完全なものが生かされていることに感謝して、自分の出来る精一杯を、でも頑張り過ぎずに、たんたんと陽気にあほうになって進んで行こう。
☆図書館前の奇麗な花壇。お手入れの方ありがとうございます。ふとした時に人から喜んでもらえる、そんな生き方がんばらずに頑張ります。まあ皆さん、ボチボチ行きましょう。何やかやあっても日々は過ぎて行きます。出来れば機嫌よく過ぎて行きますように。自分にもあなたの周りにも。

