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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2325 今日もギリギリです(7月16日)

 今日のタイトルは、精神的な状態ではなく、パソコンの立ち上げ状況です。これまで10分以上かかって、ようやく今書き始めていますが、また更新が遅くなってきて、自分の持ち時間もないので、内容のないままですけど、今日はこの辺で打ち初めです。

 日々の暮らしもギリギリですし、周りの人にもご心配をおかけしているようですけど、何とかやっていますので、ご心配なくとはいえませんけど、ご心配しすぎられませんようにお願いします。人生いつもギリギリで生きてきたようにも思います。ただ、元気を無くすのは本意ではないので、空元気でも何でも元気と陽気は忘れないようにいきたいと思います。あれっ今日もここまで書いて終わりかなと思ったけど、結構快調に変換が出来ています。でも、まあ今日はこの辺で。皆様もギリギリかもしれませんけど、何とか進んで行きましょう。やがて明るい兆しが見えてくる日もあると思います。大事なのは歩みを止めない、ことです。今日も何とかボチボチ行きましょう。

 ☆何と写真の更新まで行けるんかい。人生、ブログ更新、ダメかなと思っても思わず行ける時もありますね。希望を忘れず、流れとご縁を信頼して行きましょう。

Dr.2324 現場力(7月15日)

 いろんな現場を見に行くが、やはり現場の力は凄い。10数年間も放課後の子どもたちを見ている人がいる。週に一回程度だが、それをずっとやり続けるのは凄い。

 「事件は現場で起きている」という言葉もある通り、現場が大事で、現場ではいろんなこともおきているが、やりがいもある。どこまでが現場というかは、いろいろあるだろうが、教育で言えば、学校園教育で言えば「子どもがいるところ」、社会教育で言えば「参加者がいるところ」が現場か。現場が動くために、条件を整える教育委会のような組織もある。どこに関与するかは、流れとご縁によるが、現場なら現場力を生かして、支える機関なら現場のことを考えて動いていきたい。今日はどうも更新調子悪そうなのでこの辺にします。すみません。実生活の調子はそこそこでありますように。皆様もお気をつけて、何とか今日一日を。ここまでは更新できましたかね。

 ☆写真更新も調子悪そうですけど、何とかなりますように…

 げんばが

Dr.2323 読書(7月14日)

 図書館の講演会を聞いて、改めて読書の意味を考えた。特に若い時に読書に親しむことで、想像力や記憶力、自己認識力や書く力等が養われると言うことだった。

 記憶力でも、すべてを丸暗記するのではなく、どれが重要かを分かる力も含めて養われると言うことだった。この講演会に刺激されて、久しぶりに本を読んでみた。面白くはあったが、講師の方が言われるような、児童文学ではなく、生き方や定年後の過ごし方というような実用的な読書なので、講師の先生が言われたこととは少し違うか。

 でも、読書によって、新たな考え方や情報を得て、もう一度自分の頭で考えると言うことは意味のあることだと思う。寝る前に読むユーモア小説もリラックスに役に立つ。そんなこんなで、又時間を見つけて読書もして行きたいと思います。

 いろいろ忙しい日々ですが、時に時間を見つけて自分のしたいコトのために時間を使うということは大事なことだと思います。読書でなくてもいいので、自分のしたいことを大事にして行きましょう。ドクターの場合は、今は読書少しと、身体を動かした後の一杯くらいですけど。ちょっと寂しいですね。少ない友達との時間も大事にしたいとは思うのですけど、なかなかできてません。

 ☆乱雑に置かれたドクター部屋の床。皆さんもしたいことやりたいこと、出来る範囲で取り組んでください。先ずは、やりたい気持ちになれるかどうかですね。これも無理せず、流れに任せましょう。良い一日を。不安はありますけど、何とか過ごせますように。

Dr.2322 今日を生きる(7月12日) 

 先ずは今日一日を生きて、美味しく夕食を頂き一杯飲んで寝るのを楽しみにしているのだが、これでは生産性のない考え方のような気もして気が引ける部分もある。しかし、いろんな厄介ごとやしんどいことが起こる毎日を先ずは何とか生き抜いて、ホッとして、また明日を生きるエネルギーを貯めるということは必要なことでもあるとも思っている。

 生きて自分の役割を精一杯やっていると、それが誰かのためになることもある。誰かの役に立とうと意識し過ぎるのは良くないが、自分の存在で喜んでもらえる人もいる。もちろん、合わない人もおられるだろうが、だからといって自分をやめるわけにはいかない。

 生かされて、この世に生を受けている限り、精一杯生きて誰かの役に立てれば嬉しい。それ以上のことをあまり考え過ぎると上手く行かない。

 食べて、寝て、動けることを大事にしながら、一日一日を精一杯、自分らしく、自分のできること、やらなければならないことをやって、一日の終わりにホッとする、先ずは今日一日を生きる、これって大事なことでhないでしょうか。こだわり過ぎない、とらわれ過ぎない、広く柔軟な心で今日も何とかやって行きたいと思います。皆様も、ご自分のペースで、気張り過ぎずに今の自分が出来ることを、できたら笑顔でいきましょう。無理は禁物です、ボチボチ行きましょう。

 ☆5年前の今日、篠山城大書院に来ていたようですね。これが何かという訳ではないですが、5年前の一日の過ごし方を精一杯やっていたようです。出来れば笑顔で。

Dr.2321 置かれた環境(7月11日)

 よく言われるところだが、置かれた環境で育ち方・生き方が変わる。前にもお見せしたことはあるが、数年前に同じ時期に買った桜苗木を机の上の鉢と庭に直接植えたものとでは、成長が何倍何十倍も違ってきている。

 もちろん、庭に植えたものが1m以上になっているのに対して、机の上の鉢の桜は数十センチ、それ以上伸びようにも鉢を変えてやったり、庭に植え替えたりしなければこれ以上にはなかなか大きくなれない感じ。

 ところで、環境によって成長に差はあるが、大きく育つのが良くて、こじんまりがダメだとは一概には言えない。庭に植えたやつは大きくなってきて、枝が塀の外側まで伸びて来ているので枝を切らなければならなかったり、これ以上大きくなれば、今の場所には置いておけない。

 一方の机の上の桜は、毎日水をやって世話をしているので愛着がわいて、春の一輪つける小花を楽しみに一年可愛がって育てている。小さいなりに成長する姿に元気をもらったりもしている(そんなに毎日見つめてるわけではないですけど)。

 結局、どの環境で育つのかもプラスとマイナス両面あるし、そもそもどの環境に置かれるのかも自分(桜)の意志という訳ではなく、一瞬の偶然によって決まっただけのことである。人間に置き換えても、環境によって生き方、育ち方は違うが、何が良くて何が悪いかは簡単には決められない。

 自分の置かれた環境の中で、自分らしく伸びて行くのはいいことだと思うが、他と比べたり、どちらが良かったか得かなどの視点では見られない。自分の置かれた環境を活かして、自分なりの成長をして、周りの人を喜ばせて行ければと思う。

 ☆同じ時に買って、庭に植えた桜と、鉢に植えた桜。どっちがいいとか幸せだとか簡単には決められませんね。置かれた場所で自分らしく。これしかないですよね。今日も何とか過ごして、週末までもぐりこみましょう。皆様お元気で。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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