Dr.2282 自分の時間(5月29日)
淡路島へ出張で、自分で車を運転して1時間半ほど、この間は自分の時間というのか、普段職場でよくある突然の知らせ(だいたい良くない報せ)がない時間で、ある種の安定した時間を過ごすことができた。
帰りも1時間半、都合一日のうち3時間ほど自分の時間というのか、心休まる時間を過ごすことが出来たことに感謝している。当然のように帰って来てから過ごした時間は、なかなか大変な時間だった。
普段大変な時間を過ごしていると、ある種の大変慣れはしてくるのだが、これは良いことではないような。それに比べれば、運転という作業はあっても(車の運転は好きなので)心休まる時間を過ごせたことは本当に有難い、リフレッシュの時間だった。
大変な日々が続いている皆さんも、何とか自分の心休まる時間を見つけてリフレッシュし、ちょっと元気を取り戻して、またなかなか大変な日々を何とかやりくりする(課題を完全解決しようなどと思い込み過ぎない方がいいように思います)ようにしましょう。
自分ができることを(今の自分にできる)精一杯やったら、それ以上はしようがないです。その後の事態は受け入れながら、流れに従い進んで行きましょう。それしかないし、それで十分だと思います。
☆淡路島の震災記念館も覗いてきました。いろいろありますけど、何とか日々をつないでいきましょう。

Dr.2281 いろいろありますけど(5月28日)
「絶こうちょう教育のヒント」というような講演をしている割には、いつも毎日絶好調という訳ではない。簡単に絶好調が手に入らないからこそ、いろんな考え方や行動の仕方を考えているのかもしれない。いろんな人や書いてあることを参考に探し回っているというのもある。
生きているといろいろ、良いことも悪いこともあるけど、特に悪いことにどう対応するか、どう考えて乗り越えるというのか、付き合っていくのかが大事になってくる。ドクターこれまで掴んできたのは、「何事にもプラスとマイナスがあるので一喜一憂しない」「なるようにしかならないし、なるようにはなる」「過去と他人は変えられない(変えられるのは自分と未来)」そして結局、「流れとご縁を信頼し任せて、今日生かされていることに感謝し、自分にできる範囲の貢献をしていく」ということになる。
というわけで、今日も流れの中で、自分にできることを精一杯(でも無理し過ぎない範囲でボチボチ行く考え方も大事にして)やっていくしかないし、それでオッケー。自分も完璧でないので、いろいろ至らない点もあると思うけど、自分にできるベスト(ベター)をやれば、それ以上はどうしようもない。そんな考え方で何とか先ずは今日一日をボチボチ全力で自分らしくいきましょう。皆様、ご無理され過ぎませんように。何より先ずはご自分の体と心が大事です。
☆この前の夕方に見た夕焼け。


Dr.2280 久しぶりの講演(5月27日)
本当に久しぶりの80分の講演を行った。100人ちょっとの参加者だったが、1時間半ほど(実際には85分ほどでした)多くの皆さんの時間をお預かりするのだから、ちょっとした緊張だった。
冒頭、「今日の講演が皆さんに何らかのヒントになるかどうかは自信ないですが、自信があるのは自分が楽しく講演をすると言うことです」という話から始めた。これはある種本音だったし、つかみのつもりだったが、期待していたほど「笑い」につながらず焦った。
その後、むか~し撮ってもらったテレビ番組の録画を流して、ちょっと受けたが、その後パワーポイントを使って話し始めると、今一つな感触になってしまった。話の途中で手遊び(冒険アクティビティ)を入れたら、かなり盛り上がった。やっぱドクターは話よりも、実際に身体を使ったワークショップだなと思ったが、ようく考えて見れば、昔こういう講演をやっていた時に既に気付いていたことだった。
手遊びの後は、少し集中感がもどった感じで、何とか最後までもった。全体として、そこそこの感触で、これならこういう講演活動でやっていくのもありかとも思ったが、あんまりネタもなく、いつも同じネタで飽きてしまうのもあって、こういう活動だけでやっていくのに限界を感じたのも思い出した。
いろいろと考えが巡って来たが、何にしても人前や講演(ワークショップも含めて)活動は、好きかも知れない。今後の生き方については「流れとご縁を大切に自分らしく」生きたい。これはこの日の講演テーマで、やっぱり「人に言うことは自分に返ってくる」、これは今も忘れていない鉄則だった。
☆久しぶりの講演でした。この感覚、やっぱり自分は好きですね。皆さんが喜んでいただけたどうかは分かりませんけど。

Dr.2279 一隅を照らす(5月26日)
地域の音楽・吹奏楽のコンサートを見に行った。中心になって企画している人に聞くと、このコンサートは市内5か所を巡回してやりたいとおっしゃる。それぞれの地域にある中学校吹奏楽部に地域の人の前で演奏する機会を与えたいということから始められたという。
この方は、地域の大人の楽団のリーダーでいろんなところで演奏をされている方だ。その人が、地域の若者のことも考えて行動されている。地域の方の中には、スポーツ、文化、芸術、教育分野を含め、それぞれの関心がある、特異な分野で活躍されている方がおられる。
別に活躍とまでは言わなくても、好きで活動されている。そして中には、今回の音楽コンサートのように、自分の楽しみのためだけでなく、地域全体のこと若い世代のことも考えて行動されている方がいる。こうした人にいろんな会合で何人かお会いする。一隅というのか、自分にあった分野で地域貢献も含めて自分のやりたいことをやって行くって、自分の元気にとっても大事なことだ。
翻って、自分はどこを照らすのか、照らさなくてもどこで活動するのか考えて行かなければならない。いくつか関心ある分野はあるが、まだ決心がつきかねている。どんな活動に力を入れるかは、流れとご縁を第一に、自分の意思も入れながら成り行きを楽しみを持って眺めて行きます。
☆昨日の地域音楽会の様子です。


Dr.2278 頂く 捧げる(5月25日)
日本人の宗教観は薄いと言われているが、「頂く」や「捧げる」という言葉に見られるように、神というのか、自分を生かしてくれている全ての存在に対する感謝や敬意の気持ちは持っている。ご飯を食べる時の手を合わせての「頂きます」も、お米や食材を作ってくれた人、それが自分のところに届くようにしてくれた人、太陽や水といった自然に対しても、あらゆるものに対して山の頂のように高く捧げもって、それらのお陰で命を頂いていることに対する感謝の気持ちを表しているという。
そういう多くの存在のお陰で生かされ命を頂いていることに対する感謝の表れとして、自分の出来る奉仕、自分の出来ることやものや真心を差し出す(捧げる)ことを大切にする気持ちが多くの人の心の中にある。これはある面、宗教心があるといっても良いのではないかというようなお話を聞いた。
宗教心と結びつけるかどうかは別として、生きていること、生かされていることへの感謝と、それに報いる貢献の気持ちを持って実行することの大切さは常々感じている。それが日本語として「頂く」「捧げる」等がよく使われていると言うことは、多くの日本人の心の中に、生かされていることへの喜び(存在の喜び)を持って、心穏やかに生を紡ぎ(心の平和)、自分にできる貢献をしていくことが生きると言うことだという共通認識(柔らかな宗教心)があるのではないかと思う。
そんな話を聞いて、ドクターがこれまで言ったり書いたりしてきた、「流れとご縁を信頼して(感謝して)、自分にできる貢献(巡って来た役割)を担っていくという生き方・考え方と共通するものがあると意を強くしたというのか、ドクター考え方もこのような古くから日本に伝わる考え方の影響を受けているのかもしれない。
☆今朝はちょっとだけ時間の余裕があり、久しぶりに庭の木々や花々を撮ってみました。まあ毎日嬉しいことも辛いこともいろんなことがありますが、自分の思いを大事にしながらボチボチ行きましょう。

