Dr.2335 田んぼの状態(7月29日)
雨が降らなくて水がないので、田んぼの水の状態が気になる。田んぼの状態もいろいろあって、水に恵まれて絶えず水が溜まっている田んぼ、水は直ぐに入るけど水持ちが悪い田んぼ、丁度良い田んぼ、この前池の水が漏れていて今の水が無くなったら入れる水がなく心配な田んぼ、水を入れるポンプのスイッチが早いもの勝ちの田んぼなど様々だ。
JAの栽培ごよみ通りの水の状態が理想かもしれないが、大概は思い通りには行かない。人生や各人が置かれた状態に似ている。ただ稲も人も同じで、どのような田んぼの状態がその植物、その人にとって最適なのかは簡単には分からない。
逆境が上手く作用する場合もあるだろうし、逆もあるだろう。ベストやベターは尽くすけれども、状況がどのようになるかは、いろんな要素が絡むので簡単には結果とは結びつかない。
今日も出来るだけのことはしますけど、どうなることか。まあしかし、ボチボチ精一杯いきましょう。結果は心配し過ぎず、流れとご縁に任せるしかないですね。
☆丹波市のリニューアルした恐竜の館です。動物の進化でも、何が良かったのかどうかは(後からは言えるけど)環境の違いもあって、その時には簡単には決められないと言うことを学びました。

Dr.2334 まとめるのは難しい(7月28日)
この土日にため池の落水を実施した。水利組合長なので、みなさんの声を聞きながら、いつどれだけ実施するか、最終的に決めなければならない役だ。4つの池があって、基本は朝7時から、夕方6時まで二日間落水する。
しかし、まだ水が当たっていない田んぼがあって、もう一日追加してほしいと言われるとそれを決めなければならない。いくらでも池の水があれば、いくらでも落とせばいいが、限りがあるのでそういう訳にもいかない。
一人の意見があっても、全体としてどう判断するのかが難しい所だ。結局3つの池で、半日という妥協策を取ったが、それでいいかどうかも難しい所だ。
何事にしても、いろんな意見、どちらの意見もあって、まとめるのは難しい。今日もそんな難しさが考えられるが、無功徳の精神で、無心で全力で向かうしかないと思っています。
いろいろ難しいこと多いですが、くじけてしまわず、できることを出来る範囲でやるしかできません。今日も何とかボツボツ精一杯当たって行きましょう。無理はできませんけど。
☆昨日のうちの村で見た夕焼け。こんなシーンもあるんですね。あんまり見たこと覚えてませんけど。皆様お元気で、ボツボツいきましょう。

Dr.2333 無功徳 むくどく(7月27日)
仏教用語で「無功徳」は、善い行いをしても、その結果や見返りを期待しないことを指します。つまり、功徳を積むことを意識したり、それを期待したりするのではなく、無心で良い行いをすることです。
言葉自体は知っていたし、前にも紹介したかもしれませんが、この頃身辺の整理をしていて、「無功徳」の色紙が出て来て、今このタイミングでこの言葉に触れるとは、何か大きな力の意志かなと思って、皆様にも自分にも改めて紹介します。
ここからはドクター解釈ですが、「無功徳」をもっと言えば、自分の一日が(まずは今日一日が)、何かの役に立ったかどうか、意味があったかどうか等も、あまり意識し過ぎず、たんたんんと今自分がすべきこと、できることをやって時を過ごすと言うことではないでしょうか。
人生の意味なども考え過ぎず、今自分が置かれている状態で出来ること、やることを、意味や結果などあまり考え過ぎず、たんたんとやって時間が過ぎ(一日が終わり)、今日も何とか一日を終えられたことをホッとする(感謝する)って感じでしょうか。
昨日は特に何ということなく、池の水落としがあったので、それに関してしなければならないことはやりながら、田んぼ畑の見回りや、ガソリン購入や、夕食購入など(奥様外出の為)、たんたんうろうろと一日を過ごしました。ちょっと誰かの役に立ったこともあるかもしれませんが(こんなこと書くこと、思うこと自体だめですね)、全体としてたんたんと時を過ごしたって感じです。
そして、これでいいと言ってくれているのが「無功徳」だと思います。生きて、一日が送れること自体が有難いことです。その有難さを噛みしめながら、たんたんと自分に出来ること、しなければならないこと、やる流れになったことなどをやって行きましょう。「無功徳」から言うと、ドクターの言って来た「感謝と貢献」の貢献もそんなに気張らなくても良いかもしれませんね。生かされ、生きていること自体が貢献と考えることもできますが、そこにあんまりこだわらず行こうというのが「無功徳」の教えですね。
皆さま、今日もたんたんと無心で、出来れば陽気にボチボチやって行きましょう。
☆6年前の今日の日のドクターです。やること、できること、をやってたようです。見た目は今より元気そうですが。

Dr.2332 人生を楽しむ(7月25日)
中米コスタリカの日本人学校に行っている先生が、休暇で日本戻って来て挨拶に来てくれた。そこで現地の写真で向こうの様子を教えてもらった時に、「プーラ・ビーダ」というスペイン語(コスタリカの公用語)の言葉を教えてもらった。
プーラ・ビーダは挨拶にも使われ、元気で人生を楽しむ、楽観的に物事を考えるという意味もある、人生の価値観を表すような言葉だという。そして、この言葉の通り、現地の人は優しく陽気でとても生活しやすいと言っておられました。
いろいろ心配や不安があるじめじめした日本の最近(ドクターの周りだけかも)と比べて、世の中(世界)には、陽気に毎日を送っている人がいると言うことは励みになる。毎日が幸せかどうかは、経済的や人間関係的だけではなく、自分が決める。
今回教えてもらった言葉や生き方をヒントに、自分の生活にも元気を取り戻したい(かと言ってドクターが徹底的に落ち込んでいる訳ではありませんのでご心配しないでください)。
人生・物事のプラスの面を見て、明るく陽気に行きたいと思います。どこまで出来るか自信はありませんが、やってみる価値はある。なかなか暑さもあって大変ですが、できる範囲でがんばって行きましょう。
☆コスタリカの様子と「プーラ・ビーダ」の言葉を教えてくれた、コスタリカのサンホセ日本人学校に勤めるYさん。人生いろいろあるけど、前向きに行きましょう。ボチボチ「プーラ・ビーダ」

Dr.2331 経年劣化(7月24日)
昨日はパソコンの立ち上げに時間が掛り過ぎて更新できず、ご心配をおかけしてしまいました。歯医者に行けば、(最近奥歯を一本抜いたのに加えて)前歯の被せがとれかかっていたり、別の前歯が割れているのが分かったりして順次治療をしていくことになった。腰の調子も悪く、長く立っていられなかったり、曲がったりしている。
道具も身体も長年使って来たからか、(経年劣化で)いろいろ支障が出るボロボロの状態になってきた。それでもまだ、寝込むことはなく、仕事には行けているので、まだましと言うこともできるのだろうか。しかし、最近はメンタル面でもしんどいことが多く、こちらもなかなかストレスがかかっている。
いろいろ心配事や支障はあっても、今の自分の状態で出来る、あるいはやらなければならない最善の力は絞らなければならないとはと思ってやっているが、どこまで出来ているかは心もとない。しかし、最善の努力をやった後は、それ以上を求められても自分にはできない。
置かれた場所で咲きなさい(この頃では咲く咲かないにこだわらず、ベストを尽くすに変わって来ていますが)とは以前からドクターが言っていたことばで、覚えていてくれる人もあって嬉しい限りだが、自分にも今一度念を押したい。
ともかく、今日も何とかおかれた場所や状況でベストやベターで一日を過ごしたいと思います。皆様もお元気で、ご無理をされ過ぎず、ボチボチ自分らしくいきましょう。物事は思い通りには進みませんが、なるようにはなって行くと思います。希望と笑顔を忘れず、陽気に行きたいですね。


