ささやま冒険教育

お問い合わせ

Sasayama Adventure Project

丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.833 レベルの低い感謝(11月26日)

多くの方が人生を充実して生きる生き方として「感謝」「ありがとうございます」の大切さを説かれている。ドクターも幸せに生きるコツは感謝と貢献だと思っている。でも長い人生、時には感謝を忘れる時がある。素直に感謝できなかったり、不平や不満が襲ってきた時には、ドクターは自分が調子悪かった時(病気で死にそうだった時等)や日本でも世界でも自分よりもっと辛い体験をしている人のことを考えて、今の自分はまだマシ、あの時(あの人たち)よりは恵まれていると思いなおして、感謝の心を呼び戻すように努めている。でもこの感謝のやり方はレベルの低い感謝だとある本に書かれていた。レベルの低い感謝でも、しないよりはマシだがよりレベルの高い感謝(他と比べない絶対感謝)の域を目指すべきだという。その通りだとは思うが、ドクターの説く比較方式感謝はやりやすく初心者には効果大だ。将来的にはより高位の感謝方式を目指すとして、今の自分の魂レベルではこのやり方が有効か。しかし、これはあくまでもレベルの低い感謝方式であることを忘れず、絶えず感謝の常態化目指して精進したい。いつレベルアップするかは拘りませんけど。

 ☆家の風呂桶の蓋が緩くなって新しい蓋を買いにホームセンターへ行ったのだが、サイズが微妙に合わずに何個も買いなおした。こだわらずに生きる術を会得しているはずだったが。栓に拘らなければ風呂の水が確保できず、やはり生きる術はブラッシュアップしていかなければならない。

Dr.832 仕事と休みの境(11月25日)

勤労感謝の日に関する新聞記事で、昨今では仕事と休みの境が無くなる傾向にある、休暇を楽しみながら仕事をするワーケションもその流れの中にあるみたいなことが書かれていた。ドクターは現役の頃から勤務時間を時間で区切るのではなく、勤務時間外であっても勤務に関する閃きがあればそれを仕事に活かす作業(つまりは仕事)をし、勤務時間内であってもボーっとしたり頭を遊ばせる(つまりはそれが創造性の陶冶につながる)時間を持っていいと思っていた。このドクター流「公私混同の勧め」は公務員の働き方としては許容外だと思うが、定年後なら大きな声で推奨できる。仕事も趣味もボーっとした時間も入り混じって、全てが生きるということにつながっている。仕事と言ってもそこに生産性や効率ばかりを追求しなくても良いし、体力づくりや時間つぶしの要素が入っても良いというのか、1日を楽しく飽きないで過ごせて、1日の終わりに程よい疲れとお腹の空きがあるのが良い。「人生は所詮生きてる間の時間つぶし」という観点に立てば、仕事と休みを分ける必要はなく、どうせ時間を潰すのなら、「自分も楽しく人にも喜んでもらえるような過ごし方が良い」ということになる。さらに言えば「人が喜ぶかどうかは人の都合による」のであまりそれを意識し過ぎず、人が嫌がることは出来るだけしない範囲で、自分が満足できる時間の過ごし方をするのが良い。そうして上手く行けば人が喜んでくれるみたいな脱力感人生論が良いように思うのだが。

 ☆お気に入りの喫茶店でモーニングを食べながら、仕事と休みについてボーっと考えるドクター。そのこと自体が良い時間の過ごし方だ、結論は上の通り大したもんじゃないけど。

Dr.831 お天道様は見てる(11月24日)

いつも行くトレーニングセンターの駐車場が一杯だったので、遠い駐車場にするかトレーニングをやめて帰るか思案しながら進んで行くと、通常は駐車禁止の「歩行者用通路」に停めている車があって、その向かいが空いていたのでつい停めてしまった。逡巡しながら停めて外に出ると、それをたまたま近くにいた顔見知りの人が見ていた。「やっぱ(ここに停めるのは)まずいですよね」と言うドクターに対して、その人は「今日は雨も降っていて歩行者もいないので、(そこに停めても)いいんちゃいますか」と言ってくれたが、公明正大に生きるドクターとしては恥じ入るばかりだった。滅多にしない、たまたまの悪事だが、「お天道様は見てる」というのか、「悪事はばれる」というのか、つくづく悪いことは出来ないと実感した。たまたま、その時に限ってと言うことが、たまたま、その時に限って見ている人がいるものだ。今後はこの教訓を忘れないように裏表なく生きたい。それにしても、たまに良いことをした時には、誰も見ていてくれないのは不公平なように思うが、誰かに褒めてもらおうとしてやるようなせこい善行ではだめだということか。これも時々だが、自分の行為が良い方に過大評価される時がある。お天道様は本当に見てくださっているのか。いやいやお天道様を疑うのではなく、お天道様の目を警鐘として、自分の行いを正していきたい。そうすればお天道様は時々褒美をくださる。勿論、褒美を当てにするのではないけれど。

 ☆お城前広場で行われたイベント。この日はちゃんと駐車場にとめて見に行ったが、高校生やら子ども店長やら、嬉しい子どもの成長の姿を見せてもらった。やっぱりちゃんとお天道様は見てはる。

Dr.830 物忘れ功罪から(11月23日)

新聞の新書紹介欄で気になる本を見つけて、いつか購入しようと手帳にメモしようとしたら、以前のメモが残っていて数か月前に購入した本であることが分かった。慌てて机の上を探したら埋もれた書類の下から出て来た。以前に買った本と同じ本を購入したということは過去にもあったと思うが、こんなに時間が近いのはショックだ。でももう一度読み返してみて、この内容なら忘れても仕方ないとちょっとホッとした。文章が軽いというのか曖昧というのか、結論がはっきりしないというのか沢山ありすぎる。そのくせ掴みの章立ては上手いというのか、心惹かれるキャッチコピーにあふれている。新聞でもその章立てキャッチコピーに惹かれて買おうとしたし、そのコピーにある事柄自体は今でも関心がある。テーマは「定年後の生き方」や「孤独との付き合い方」「元気な人生の送り方」みたいなことで、日頃からドクターの関心があるコトだ。このショックな物忘れから二つのことがいえる。一つは脳の老化、物忘れがますます進行しているということだが、もう一つは自分が関心のあるテーマは追求しようという意欲は衰えていないという、あながちマイナスとは言えない側面だ。そもそも自分には(その年齢にあった)「よりよい生き方」への関心自体が旺盛にあるということに気付けたことは嬉しい。齢を取ると、物事への意欲や関心自体が衰えるらしいので、自分はまだそんなに衰えていないということだ。もの忘れ自体も不便なところはあるが、また新しい本を買った気分で前に買った本を読めるというメリットもある。「もの忘れ」も他のあらゆることと同じくプラスマイナス両面あるということか。ともかく生きてると嫌でもやってくるものなら、その事のマイナス面ばかり見ずに、プラス面を認識して元気に自然に生きて行きたい。

 ☆黒豆の乾燥機を組み立てるドクター。1年ぶりなので忘れていることも多いが、依然と同じようにきっちりではないとしても、以前より時間が掛ったとしても、何とか組み立てることはできた。時間はいっぱいあるし、何とかなったのなら、それでいいじゃないという気持ちだ。人生の他の事にも言える。

Dr.829 新たな発想(11月22日)

黒豆の葉っぱ取りに追われている。定年後の生き方やE判定を受けた検診結果への対応や将来の不安や天井裏の動物(イタチか?)の物音等にも追われている。後の不安はさておき、葉っぱ取りについて新たなやり方を聞いて実践してみた。これまでは葉っぱをとってから軸を切って、数本寄せ集めて乾燥させる(専門用語で「島立」という)という一般的な方法でやっていたが、今回ある人から先に軸を切って(葉っぱの付いたまま)干してから、乾いたところで枝を持って振ったら乾いた葉っぱや枝が簡単に落ちるというのを聞いてやってみた。ちょっとした違いで誰でも思いつきそうなことだが、これまでは従来通りのやり方に縛られてそれでないといけないと思っていた。言われてみると、先に軸を切った方が乾きやすそうだ。何故こんな簡単なことが思いつかなかったのだろう。固定観念というのか、これまでの習慣というのか、周りの人が誰もやっていないというのか、いろいろ理由は考えられるが、大変でも面倒でもこれまで通りのやり方でやっていた。新しいやり方はまだ乾燥後の枝振りをやっていないので結果的に効率的なやり方かどうかは分からないが、新たな発想で新しいやり方をやってみたという満足感は大きい。結果的に前のやり方が良かったということになるかもしれないが、そうなったら前に戻せばいいだけのことだ。何事も新たなことは成功するかもしれないが失敗するかもしれないというリスクはある。でも新たな発想、新たな視点がないと発展はない。今回黒豆の乾燥作業で新た取組が出来たことは本当に何か気持ちよい。これは是非、他のことにも応用して、定年後の生き方や人生の捉え方についても新たな発想や実行をやってみたい。

 ☆新たな発想でやってみた黒豆の葉付き乾燥。新たなことをやってみるワクワク感を教えられた。ちょっと大層な言い方ですけど。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

  • アーカイブ

  • New

    2024年5月8日
    Dr.1943 最悪から比べれば(5月8日)
    2024年5月7日
    Dr.1942 日々の積み重ね(5月7日)
    2024年5月6日
    Dr.1941 マイナスをプラスに(5月6日)
  • ページのトップへ戻る