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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1374 バタバタ人生no.7

 ドクター人生がバタバタであることについては何度も書いている。昨日も朝から村の出役で猪柵の点検行ったり、臼すりしたり、稲刈りしたり、籾を田んぼに捨てに行ったり、なんやかやとしているうちに、外は真っ黒になっていた。

 晩方、シャワーで汗を流して一杯飲んでコロリで一日が終わった。ほとんど目の前のことと、次やる事だけに集中し、勿論緊急連絡にも気を配りながらですけど、あっという間に一日が終わった。こんな感じで最後まで行ったら、忙しいけど、どう生きるか等について悩まなくても良いことは良い。

 やる事何もないよりはバタバタ人生の方が良いような気もするが、やる事があるのと時々ゆとりがあるのとバランスが良いのが一番いいが、人生そう都合のいいようには行かないから。

 昨日ふと、バタバタ臼すりしている間に、作業小屋から見える山景色の中に落ち葉が群れ飛ぶのを見た。こんな感じも良いなと思いながらひと時を過ごした。これってヒントになるかもしれない。バタバタの中にも、ふと時間の止まった美しい瞬間を感じる。こんな感じを少しでも多く持てるように行きましょうか。

 ☆バタバタの中にも月をめでる。ちょっとは人生達人近づけたでしょうか。まだまだ本物ではないと自分で思います。皆さん、自分の人生のいい過ごし方、深めて行きましょう。

Dr.1373 才能(9月10日)

 久しぶりに美術館の展示を見た。その特別展はガラス作品の芸術性と実用性を兼ね備えた、フランスの作家の展示会だった。その作品の瓶や装飾品を見て、ホントに美しく、とても誰にもできるものではなかった。

 世の中にはこの作家だけでなく、素晴らしい作品を作れる才能を持った人はたくさんおられる。しかし、その多くは努力だけでは成しえないものがあるのではないかと思った。

 何も芸術家の才能だけが素晴らしいのではなく、スポーツにおける才能や科学における才能、文学における才能などいくつも才能の分野はあると思う。また、才能のない人がダメなわけではなく、ないならないなりに生きればいいだけのことだ。

 さらに才能の程度もいろいろある。とすれば、誰でもどの分野かにいくばくかの才能と言うのか適性を有していると思う。できれば、自分の才能なり適性を活かせるジャンルで生きて行ければとは思う。

 自分がどの分野にそこそこの才能を持っているのか、長く生きていると少しは分かってくる。なかなか思い通りには行かないが、できれば自分の得意分野を見つけてそれが生かせればと思う。今回の作者のような圧倒的な才能はないにしても。

 ☆なかなか誰にでもできるものではないガラス工芸作品。ドクターの適性はどの分野にあるのだろうか。

Dr.1372 きょうよう(9月9日)

 高齢者の方の文集を読んでいると「教養と教育はないけど、今日用と今日行く(ところ)はあるから今が幸せ」みたいなことが書いてあった。皆さんご承知だと思うが、「教育と今日行く(ところがある)」「教養と今日用(がある)」は、高齢者が元気に過ごすのに必要なものを掛け言葉で表したもの。駄洒落だが、結構本質を示している。

 ドクターもこの言葉は知っているが、これまではどちらかというと「今日用があるコトや行くところがあることも大事だが、本物の教養や教育があると、同じ所へ行ったとしても、興味関心が増して楽しみが増すから、教養と教育は大事ということを忘れないようにしたい」みたいなことを言ったり考えたりしていた。

 しかし、今回の投稿を見て、教育・教養よりも、「今日行く」「今日用」の方が数倍大事だという意見があるコトを知った。やはり、定年退職者や高齢者にとって、行くところ、用事があるということが大事だということだ。

 問題は大事だとしても、そう簡単に行き場所や用事が見つからない人もいるというところだ。割と簡単に見つかる人もあれば、人付き合いなどが苦手で、行き場所や用事を見つけられない人は多いと思う。本人のせいだ、本人が頑張るしかないと言われるかもしれないが、がんばればなんとかできる問題ばかりではない。

 そこで、何かヒントになることはないかと考えている。「比較的うまくやっておられる周りの人を真似る」というのが一つのヒントだが、こんなん参考になりますか。ドクターの周りで、行き場所や用事があって元気な人は、農業や村役をやっている人だけど、他にはないの知らん。これは、自分が農業や村役が嫌と言うことではありませんよ、念のため。これからもヒントを見つけて行きたい。

 ☆やる事があるうちに、やる事が無くなった時どうするかのヒントを探したいドクター。また流れでやってきますよ、だけではすまんでしょう。

Dr.1371 みんな大変(9月8日)

 いろんな人と話をすることがあるが、少しつっこんで聞いてみると皆さんいろいろな悩みを抱えて大変そうだ。人間関係に関するものが多い。それもどちらか一方が100%悪いということではなく、相性によると思われることも多い。

 どんなに良い人でも相性の合わない人はおり、どんなにある面に優れている人でも苦手な分野がある。皆さん、私に問題を解決してくれと言われてるわけではなく、話や報告を聞くだけだ。

 そもそも自分に人様の長い間や深く悩まれていることを直ぐに解決する力量などなく、自分の気持ちを元気に維持するのに四苦八苦している身だ。それでも、立場上や気の合う人は相談してこられる。

 こちらは、「大変ですねー」と聞かせてもらうだけだが、自分の中には、「みんな大変なんだなー。大変なのは自分だけでないんだ」というある種の連帯感を感じる。

 みんな大変だけど、そこを何やかやとやりくりしながら、しのいでいる。その点、深くや長くは話さないで、軽いトークや挨拶だけで行き交う人との接触はお気楽で気持ちがいいが、軽い挨拶の交換も深いコミュニケーションもどちらも大事と思われる。

 何でも物事は軽重、良し悪し、深い浅い、表裏等両面あって、一生のうちには両面がやってくる。一日中、一年中、一生、表ばかり、吉ばかりということはない。しんどい部分や暗い部分を乗り越えながら、明るい部分や楽しい部分を味わうのを楽しみに、元気の源に歩んで行きましょう。

 さて、今日はどっちの面が多くあらわれるのでしょう。出来れば表や吉がいいけど、そればっかだと後が怖いような気もするし。まあ、ほどほど、ボチボチ行きましょうと言うことでしょうか。

 ☆ウチの奥様がこの頃集めてきた、家のあちこちにあった処分品。この子たちにも光が当たっていた頃はあっただろうけど。

Dr.1370 定年うつ(9月7日)

 定年後にうつになる人や、老人性うつになる人の話を聞く。定年までは仕事や子育て等でがむしゃらにやってきた人が定年後に元気を無くしたり、定年後は何とか元気にやって来た人が60代70代のある日急に元気や意欲が無くなることがあるらしい。

 気持ちはよくわかる。ドクターとしても紙一重(は少し言い過ぎで紙二重ぐらいか)な感じはある。無二の親友も無くなり、今は何とかやるべきことがあるので、寂しさを長く感じてる暇がないのが救いのような感じで、これがやる事が無くなったら、心の張りも無くなるのではないかと心配だ。

 どうしたら最後まで元気に陽気に暮らせるかには非常に関心があり、関係の本なども読んでいるが、結局は自分の答えを見つけなければならい。

 日常的には何度も言うように「流れを信頼し、流れに任せて安心して生きる」が生き方の指針になっているし、大体の日はこの考えで元気に過ごせているが、一昨日の夜のように時々隙をついて虚しさが押し寄せる。

 この時々が、もっと頻繁になったり、悩みが深くなるのを心配している。身体を動かし、やるべきことを見つけて、続けていくことが大事だと思うが、問題は何がやるべきことかだ。

 いろいろ考えるが、なかなか思い当たらない。結局はその時の流れでやるべきことが決まってきたような人生経験を持っているので、これからもやるべきことがやってくるようにも思うが、もしやってこなかったらと不安もあったりする。また弱気癖が頭をよぎる。陽気で元気だったり、弱気で落ち込んだり、バタバタ忙しい。結局バタバタ人生、実際の行動だけでなく、精神的にもバタバタだ。

 ☆玄関先で人知れず咲く、小さなバラ。愛おしい。バタバタ人生だからこそ、静かで凛と落ち着いた花に惹かれるのだろうか。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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