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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1434 お調子もん(11月16日)

 市長の学校訪問に付いて行って又やってしまった。「みなさんの若い力でまちづくりをがんばろう」「おー」というエールはいつものことだが、それだけでは寂しいだろうと場所が畳の武道場だったので、「むかしやった技を見せます」と言って、柔道飛込前転と剣道の打ち込み足、空手突きのグダグダ技をやった。

 人に喜んでもらう何かをやりたいという、お調子者(おちょうしもん)気質はこの齢になっても変わらない。身体の方が付いて行かず、切れのある技ではなくなっているし、やったあとの節々の痛みなどはあるが、「大丈夫ですか」という周囲の心配の声も激励に聞こえるというお調子者魂は健在だ。

 いつまでこんなことをやるのか、やる場所があるのかは流れに任せるが、これは一つの自分の本質だろう。誰にも迷惑をかけず、喜んでもらえる人もいる本質なので、良いとは思うが、もしかしたら顔を背ける人もいるかもしれない。

 でも、そこまで考えると、生きてはいけない。どんな生き方をしても一人でも二人でもそれを善しとしない人がいるとだめという生き方・考え方はしんどすぎる。多くの人に喜んでもらうという気持ちを忘れなければ、少数の合わない人の存在は「まあいいか」と許してもらうしかない。

 まあみなさん、完璧癖はやめて、「まあいいか」精神で「柔軟に」「お気楽に」「自分に優しく」まいりましょう。世の中持ちつ持たれつですから。

 ☆いくつになってもお調子者気質は変わらず、下手な技を披露するドクター。これも流れです。

Dr.1433 若いを喜ぶ(11月15日)

 ある人から「若いですね。52歳くらいやと思ってました。私は人の年齢をあてるのが得意なんですが」みたいなことを言われて嬉しくなった。この齢(実年齢65歳)になっても、若いと言われることが嬉しいとは、どういう心理だろう。

 その人が本心で言ったのか、お世辞でいったのかは分からないが、とにかく若いと言われて嬉しくなったのは本当だ。

 実際にはいろいろ老化現象は感じるが、見かけ若いを保てていることは素直に喜びたい。別に見かけ若いに執着している訳ではないが、普段の生活を送っていて元気が保てていることは有難い。

 老成していない、落ち着きがない、どっしりとしていない、軽い、と言われる性格も一因だと思うが、活き活きしていると見えることは悪くない。

 いろいろと悩みネタも満載で、油断してると落ち込み暗い表情となることが多い日常なので、虚勢でも多少無理してでも元気を売りに明るく行きますわ。まあできるだけですけど。

 皆さま、自分の良い面を維持してボツボツ行きましょう。

 ☆朝のお堀を元気よく泳ぐ鴨たち。

Dr.1432 どんな人生が(11月14日)

 娘の大学の学祭を見に行った。雨の中を特設のリングでプロレスの引退試合を見せてくれたプロレス同好会の学生たちが印象に残った。

 一生懸命の試合で観客を沸かせたが(ドクターが一番湧いた一人)、この後就活や面接が待っているという。プロレスに打ち込んだ学生時代が終わって、後にどんな人生を歩むのだろうか。

 思えば、ドクターも空手に打ち込んだ学生時代が終わって、教員生活や結婚と言う人生が展開していった。

 夫々の人生だから、どう展開しても、それを受け入れて行けばよいが、今回の熱い試合を見せてくれた若者の人生を、試合を応援したのと同じように応援したい。

 と言っても縁もゆかりもないおっさんの応援など具体的には届かないかもしれないが、ふとしたご縁によって人知れず応援してくれる人もいるということだ。こうした人もいるかもしれないということも思いながら、自分の出来るベスト(ベター)を出して進んで行きましょう。でも、力を入れ過ぎずにね。

 ☆青春を思い出させてくれた、学祭でのプロレス同好会学生の熱演。ドクター学生時代、新入生勧誘会では瓶切のギャグをやり、空手道部先輩から叱られました。今もあんまり変わりません。

Dr.1431 人生いろいろ(11月13日)

 新人の面接をした。新卒の子もあれば、いろんな人生経験を経てここにたどり着いた子もいる。全国から、たまたまこの地にやってくる人もいる。

 どこに住むか、誰と住むか、どんな仕事に就くか、いつ転職するか、本当に人生いろいろだと思う。どっちになっても、どのような展開になっても、その流れで人生は進んで行く。

 どれが正解と言うのがあるわけではない。その流れに応じた人生が展開して行くだけである。

 こうなると、自分の人生の展開は大きな流れ様に任せ、やってくるいろんな事態に楽しみながら関わっていくというのが良いように思う。

 思い通り行かなくても(採用が決まらなくても)、それはそれだけのこと、ご縁がなかっただけである。

 切り替えて、これからやることに打ち込んでほしい。いろんな人の人生がその人にとって気持ちの良いように展開していくことを祈っています。自分も自分の人生の展開と気持ちよく関わって行きたい。皆様、ご自分の人生を楽しまれますように。思い通りには行かないかもしれませんけど、なるようにはなっていきますから。

 ☆川横のススキの群生。いろんな流れ毎に美しい風景が見られます。

Dr.1430 結局まあいいか(11月12日)

 いろいろと心配なことは増えてくる。人の名前はどんどん出てこない、腰が痛くなって長い間たっていられないなど不安材料には事欠かないけど、不安に思い煩っていれば何とかなるわけでもないし、余計に悪化するとも思われるので、結局どこかで心配思考をやめた方が良い。

 そのきっかけに「まあいいか」が効く。大きな声で「まあいいか」と叫んで、心配連鎖に区切りをつけ、残存能力・残存資産(お金だけの意味ではありません)で日々を生きて行くしかない。「行くしかない」と言ったが、本当は「生かされている。まだまだ生きている。出来ることもある。幸せだ。ありがとうございます」というのが正解だ。

 気を付けないと、心配や不満が先に来てしまうので要注意だが、つい心配思考に入ってしまうのが人間なので(ドクター説)、そこから抜け出すのにも「まあいいか」がとても役に立つ。

 もっと言えば「まあいいか」の中には、諦念・感謝・流れに従って生きる覚悟・喜びなど、ドクターが人生を生きて行くのに必要と思うことが包摂されているとても素晴らしい言葉(「悟り」かもしれない)だ。

 ドクター人生を一言で表すなら「まあいいか人生」、これでいきたいとさへ思う。世の中には「まあいいか」を消極的・ネガティブに扱う風潮があるのがちょっと残念だが、そういう周囲や他人を気にするなという教えも入っている「まあいいか」、結局これで生きて行きますわ。

 ☆「まあいいか」とともに元気に歩んで行くドクター人生。バタバタな日々ですが、ふと足元を見てみるととてもきれいな葉っぱがありました。ありがたいことです。まあボチボチ行きましょう。悩みに出会ったら「まあいいか」で終止符を打って、笑顔と上機嫌に戻りましょう。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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