Dr.1006 アドバイス(7月13日)
トレーニングでいつも出会う教え子の先輩が珍しく向こうから話しかけてきた。「なかなか太れなくて、どうしたらいいんですかね」
向こうから話しかけてくれたのは嬉しかったが、質問には驚いた。太ることに悩む人はいても、太れないことに悩む人がいるとは。確かに彼は細身の若者だが、トレーニングもしているので痩せているというよりは、ぜい肉がないのであって、一般的には理想的な体形だと言える。
それでもどうしても太りたそうなので、冗談交じりに
①早食いして、食べてすぐ寝る。
②間食する。
③甘いものを食べる。
「全部、私がしていることやけど」と答えたら、「ありがとうございます。やってみます」
というからさらにびっくり、慌てて
「む む 無理して太らんでいいで、今言ったのは身体に悪いから」
と訂正した。
世の中にはいろんな人がいるもんだ。そしていろんな人と話すのは面白い。
☆最近良い写真ないので昔のです。懐かしい、こんなんもやってましたね。時々は昔を振り返るのもいいもんです。
Dr.1005 節目(7月12日)
このブログが1000回目に何もそれらしいコメントを書かなかったのを不思議に思っている方がいるかもしれない。
ブログタイトルに着けている「Dr.10~」の数字のカウントが自信がないので、その日が本当に1000回目かどうか自信がないというのもあるが、ちょうどきりがよい節目というのを何か特別のように思うことはないという思いもあります。
1年の節目である年末年始、年齢の節目である誕生日などもそうだが、その日が節目だとしても365分の1日ということでしかなく、他の364日と同じ大事な一日であるという思いがある。
節目が大事でないということではなく、他の日常の日も大事だという思いだ。何かが始まったり終わったりする時って急にくる場合が多い。後から考えて初めて、その日が節目だったと思うことも多い。
理屈はともかく、節目はこれまで続いてきた(生きてきた)ことを感謝し、その道のりを思い、これからのことを思う日としては悪くない。でもそれ以上でも以下でもなく、さらに大事なのは数としては圧倒的に多い節目でない日も大事にして、一日一日毎時間毎時間を大事に生きるということだと思っている。
それにしてもブログも校長ブログ約1500回、ドクターブログ約1000回、よくも続けてこれたものだとは思う。これも読んでくれる方がいるからです。こちらからは、誰と誰が読んでくれているのかほとんど分かりませんが、こんな駄文、こんないい加減な人間にお付き合いいただいていること本当に感謝申し上げます。
もう少しお付き合い願えたらこんなに嬉しいことはございません。2000回目まで続けるみたいなことは言いません。終わりの日、その日は人生と同じで突然訪れるだろうとは人生経験上覚悟してますけど、そう大層に構えず自然体で続けられる間続けますので、よろしくお願いします。
☆節目の間の一日。にはこんなこともやってきました。毎日を大事に(自分に言ってます)。
Dr.1004 久しぶりの神戸(7月11日)
妹夫婦に手伝ってもらって予定していた農作業が早く終わって、久しぶりに神戸へ行った。何ということはない用事だったが、久しぶりのドライブと神戸の街並みに元気をもらった。
ドライブ好きだし、退職後も週に何回かは遠出する仕事もあった。その時にはそんなに思わなかったが、やはり非日常というのか、ウロウロするのが好きなようだ。ドライブやウロウロが毎日となるとそれが日常となり、有難味というのか面白さが分からなくなるから難しい。
なかなか実現できないことが時折できるというのが良いのかなとも思う。そのことの有難味とか価値も分かる。
毎日の日常も、本当はかけがえのない得難いことなのだが、それが続くと当たり前となり、その本当の価値が見えなくなる。このように、時折日常の有難さに気付くが、これも毎日となると気付きの価値が薄まるか。
ともかく、久しぶりに神戸の街を眺め、青春時代を過ごした大学の横も通った。もう今から50年近くも前に受験で同じ景色を見て、この大学に入りこの景色を見て毎日を暮らしたいと念じたことを昨日のことのように思い出した。
どうも現在のことは思い出しにくいが、昔のことは生き生きと思い出せるようだ。思い出したからと言って、どうということはないかもしれないが、はるばる生きて来たな、その割には精神的には何にも変わってないな、とか思う。
昔の場に立って、昔のことに思いを巡らす、何の生産性もないように思うが、精神的には満ち足りた時間だった。結局私たちは生産性だけで生きているのではないということだろう。
この日の気付きと、久しぶりの元気を糧に、またこれからの日常を生きられるだけ生きたい。
☆妹夫婦と作業してから神戸に行ったドクター。妹夫婦とも神戸とも長い付き合いだ、その有難さを噛みしめたい。
Dr.1003 いつまでも続かない(7月10日)
「いつまでもあると思うな親と金」という言葉があるが、何事につけ永遠には続かない。その最たるものが「命」だと思うが、それを実感する出来事をこの間経験した。
人間ドックを受ける機会があって健診センターへ行っていろんな検査を受けた。結果が出るまで1月ほどかかるが、検査中に係の人から検査結果についてほのめかされることがある。
裸眼の視力も想像以上に悪かったが、普段はメガネでカバーできてるのかそんなに不便は感じない。
今回の健診で一番気になったのが、腹部エコーだった。通常なら数分で終わるはずが、何回も器具をあて直し、体位を変えて、長い間続いた(自分では何十分もかかった感じだ)。
いつもより長いことに気が付いてから、何かがあるのだと気になり、あまりに長いので、これはとてつもなく大きい腫瘍(ガン)でも見つかったのではないかとかつてに思い、余命いくばくになるのかと気が気ではなかった。
人間ドック検査を受けるまではそんなことは考えもしなかった。人生はいつかは終わるのだということは、動かしがたい事実なのだが、いつもはそんなことは考えず、人生がいつまでもあると思って暮らしている。同じようなことが続く毎日に時にうんざりしながら、それが有難いことだとはなかなか気付けない。
ところが今回、長いエコーですっかり自分の余命は後数か月かと思い定め、日頃の何気ない毎日の有難さを痛感できた。
検査の終わりごろに勇気を出して「何か見つかりましたか」と尋ねてみると、「肝臓やったか膵臓やったかの(そこ大事やろ)形がおかしいので、何度も確かめてみた」みたいなことを話された。それがどの程度命と関係するかはいま一つ定かではなかったが、即入院ではなさそうな感じ。今後の展開は油断できないが、人生が有限だということを思い出させてくれたのは意味があった。
同じ年の友人が急に体調を崩して逝ってしまった時には、自分の残りの命もいつどうなるか分からないと思ったが、それもいつの間にか日常の用事にかまけて、忘れてしまっていた。
今回の検査を契機に、今一度人生の有限さを思い出し、毎日を大事に生きたい。だからと言って、事態が激変するわけではないけど、少なくとも毎日を感謝しながら生きて行きたい。
☆久しぶりの人間ドックで人生の有限さに気付いたドクター。毎日を大事に、いけるところまで生きたい。
Dr.1002 あなたもですけど(7月7日)
久しぶりに出会った息子の塾の先生から「息子さんは、周囲も巻き込むほどマイナスオーラ出すときも多かったけど、チョット良いことがあると喜びまくる。(そこが可愛くて)好きな生徒でした」と聞かされた。
「(自分があんまり知らない息子の一面を聞かせてもらって)ありがとうございます」と返事し、
内心、「息子も感情をコントロールできないとは、まだまだ青いな」と思った。
帰って妻に話すと、「あなたと一緒ですけど」と事も無げに言われた。
確かに自分も落ち込みやすいとこあるけど、この頃では大分マシになってきたと思っていたが、まだまだ機嫌の良し悪しが激しいらしい。
落ち込みやすいけど、ちょっと嬉しいことがあると直ぐに有頂天になるとこ、遺伝らしい。
息子の話から自分の性格の特性再認識できたけど、さてどうする。遺伝の要素が強ければ直すの難しそうだけど、まあできるだけ周囲に迷惑かけない程度には感情コントロールに励むか。出来る範囲ですけど。
こんな適当なとこも受け継いでくれていたら結構お気楽に生きられるんだけど。どうだろうか。
☆用事も兼ねて久しぶりのドライブ。田舎道でこんなお店見つけて駄菓子買いました。こんなん好きなとこは遺伝してるかな。