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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1369 眠れない時間(9月6日)

 このところ深夜に1~2時間眠れない時間が出来てしまった。夕食後の一杯で即寝するので、直ぐには眠りに入れるが、4時間ほどでオシッコのため目が覚める。通常ならその後またすぐに朝まで寝つけていたが、このところ再び眠りが来るまで、布団の上で目を閉じている時間がやって来ている。

 寝たか寝てないか分からないもんもんとした時に、夢かホントに過去にあったことか分からないようなことが頭の中を行ったり来たりする。特に昨夜はそれがきつくって、今となっては確かには思い出せないが、過去に自分が子どもたちのためにやっていたことが、実は彼らのためになっていなかったというようなシーンが去来したような気がする。

 実は以前にも悪夢というのか、悪い印象の夢をずっと見ていたのだが、これまでは直ぐまた寝てしまうので夢が思い出せないままになっていた(スッキリ目覚め、頭もスッキリ)のではないかという疑念まで出て来た。

 悪い夢を見てても思い出せないのなら良しとしなければならないが、最近のようなこと、特に昨晩のようなことが続くと弱ってしまう。何とかしたいが、どうしたら良いのかも分からない。なんせ、寝ている間のことなので意志の働かせようもない。

 となるとここはやはり、流れに任せるしかないか。何事も流れ任せでは主体性がないようにも思うが、ここは原点に立ち戻って、主体的に流れを尊重する人生を選んだんだということを忘れないようにして、この夜の悩みの解消も流れを信頼して任せるようにしたい。

 ☆台風近付いているというけど快晴の空。汚れは窓を拭いてないからです。台風時でも晴れ、晴の予報でも雨の時があります。ここは科学だけでは解明できない流れの大きさを感じます。

Dr.1368 何も考えない日(9月5日)

 朝から稲刈りに専念した。5時台からコンバインを異動させて、田んぼが離れているのでコンバインで田んぼまで40分ほどかかる。田んぼにコンバインを置いて、走って(他人からは歩いて)帰宅して、朝食をとって、9時くらいから妹に手伝ってもらって臼摺(うすすり 乾燥したもみ殻をこいて中のお米を取り出す)をして、終わってから11時頃から稲刈り。

 家から離れた田んぼの稲刈りが終わると、また40分ほどかけて家の近くの圃場で稲刈り、4時頃に終わると、朝の臼摺で出たもみ殻を稲刈りの済んだ田んぼに撒く作業を終えて、すべて終わって夕食が6時頃で、一杯飲んで寝たのが19時30分頃。

 このように、あっという間の農作業時間で、ほとんど農作業以外のことは何も考えられなかった(もちろん、緊急用の連絡は確認してますけど)。あれこれ悩まないから、これもいいのかもしれないが、あっという間の時間で、これで人生が終わるのも、良いような寂しいような。

 そんなら、毎日あれこれ考え悩むのがいいのかというと、それはそれでしんどい。上機嫌に毎日を生きるのを信条とするドクターとしては、ドタバタのうちにも人生の過ごし方については考えました。今回のテーマは、何も考えないで一日過ごす方がいいのか、考え悩む過ごし方がいいのか、まあ結局は流れに任せて、何も考えない日もあれば、あれこれ考える日もあるということで行くしかないと思ってます。

 そんなわけで、今日も流れに任せて、やるべきことを、ベストというのか自分らしく取り組んで行きます。

 ☆自然は何も考えないで悠然とそこにあるような気がします。参考にして生き方今日も考えます。これ意外と好きかもです。

Dr.1367 生きる考え方(哲学)

 哲学と言うほど精緻なものではないけど、人生についてどう考えるか考えて見た。

 人生の目指すところは人生が終わるまでの期間を機嫌よく上機嫌に生きる、幸せに生きること。自分が機嫌よく幸せを感じるためには、人や世間に喜んでもらえることをすることが大事。

 ということで、自他を喜ばせるように生きる。何をして生きるかについては、ドクターが言うところの「流れ」(世間ではご縁・運・神命・仏の教え・サムシンググレイト・大きな意志等といろいろに言われる)に従って、導かれるところで、その時自分が出せる最良の力(無理するのや歯を食いしばってとはちょっと違って、自然体で自分の持ち味を活かして)でやっていく。

 これまで自分を生かせしめてきた大きな意志を信頼して、今までのように(改良する所は当然あって良いけど)自分らしく生きる。こんな感じでしょうか。

 迷いが生じてきた時には、最悪の想定を思い出し、今がそれでなければ良しとしなければならないと感謝して受け入れていく。

 まあみなさん、今日もしなければならないこと、する羽目になったことを、喜びを見出しながら勤めて行きましょう。もちろん笑顔で。

 ☆昨日のしなければならないことの一つ目、ダムの水量を図る写真撮影。笑顔でしょうか。カメラが悪くってよく見えませんが、だいたいですね。

Dr.1366 高齢期の過ごし方(9月3日)

 高齢期(いつから言うかはともかくとして)の元気な過ごし方について考えている。一つのヒントは周りの元気な高齢者に見習うこと。その点から言うと、ドクターの周りのお百姓(かつてはいろいろなところに勤めていたと思うけどリタイア後はみんなメインは百姓)達は、みんな元気だ。

 ドクターよりも先輩の方が多いが、山歩きなどもドクターよりも元気だ。やはり体を動かすのが良いのだろうか。農業に関していろいろとやることや思案することもある。時には共同作業でみんなで作業することもある。頭や身体を使い適度な人付き合いもある。そんなところがいいのだろうか。

 他にも考え方として、欲張らない、ほどほど、限界を知る、完璧にこだわらない。「まあいいか」みたいな自分を楽にする言葉を持つ。みたいなことを考えたが、どんな老後になるか、いつまで健康寿命でいられるか、節制も大事だが、それだけでは如何ともしがたい定めと言うのか流れもある。

 受け入れながら、できるだけ陽気に生きて行きたい。今のところこんなとこですが、こんなんで参考になります?もう少ししたら、高齢者大学でお話しすることになっているが、逆に秘訣をお聞きしたい。こんな講師でいいんでしょうか。適当ですね。

 

Dr.1365 最悪を想定(9月2日)

 自分の人生で起こるであろう最悪の事態を想定する。死ぬことは最悪かもしれないが、死んだら後のことはいかんともしがたいので、「死」以外の最悪の事態を想定する。

 その最悪の事態を何とか避けられているとすれば、後のことはそれから比べると大したことではないと思えるのではないか。最悪の事態が起こっていないことに感謝して、後の厄介なことはそれと比較すると、耐えられる、耐えなければならいことだと思える。

 この考え方は邪道かもしれないが、実際には莫大な効果がある。それほど、最悪の事態が怖ければ、それが怒らないように日頃から気を付ければ良いというようなものだが、愚かな人間としてはそれがなかなか実行できない。

 最悪の事態が起こらないように祈りながら、その可能性を0にすることができない。そしてさらに、その恩恵(最悪の事態が起こらないこと)を、それ以外の問題解決の発奮材料に使おうとしている。

 この考え方はほめられたものでないので、大きな声では勧められないが(こうしてブログでは大きな顔して書いてますけど)、効果は絶大だと思うので、どうしても困っている人のために、こんな考え方もあるよと紹介している。

 最悪の事態は自分の力だけでは避けられない所もある。今がその事態が起こってないとすれば、大きな力に感謝するしかない。そして、その恩恵に見合う自分ができるだけのことをやっていくしかない。

 そんな訳で、今日も感謝しながら、できるだけのことをやりながら、一日を送りたいと思います。自分も含めて、皆様に最悪の事態が起こりませんように。

 ☆いろんな事情を抱えながら、いろんな人が行き交う駅。大変なことも多いと思いますが、精一杯生きて参りましょう。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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