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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1417 生きる意味(10月28日)

 今日の新聞に、「生きる意味が無くても生きていける」というような投稿があった。その人は、「人は誰でも生まれた意味がある」と言われて、その言葉で救われるのではなく、自分にはその意味が見つけられないと焦ってしんどかったようだ。

 でも、「生きる意味を見つけられなくても、生きていい」みたいな言葉に出会って楽になったということだと思う。

 世の中には、「生きる意味派」と「意味は無くてもよい派」があるように思う。何度か言うように、どちらが正解と言うことではなく、自分にとってどちらで考えた方が楽に生きられるかと言うことだと思う。

 意味があってもなくても、寿命までは生きなくてはならない。その生きる時に、意味を見つけてそれを大事に、それに向かって生きる方がエネルギーが出るという人はそうしたらいい。生きる意味にこだわっていてはしんどいという人は、生きること自体に意味があると考え、日々を機嫌よく生きることを目標(というとちょっと違うような気もしますが)に生きればいい。

 ドクターは今のところは、「日々を機嫌よく生きる」のを目指す派だが、別にそこに大きなこだわりがあるわけではない。流れとご縁でやらせてもらう役割を精一杯(といっても頑張り過ぎず)自分らしくやりながら、周囲の人にやさしく、楽しさを感じてもらいながら生きるだけだと思っています。

 ☆生きてるといろんなこと・人?に出会います。こんな感じでしょうか。

Dr.1416 寒くなる(10月27日)

 寒くなってきました。また一つ季節が進んだのを感じる。季節が進んで、年月が進んでいる。年齢と共に一年が過ぎるのを早く感じるというが、実感する。定年後早5年が過ぎようとしている。

 一日を生き延びるのを目標に過ごしている身としては、一日は長いが(短く感じる時もあるけど)、1年は早い。もう人生の残りがこれだけになってしまったのかという寂しい感じはしてくる。

 どんどんできないことが増えてきている。出来ないことを嘆くよりまだ残っている力、まだ出来ることにフォーカスして元気に生きろという掛け声も分かるが、やっぱり少し焦る感じがあるのも事実だ。

 後どれぐらい生きられるだろうかと数えながら生きるのではなく、毎日を充実して生きるのが大事と言うことはよくわかる。

 どのように考え、どのような生き方をしたら、これから機嫌よく生きられるのか模索が続く。今は何とかやっているが、その後が気になる。流れに任せて安心して良いというのもあるけど、これまでは上手く行ったけど、この先もずっと上手く行くか分からないという不安も正直ある。

 だからその不安を引きずらないために、流れとご縁を信頼しようという哲学にたどり着いたが。それでも時々不安に襲われる。こういう時の対処法も考えながら、最後まで機嫌よくいける道を追い求めたい。

 ☆市の戦没者追悼式。戦時から見れば、長く生きてこんな悩みを持てること自体が恵まれている。

Dr.1415 先ずは今日一日を(10月26日)

 毎日毎日いろんなことが起こる。いいこともあるけど、たいていは良くないことだ。今日はどんなことが起こるだろう。明日はどうなるだろうと、怖れてばかりいたのでは心身がもたない。

 先ずは今日一日が終えられれば良しとしたい。刹那的、短絡的な生き方といわれれば、それはそうだと言うしかない。それは分かっているが、先ずは今を生き延びなければ、そしてできれば機嫌よく過ごせなければ自分がもたないし明日がない。

 そんなわけで、一般的にはお勧めできないが、そうでもしないと生きるのがしんどいという人にはお勧めだ。先ずは今日一日をやりとげる。やりとげた後ホッとする。自分にご褒美を与える。ドクターの場合は、一杯飲みながらの夕食ですけど、これは人によって違うと思います。

 長期的な見通しを持って、目標に向かって生きられればそれに越したことはないと思うが、一日一日を生きるのが大変な人には、なかなか長期的な展望までは描けない。

 先ずは生き続けることが大事だ。そしてできれば、日々を幸せに生きる。毎時間が幸せでなくても、せめてその日の中に一つや二つの楽しみを見出す。そんな感じで、生き延びて行きましょう。先ずは今日一日を自分も、周りの人も楽しくなるように心掛けて、笑顔で行きましょう。

 ☆昨日の楽しみは、ここへの出張で、1時間半ほど車で運転すること。今日も何とか一日を生き続けます。皆さん、ボチボチ行きましょうね。

Dr.1414 あなたがいるから(10月25日)

 「あなたがいるからぼくがいる」歌の歌詞ではないけれど、この人がいるから今の自分があるという人がいる。

 厳しいことを言う人もいるなか、今の仕事を続けられるのは、中にドクターのことを肯定してくれる人がいるからだ。全員に否定されている訳ではなく、自分と同じ考えの人もいる、自分の考え方を支持してくれる人もいると思えることは、どれほど心強いことか。

 思えばこれまでの職場でも、厳しい意見を言われることもあったけど、子どもたちや職員の中にも自分を支持してくれる人がいて、それが自分のやり方を続ける力になった。

 万人に好かれればいいけど、なかなかそうはいかない。余裕のある時には自分に厳しい意見も必要だと思えることもある。しかし、毎回言われたり、そろって言われたりすると結構こたえる。言い返そうと思っても論理的に言い勝つ能力はないし、その人がいなくなっても又誰かが出て来る。

 そんな時頼りになるのが、自分のことをいつでも悪く言わない、自分のことを肯定的に認めてくれる人の存在だ。その人たちのお陰で、今の自分はもっている。「あなたがいるから僕がいる(僕はもっています)」。今のドクターを支えてくれている人たち、これまでからドクターを支えてくれている人たち、このブログを読んでくれている人たち、皆さんのおかげで何とか機嫌よくやっていけています。ありがとう、ありがとう、本当にありがとう。ご恩を忘れず、ドクター流で行けるところまで行きたいと思います。ご一緒に、みんなが元気になれる世界を。(なんか辞世の句みたいですけど、特に何かあったわけではないですので、ご心配なく)。

 ☆よく見ると自分を応援してくれている(と自分が勝手に思う)人や自然があります。

Dr.1413 たった一度の人生(10月24日)

 「たった一度の人生」というタイトルで、元国会議員、前市長のNさんの講演を聞いた。自分の人生を振り返りながら、人生の決断時に気合を入れて、自分のしたいこと、望む方向へ思い切って踏み出さなければならないというお話しだった。

 話は上手でユーモアもあって、とても面白かったが、たった一度の人生とかかけがえのない人生とか固く考えすぎてはいけない、決断にしても自分の意思だけでなく、流れやご縁に任せてお気楽に行こうというドクターの主張とは正反対でちょっと動転してしまった。

 しかし、よくよく考えて見ると、Nさんも自分の意思だけでやりがいのある人生を実現したわけでなく、普通の主婦から国会議員への転向にしても、党の方からそういうお話がやってきたからだし、夫に相談して夫の意見が2転してたまたま出馬と言うことになったと言っておられた。

 これはドクター流に言うと、そういう流れに従っただけということになるのだが。流れ派としても、流れに乗っていくには、思い切りと言うか勇気がいる時もある。そんな時にその思い切りができたのをNさんのように自分の決断と考えるのか、ドクターのようにその決断を自分にさせたのも大きな流れと考えるかだけの違いのような気がする。

 Nさんの言う決断派で折々に決断していくというのが生き方というタイプはそう生きられればいいし、ドクターのようにそれではちょっとしんどいというタイプは、流れやご縁派として無理しない決断(決断と言う言葉も良くない)というのか生き方をしていけばいい。

 ドクター流れ派としても、人生どうなっても良いと言っているわけではなく、そりゃ機嫌よく充実していたと思える方がいい。でも、それにこだわり過ぎていては人生が重苦しくなりすぎるので、たまたまの人生、どう動いているかは流れに任せて、お気楽に日々を機嫌よく生きられればそれで十分と考えようと言っているだけだ。たまたま生まれてきた人生だけど、機嫌よく終われる方がいいとは思うけど、そこへどうやっていくかということだ。せっかくの人生と力を入れるよりは、たまたまの人生と思って力を抜いて考えた方が生き易いということ。どちらも人生の目標は幸せに生きるという点では共通していると思います。

 良かった。Nさんとそう違わない考え方と言うことになって(勝手な解釈ですけど)。勝手な解釈でも自分が腑に落ちるように考える。これも流れ派が得意とするところです。

 ☆スクリーンがあるので時間が余ったら何か移すのかと思ったら(ドクターの講演はそうでした)、話が弾んでまだまだ話したりない感じでした。講演の面白さという点では全くかないませんでした。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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