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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1563 いろんな事(3月15日)

 昨日もいろんなことがあった。嬉しいコト辛いコト嫌な事。当然と言えば当然のことで、生きてると嬉しいことばかりではないし、辛いこと嫌な事ばかりでもないけどそれも起こる。

 こんな中、どう心を整えていくかが難しい。難しいけど、これを進めないと今日も明日も機嫌よく暮らせない。こんな時は腹をくくって、最悪を想定して、最悪の時にはそれを受け入れる覚悟をする。これが決まると、事態を受け入れていくしかない。

 常に最悪の事態を想定するのはしんどいことだし、心が弾むわけでもない。出来ればそこにエネルギーを使い過ぎず、何とかならないものかと思案する。

 思案にもエネルギーを使うが、生きて行くということはそういう面もある。自分の心を整えて、勿論生活も整えて、自他のために生かされている命を活かしきる。それしかないし、それで十分だ。ここにもどって今日も何とかやって行きたい。

 ☆この写真も元気そうですけど、この後いろんなことが起こりました。何とか今日もやりくりします。

Dr.1562 心に留まる言葉(3月14日)

 何気ない会話や日常の触れ合いでも、心に留まる言葉や1シーンがある。思い出してマイナスの言葉やシーンは忘れるに限るが、元気を与えてくれる言葉やシーンは大事にしたい。

 昨日も、「(ドクターが言ったらしいのですが)置かれた場所でやって行きましょう」や「最終的な目的は子ども(市民)のため」という言葉を覚えていると言ってくれた人がいたし、「今の説明(丹波篠山の教育がどこを目指すのか)は分かりやすい」と言ってくれた委員もおられた。

 これらの言葉や何気ないシーンを思い出して元気をもらう。家族の言動も元気を与えてくれる。こうした元気・エネルギーをもとに、今日も何とか乗り切りたい。

 いろいろ心配は尽きないけれども、どうしようもないことはどうしようもない。どうしようもないことは受け入れながら、元気の出る瞬間を大事に見逃さないようにしながら、ボチボチ頑張り過ぎないように頑張りましょう。

 ☆元気をくれるこんなシーンもありました。忘れかけてましたけど。あかんあかん、元気の出るものは忘れんようにせな、ですね。

Dr.1561 教え子(3月13日)

 ドクターが初めて担任した教え子が営んでいる神戸市にあるケーキ屋さんへ行った。教え子と言ってもドクターと10歳しか違わず50歳も半ばになる。

 教え子の作るケーキも美味しいが、そのお母様が作られるサンドイッチ(昔は喫茶店を営まれていた)がこれまた美味しく、今回もケーキ屋さんの中にあるテーブルでサンドとコーヒーを頂いた。お母様にもお会いできて、束の間の心温まる時間を過ごすことが出来た。

 1年のうちにある何回かのホッとする時間。これで元気をもらってまた少しがんばろう。この時もらったエネルギーが長続きしないのがこの頃気になるが、悪いことばかりに目を向けず、明るい面を意識的に見て、前を向いて先ずは今日一日をがんばりたい。

 ☆ケーキ屋さん訪問の後、これまた久しぶりに神戸の街を見ました。このパワーも長く続いてないけど、この写真でもう一度元気を注入します。今日もボチボチ行きましょう。そのうち又嬉しいことがあると思いますのを信じて。

Dr.1560 孤独(3月12日)

 人が野生界で生き延びるには群れる必要があったので、本性として群れる、孤独を嫌う傾向があると思う。定年後定職を去ると群れる機会は極端に減る。だから0にしないように、仕事を続ける、趣味の集まりに参加する、高齢者大学などに参加するなどして人と会う機会をできるだけ作るように勧められる。

 それでも最後は一人で逝かなければならない。その頃は意識ももうろうとしているので大丈夫なような気もするが、孤独を怖れ過ぎないように、孤独と付き合うやり方、心の整え方も修練しておくと高齢期も機嫌よく生きられる。

 その方法はまだ完全には見つけられていないが、徐々に人との関りを減らし(無理しなくても自然とそうなってくるようにも思う)、一人でも楽しめること、楽しめる時間を増やしていくのが良いのではないでしょうか。

 人との出会いが少ないと寂しいが、いつまでもいつまでも昔と同じようには行かないので、徐々に慣れる練習をしていきたい。

 ☆温泉やサウナは一人でも楽しめると思うけど、これも幾つまで行けるかな。その齢その齢での楽しみを見つけるのがいいんでしょうね。

Dr.1559 無事おめでとー(3月11日)

 なにも特段なことが無いコトを「無事」というなら、それは特に悪いことが無い訳で有難いことで「おめでとー」と言えることだ。

 そうとは分かっていても、なかなか「無事」だけで心から「おめでとー」という気持ちになるには修行がいる。何かを達成した時や困難に打ち勝った時に「おめでとー」や「良かった よかった」は言いやすいが、何もない時にそれだけで感謝の気持ちが湧くようになるには気持ちの整理が必要だろう。

 それでも、震災や不慮の事故等の経験があれば、「無事」の有難さがよくわかる。ただ気を付けなければいけないのは、当初はそういう気持ちでも、しばらく当たり前の日常が続く日々が続けば、それになれてしまい、無事は当たり前で感謝の気持ちが遠ざかる。

 「無事」や「当たり前」に感謝が出来るようになれば、日々を感謝の心と上機嫌で暮らせるようになる。どうすれば、無事で当たり前の日常に感謝できるようになるか、これを探る修行の旅が始まるが、この修行旅はやりがいのある旅だけに邁進して生きたい。いいヒントがつかめたら又報告します。

 ☆最近まん丸に近い奇麗な月が見えてます。これをめでられるのも当たり前ではなくありがたいことです。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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