Dr.2201 元気な人たち(2月15日)
久しぶりに講演会の講師をした。高齢者の人達に、「高齢期の元気な生き方のヒント」について、自分の調べたことや考えていることを話した(内容は、このブログでいつも言っているようなこと「無理をしない」「まあ、いいかの考えを大事にする」「柔らかく生きる」「他人は変えられない」「ぼちぼち行きましょう」「流れとご縁に従って感謝と貢献を忘れず生きる」みたいなことです)。
頷きながら、笑いながら聞いては頂けたが、皆さんの中で「高齢期こういうふうにしたらいい」というようなことを発表してくれる人はおられませんか」と聞くと、93歳の方が「毎朝神仏に声を出して拝み、考えをまとめ新聞に投書したり、散歩したり、畑仕事やできるだけ多くの人と話すようにしていて毎日が楽しい」というようなことを発言して頂いた。周りの方も、この方がお元気なのは有名ですみたいなことを言われた。
考えて見れば、ほとんどの方がドクターよりも高齢で、このような講座や趣味の会に参加されている方はお元気で、「元気な高齢期」を実践されている方ばかりで、こちらが学ばなければならないのだった。
それでも人前で話したり(あいさつはよくありますけど)、アクティビティの指導をしたりするのは楽しかった。会場の人の意見を引き出したり、会場と一体化するのは得意かも知れない。この自分に甘い自己肯定感は間違いなく高齢期を元気に生きて行くには効いてくるだろう。このようにチョット自分に自信を持つこともあるけど、不安に陥る時もあるドクター。こうした不完全な姿をさらけ出す勇気を持った人こそ、今時のリーダーにふさわしいというのを、この間の講演で聞きました(これもう書きましたっけ)。
ともかく、いろんな場でいろんな人たちから学びながら、自分にあった高齢期の生き方探っていきたいと思っています。そうそう、高齢期は幸齢期ですみたいなことも話しました。半分は自分に言っているんですけど。
☆「やっぱ自分は講演に向いている」と自己肯定感を高めるドクター。あんまり声がかからないのと、マンネリに飽いてこの道オンリーで行くのを諦めたのをもう忘れているという高齢期の特徴が出ていますが、「失くしたモノを嘆くより、残ったもので勝負しよう」という話もしました。やっぱり講演内容は自分に向かって言っているところが大きいですね。


Dr.2200 やっちまった(2月14日)
老化とともに、「やっちまった」というようなことが多くなってきているが、遂にATMでお金を下ろす際キャッシュカードを置き忘れるという、絶対やってはいけないことをやってしまいました。ケータイに見慣れない番号からの着信があり、放っておこうとも思ったけれど、勇気を出してかけてみたら銀行からだった。
「先ほど当店でお金を下ろされましたよね」みたいな話から、キャッシュカードを預かっているので運転免許証を持って窓口に来るように言われた。今回はお金を下ろして封筒に入れてから、財布にも一部を入れるなどの作業をしたので、その作業後キャッシュカードをそのままその場に残してしまったらしい。一つしたら一つのことを忘れるという、老化に伴いよくある忘れ現象をやっちまった。
これまでいくつもの、「やっちまった」はあるが、大事ではないと、やり過ごしてきたが、今回のキャッシュカード置き忘れは大事につながる。今回は届けてくれた方と銀行の方のおかげで手元に戻り、特に被害はなかったのだが、皆様と幸運のおかげにすぎない。
ショックはショックで、反省すべき点はあるが、落ち込んでばかりもいられないので、視点を変えて、今回置き忘れはあったが、その後、電話をかけてカードをもらいに銀行に行くなどのことはできた。お金も減っていなかったので、そのお金は無くなっていても仕方なかったと思い、ケチケチせずに使おうと思ったりしている。いい気なものですね。
というようなことで、皆様、いろんなことが起こりますが、やってしまったことばかり気にして落ち込んでばかりいず、まだ出来たこと、残っている所に焦点を当て、元気出して行きましょう。ちょっと無理ありますけど、ちょっと無理してでも陽気に行きましょう。
☆ついに銀行カード置き忘れやっちまったドクター。戻ってきたことに感謝して、もっときばって貢献していきます。お世話になった皆さん、ありがとうございました。

Dr.2199 弱さを見せる強さ(2月13日)
女性活躍社会をめざす講演会を聞いた。アンコンシャスバイアス(無意識の偏見・思い込み)ということが言われ、女性だけでなく無意識のうちに「〇〇だからこれはできない。無理だ」などと思い込んで、その人の活躍の機会を奪っているのではないかということだった。
「女性だから重たいものは持てない」だとか、「若くて経験がないからこの仕事は任せられない」とか「時短勤務中の人だから、軽い仕事で」等と無意識に考えて(過剰な配慮で)、やりがいのある仕事から遠ざけているのではないかというのだ。
さらに、管理職のリーダーシップについても言及があり、今求められているのは、かつてのような何でもできる何でも知っている完璧なリーダーではなく、その人その人の持ち味を活かしたいろいろなリーダ像があって良く、中でも「自分の弱さも隠さず、自分もしんどい時があるので、あなたの気持ちはよく分かる」という、自分の弱さをさらけ出す強さを持ったリーダーも大事だということだった。
ドクターも常々、このブログをはじめ自分の弱さ、不完全さを表明しているので、「ヤッター 自分のやり方で良かったんだ」と意を強くした。時代がやっと自分のスタイルに追いついてきたのかという感じで、とても嬉しかった。
弱さを出すのを自慢するわけではないが、誰にでも弱点、しんどい時はあると思う。だからこそしんどい人の気持ちが分かるし、それにどう対処して行けばいいのかを共有できる。ドクター流で言えば、「無理し過ぎずボチボチ行こう」であったり、「自分の思いにこだわり過ぎず、流れとご縁に従ってやる流れになったことをたんたんとやっていく(できるだけ陽気に)」みたいなことだ。
これが強さと言われてもピンとこないが、自分が生きて行くために自分の心を安定させる考え方を探していくしかない。今回の講演会に限らず、いろんな人の意見も取り入れながら、今あることに感謝を忘れず、今日もボチボチ歩んで行きます。
☆生きていると(歩んでいると)こんな奇麗なシーンにも出くわします。皆様、今日もお元気で良い一日を。いろいろあると思いますが、いい面を見て行きましょう。

Dr.2198 柔らかく(2月12日)
時々、こうあらなければならないということに強くこだわる人がいて、対応に苦慮する。言われていることも分かるので、もう少し穏やかな提案なら受け入れやすいが、「絶対にこうしないといけない」と強く言われると弱ってしまう。
人には人の生き方、考え方があるので、そこにとやかく言うつもりはないが、問題はそういう柔らかさがない人とも付き合っていかなければならない、時に重なる時があるということだ。こちらが柔らかすぎるのが課題と言うこともあるのかもしれないが、ドクター的には柔らかく生きると言うことを大事にしている。
人には人の個性や生き方があるので、自分とは違っても「それもあり」と認めて行く。何事にもこだわらず、とらわれず、柔らかくいきたい。ひょっとしたら、「柔らかく生きる」ということに固くこだわっているのかもしれないが、そんなことはないはずなんですけど。
柔らかかろうが、固かろうが、こだわらず自然体で、流れとご縁に従って自分のやる流れになったことを出来る範囲で精一杯やって行く。いつも言ったり考えたりしていることだが、この柔らかい生き方考え方を自分は大事にしています。自分と違う考え方の人も受け入れる、懐の大きさも身に着けて行かなければということだろうと思うので、また自然体で修行して行きます。
☆先日の寒い日に見られた景色。自分の周りの良い景色、良い出会い今日も見つけていきましょう。


Dr.2197 意見を聞く(2月11日)
ウチの市長は「こんにちは市長室」や「お出かけ市長室」等で市民の意見を聞いておられる。昨日初めてその実態を見せてもらった。昨日の「こんにちは市長室」は16時から始まり、当日受付で先着順で話を聞かれる。一人(一組)15分が目安らしいが、30分くらいかかることも結構あるみたい。
私が同席させてもらったのは最初の方で、長年民生委員や民生補助委員をされてきたのだが、本年度で一区切りをつけられるにあたって、民生委員等と自治会のさらなる連携が必要と言うことを言っておきたいということで来られた。
地域の高齢者や援助を必要とされる方を把握し、災害などの緊急時に対応するために、民生委員と自治会(長)の連携が必要と言うことはよくわかる。市長は早速自治会を担当する部署の職員を呼び出して、必要な対応を指示されていた。すごい、素早い対応に感心した。
仕事はもちろん、日常の生活でも人の意見を聞くことは大事なことだ。ただ、厳しい意見も含めてどんな意見も聞くには、メンタル面での強さというのか、しっかりとした信念を持っていることが必要だ。ドクターの場合、まだまだ弱い所があるのでなかなか市長のようにはできないが、自分らしさを活かしながらやっていきたい。
☆カメラ設定を誤って、変な感じの写真になってしまいました。話し合いは明るい感じで進みましたので、写真のトーンとは関係ありませんのでご心配なく。
