Dr.1694 映画鑑賞(8月12日)
市同協主催の人権映画『破戒』を観に行った。部落差別の中で、教育者として果敢に戦った主人公の姿から多くのことを感じ学ばせてもらった。
人間は平等であるということは頭では理解していても、現実の世の中には差別が存在し、人間の弱さから、なかなか差別はなくならないこと。学びや愛情を通して、差別の実態と戦っていくこと、勇気・困難さにくじけない心・真剣な生き方。子どもたちの純粋さ、熱い思い等・・・
久しぶりの感動体験だった。なかなか映画の通りとはいかないかもしれないが、自分も差別のない社会に向けて、精一杯の学びと取組を進めて行きたい。
Dr.1693 いつまで生きる(8月11日)
人生100年時代とか言われ、平均寿命や健康寿命が取りだたされる。90歳や100歳になっても元気な人もいて、誰でもそこまで行けるように思ってしまう。
でも誰にも寿命はあって、永遠に生きることはできない。寿命は人によって違うので、80歳や85歳まで誰でも生きられるわけではないし、長く生きたから幸せという訳でもない。だからと言って、早く逝きたい訳ではないが、願わくば生きている間は身体と頭はしっかりしていたい。
経済面でも、そんなにたくさん財産を残したい訳ではないが、住むところや食うものに困るというのは困る。総合的に考えると。何歳かは分からないが、心身ともに健康で経済的にも特に問題ない状態で生きられるのが良い。
そんなことを考えても、世の中のことすべてと同じように思い通りに行くわけではない。自分の思いは思いとして、思い通りならなくてもたんたんと流れとご縁を大切に生きて行かなければならない。できれば今の恵まれていることに感謝しながら、日々の今できることを楽しみながら生きて行こう。
結局こんなかんじでしょうか?
☆生きてるといろんな行事が回ってきますが、できれば楽しみも見つけながらやって行きたいですね。

Dr.1692 自分の意見(8月10日)
時折、「あなたの意見は?」「どう思いますか」と尋ねられることがある。これまでからいろいろと考えていることなら、即答できるが、新しい事態、新たなテーマだと即答できないこともある。
仕事の場面は別として、個人的な人生・事柄については、流れやご縁、周りの状況などを基に、自分で決めるというよりは、自ずとそうなっていくという形で結論(進路も含めて)が決まることが多いからだ。
それを嫌と思う訳でもなく、自然な形で自分らしいと思っている。この世に生を受け、この家に生まれ、この地域で暮らす、こうしたことをとっても自分の意思という訳ではない。
ものごころついてからは自分で決められることも多いが、だからと言って唐突な決定がしたいということでもない。ご縁とお導きを信頼して、生かされている人生と思っている。そんなこんなで、新たな場面で最初に「あなたの意見は」と答えを求められるのは得意でもなく、ドクター流でもないと思うこの頃です。
今日もどういう一日が展開するのか、大まかな流れはありますが、細かにはどうなっていくのか楽しみながらボチボチ参ります。

Dr.1691 両方聞かないと分からない(8月9日)
いろいろと相談や訴えを聞くことがある。先日も、一人の方から「こんなことはあってはならないでしょう」というお話があった。その方のお話を聞いていると、言われることはよくわかるし、もしそんなことがあるとすれば、早く改めなければならないと思い、どこから手をつければ良いかと思案した。
しかし、実際に動く前にもう少し情報を集めておこうと、事情を知るであろう別の方に聞いてみると、大分に事情が異なることが分かった。最初の訴えの方が言われた一つのポイントの問題発言に近い言葉自体はあったかもしれないが、言われた背景や、その発言の真意から言うと、そういう発言が起こるような事態を招いた事情自体が根本の問題と言うことが分かった。
またその根本事情が生じた背景は、双方の人間関係にあるように思われる。以前から言っているように、この世で起こる問題のほとんどが人間関係から生じている。相性と言うのか、性格の違いと言うのはなかなか解決は難しいものだ。両方の話を聞いてみると、「どっちもどっち」「双方に課題アリ」っていうことだ。そのこじれから発生した問題が周囲を巻き込み、その中で最初の発言に近い表現が出て来たようだ。
この課題の解決には、人間関係の解消、職場の異動等が考えられるが、それも諸事情が絡むのでそういつでも思い通りにできるわけではない。
具体的な話をしていないので、何のことか分かりにくいとは思うけど、要は物事は双方の話を聞いてみないと分からない(一方の意見だけでは判断を誤る)ということを申し上げたい。
上記のことに気付けたのは大事なことだが、さて今回の事態をどうしていけば良いか、これについては関係者と相談しながら具体的に当たって行きます(ここでは書けませんけど)。
そんなことで、ドクター自分自身は人間関係に気を付けながら(そうはいっても相性はありますから、相性が合わない人ともそれなりに大人の対応ができるように気を付けながら)、自分の役割を精一杯(出来る範囲ですけど)やっていこうと思います、双方の意見を聞くのと「忘己利他」の精神で。
☆ウチの庭に咲くユリの花。こんな感じで凛と行きたいものです。

Dr.1690 助けてもらう(8月8日)
トレーニングでもう何年も何回も出会っている人(女性)と初めてはっきりとした会話をした。きっかけは、ドクターがいつものレッグカールをやろうとして、ロックがかかった状態になっていて、それらしきレバーはあるので何度か押したり引いたりして見たが解除できそうにないので、そこらにいた顔見知りで何度か声をかけたことのある人たちに「このロックの外し方知りませんかね」などと声をかけていたときに起こった。
声をかけた人は、やってみたけど「私も分かりません」みたいなことで残念しかけた時、そのひとが自分から声をかけてやってきて「そんなに難しいんですか」みたいなことを言って、何度かやっているうちに「できましたよ」と言ってロックを解除してくれた。
「どうやったんですか」「このレバーを引いたら行きました」みたいな会話が続いて、「ありがとうございました。先に使ってください」「いいえ私はあちらのマシンからやりますから、どうぞお使いください」みたいな会話があって、初めて会話のやりとりをした。こんなに話が出来る人とは思いもしなかった。
なんでこんな長く話していなかった人と話せたかと考えて見ると、きっかけはこちらが「助けてもらう」ことだ思った。弱みを見せるというのか、向こうにしてみたら「してあげた」みたいな感じで、偉そうにではないが、何かそれが一つのきっかけになったのだと思う。
こんな感じで「人に何かを助けてもらう」「してもらう」ということは、相手の警戒を解くチャンスになるのだと思う。これからも勇気をもって、人に「してもらう」「助けをもとめる」ことをしていきたい。相手と仲良くやって行くきっかけづくりとしても役に立つのだから。実際に助かりもするし。
☆ホッケーの市PR奨励金授賞式で、選手のお姉ちゃんと小1の弟と。この弟君は、ドクターが「ホッケーも丹波篠山も盛りあがってイクゾー」と言ったら「タッタラー」とかなんとか言って盛り上げてくれた。「ありがとう君のお陰で盛り上がったわー」と言うと、得意げな顔で一緒に写真に写ってくれました。
