Dr.1794 ブログ反応(11月29日)
このドクターブログ何人かの人が見てくださっているとは思うがその数は定かでない。一応アクセス数みたいなのを見るシステムはついているが、どこまであてになるかははっきりしないし、性格上まあだいたいでいいと思っている。
それでも一人も読んでくれていないというのは寂しいもので、時々(ホントに時々ですけど)反応があるのはホントに嬉しい。この頃はネコちゃん(サリーとかミズとか名乗られています)からリアクションを頂くが、昨夜は20年ほど前に野外教育センターで一緒に活動していた当時学生で、今は教員の人から近況心情メールが届いた。あの頃が自分の教育の原点(子どもと共にある)です、みたいなことが書かれていた。
当時ドクターは指導主事のような立場だったが、指導と言うより、今と同じくバタバタお調子に乗った日々を過ごしていたように思う。それを懐かしく振り返ってくれるのは嬉しい限りだ。
彼がこのブログを見ているとは書いてなかったが、「流れに任せて、置かれた場所で、上機嫌をテーマに過ごしていきたいです」みたいなことを書いてくれているので、普段ドクターブログで言ってるようなことなので、見てくれているのかな。
もしかして、今のブログを見ていないのなら、ドクターは当時からそんなことを言っていたのだろうか。そうだとすれば、一本筋が通っているというのか、進歩がないというのか自分ですね。どっちにしても、明確に覚えておらず大体で生きているというのは変わらないですけど。
☆一応カメラは作動しているようですけど、こんな写真しかなくすみません。まあ大体で機嫌よくボチボチいきましょう。

Dr.1793 カメラ大事(11月28日)
日頃ポケットに入れて持ち歩いているカメラ、普段は何の気なしに使ってるけど、その写真が無かったら、ブログも味気ないので、結構大事だと思っているが、自分が思っている以上の価値であることが分かった。昨日、午後からの行事で写真を撮ろうとしたら、急に「カードが不調です」みたいな表示が出て、写真が撮れなくなった。
その場は何とかケータイで写真を撮ったが、やっぱりドクター的には、写真はカメラでと言う習慣があって、カメラで写真を撮れないのは残念で仕方ない。
この状態が続いては大変と、勤務が終わるや否や、カメラ屋さんに急行して、「カード異常が出るんですけど」と言って、カメラを診てもらった。店員さんにもよくは分からなかったようだが、新しいUSBカードを購入して挿入したら何とか画面が戻った。
いつもは通常勤務が終わってから、職場のブログを書いたり、トレーニングに行ったりしているが、この日は何よりもカメラ復活を優先してカメラ屋に直行。この自分の行動からも、ドクターにとって、カメラが如何に大事かと言うことを再認識しました。ブログ書きも、トレーニングも結構大事にしているものなのに、それを上回ってカメラがあるとは。
そうは言っても、カメラ回復の後、トレーニング行ったし、昨日の職場ブログは今日書く予定ですけど。
☆新カードになってはじめて撮影したトレーニング後の満月と動かなくなった旧カード。この旧カードの中のデータは取り出し無理なんでしょうかねえ。ネコのミズちゃん写真も含めて大事な写真いっぱい入ってるんですけど(涙)。


Dr.1792 オー三唱(11月27日)
11月27日の朝は「あいさつ運動」で駅前に立つ予定なので、朝のブログ更新は無理なので、26日の夕方に更新します。こんなの初めて(のような気がする)。朝に更新できなければ、その日の更新がないのがこれまででした。
更新にこだわるのは、今日出会ったネコ型人間さんが、「ブログ結構見てる人いますよ」と励ましてくれたから。
あんまり考える間なかったので(朝でも同じですけど)、今日のテーマは「オー三唱」にします。オオサンショウ(魚)の話ではなく、26日も朝から「がんばって行くぞー」「オー」のエールを、3会場でやりましたというお話です。
「オー」ばっかりで能が無いようにも思いますが、みなさんに喜んでいただけるかと思ってやってます。また別の思いついたら、いえ、別のをやる流れになったら、それでいきますわ。どこまでいくのか、次に何やるのかも流れとご縁に任せます。それではみなさん、今日も一日がんばって行きましょう。「オー」
☆今日は先ずこんなところから「オー」が始まりました。

Dr.1791 本質は変わらず(11月26日)
朝ラジオから「建礼門院」という名前が流れて来て、奥様から「どういう人やった」って聞かれて、「建礼門院とき子(正しくは徳子でした)やろ。それぐらいしか覚えてないわ。なんせ日本史教えてた言うても、仏像のマネとか阿修羅のかぶりもんとかしてたぐらいやからな」と答えて、今も年齢や立場は変わっても、「みんな元気出して行こう」「オー」って手振りかざしてるから、やってることの本質は変わってないなということに、改めて気付いた。
中身が薄く深みがないけど、元気とおもしろさだけはある。何より人を楽しませて、自分も喜ぶ(達成感を感じる)という傾向があるように、自分の本質は整理できる。
普段はゆっくり自分の性格分析何てやってないけど、考えて見たらそういうことかと思う。そして、又こんなことが許される(周りがどう思うかはひとまず置いてですけど)環境・境遇にいさせてもらっていることに感謝します。
自分の達成感はともかく、自分に出来ることしかできないので、自分に出来ることで、周りが元気になれることをこれからもやって行きたいと思っています。
☆バタバタ走り回ってますけど、気が付いたら自分の家の裏庭も色づいてました。皆さんもお元気で。

Dr.1790 幸齢者(11月25日)
65歳以上の人を高齢者ではなく、その年齢まで生きられた幸齢者、75歳以上を後期高齢者ではなく幸齢者に磨きのかかった高貴幸齢者と呼ぼうという意見がある。高齢者であろうと幸齢者であろうと、若者であろうと、幸せに人生を送る、機嫌よく毎日を生きることは大切なことで、そのためには感謝の気持ちが大事であるというのが、ドクターの考え方だ。
呼び方も大事だが、さらに大事なのは考え方、心の持ち方。幸せかどうかは、気分良いかどうかは、自分の主観・考え方による。いくら世間的にお金や地位があって幸せそうに見える人でも、幸せでない人はいるし、その逆もある。
要は、自分の考え方、ものの見方がポイント。ならば、幸せ上機嫌に日々を生きられるように、考え方を整えることが肝になる。そうした考えのもとに、ドクターが辿り着いたのが、「感謝の心」だ。今自分が生きて生活が出来ていること、それが当たり前ではなく、いろんな幸運・ご縁に導かれた有難いことだと分かると、自然と感謝の心が湧いてくるし、そこから自分のやる道が見えてくる。
流れやご縁に感謝し、日々を陽気に機嫌よく暮らす。これができれば何歳でも、幸齢者と言える。これからも感謝の心を大事に、いきたい。皆様ご一緒に、流れとご縁に感謝して幸せな齢を重ねて行きましょう。
☆この間の農業まつりに出品されていた見事な農作物。ここまでは、とうていようつくりませんが、自分の畑でつくったものは美味しいし、ありがたいです。有難うの気持ちで、幸せな齢のとり方を。


