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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1759 しつこくてすみません感謝(10月21日)

 「感謝の心を持とう」ばかりの話ですみません。でも、まさに今回も感謝の気持ちしかありません。

 一つは、保育園の黒豆収穫を手伝う地域のおじさんとして、黒豆畑の収穫準備(黒豆が倒れないように張った線の撤去等)をしていた時のことだ。大きな蛇が現れて棒で追っ払おうとして、余計に収穫予定の畑に逃げ込んでしまったこと。このまま蛇がいる畑で黒豆収穫しては危険だし、蛇を見かけた園児は黒豆刈りどころの話では無くなり、下手をすると田畑は怖い所と言う印象をもたせてしまうかもしれない。

 どうしたものかと悩んでいると、また蛇が姿を現し、今度は棒で引っ掛けて、対岸の空地へ飛ばすことができ、園児たちは大満足で黒豆収穫体験をすることができた。

 もう一つは、出張で高速道路を運転している時、急に目の前に若者運転の車が突っ込んできて、ドクター車を横切って、反対側の分岐路へ突っ走っていったこと。危うく接触して大事故に繋がるところだった。こちらは制限時速を守り通行車線を真っすぐ運転しているだけだとしても、無茶な相手に接触されれば自分も危ないし、後続の車も巻き込んだかもしれない。本当に命が助かったのも、天のお陰と心から感謝した。

 こんな感じで本当に日々の生活で感謝することは多い。もしかしたら、ドクターは大きな力に助けられてこそ今生きていられているのかもしれない。そう考えれば、いくら感謝し、奉仕してもし過ぎることはない。本当にありがとうございます。

 ☆この畑で園児たちに黒豆収穫体験してもらうことができました。

Dr.1758 やはりキーワードは感謝(10月20日)

 毎日を機嫌よく生きるキーワードは、やはり感謝だと思う。芸能人でも身近な人でも、体調不良やお亡くなりになった話をよく聞く。特に大きな体調不良もなく過ごせている(生きている)ことに感謝しかない。

 昨日もトレーニングに行ったが、5~6人ほどのトレーニング者はほとんどが自分より若い(と思われる)。ドクターがトレーニングに行き始めた20数年前は自分が一番若い方だった。90歳になってもトレーニングに来た人もあるという話も聞いたし、お元気で畑をしている92歳の方にもお会いしたので、まだまだ行けるのかもしれないが、ともかく今これまで同様の運動(強度は下がってますが)が出来ていること、終わった後の一杯が飲めていることに感謝、感謝です。

 感謝を忘れず生きてると、人にそんなにきつく当たることはないし、(いろいろ不十分なところはあっても)自分はまだまだ恵まれている、祝福されていると思える。すると心が安定して、笑顔と自他にやさしくいられる。

 これからも、感謝の心を忘れず、今日もぼつぼつ機嫌よくいきたいと思います。皆様、感謝一番で参りましょう。

 ☆今日は故あって、百姓おじさんから始めます。少しでも感謝に報いたいと思います。

Dr.1757 夢や希望(10月19日)

 「夢や希望を持て」とはよく言われる言葉で、特に学校においては先生が子どもたちに使う。そうは言われても、「夢や希望がない」子も多く、夢や希望がない自分にあせりを感じている子もいた。そこでドクターはよく、「夢や希望が無くても生きられる。生きていれば、自分の生きる道は見つかって行く」等と話して、「先生の話を聞いて安心しました」みたいなことをいう子もいた。

 自分自身が教師になったのも、冒険教育に打ち込んだのも、今の職も自分の夢や希望と言うよりは、流れやご縁に導かれたというのが正直なところだ。

 もちろん、夢や希望がある人はそれに向かって生きて行けばいい、それは大変な道だと思うが、一方では目標がはっきりしているので、生き方に迷うことはないのかもしれない。

 どっちが良いというより、他の生き方も含めて、自分に合った、自分なりの生き方で生きて行くしかない。大切なのは自分にも他人にも機嫌よく接することだと思っているが、これはドクター流の考え方で、中には、時に自分と考え方が合わない人とは厳しい言葉や態度を投げかけて相手を否定ないしは変えようとするのもありと考えている人もいるのかもしれない。

 これもその人の考え方なのでとやかく言えないが、ドクターとしては日々自分の与えられているものに感謝し、笑顔で自分のできる貢献(恩返し)をしていく。できるだけ、周りの人にも笑顔と元気を与えたいが、どうしても合わない人とは無理にこちらから関わって行くことはしないほうが良い、こんな感じでいます。

 まあ皆さん、夢や希望があっても無くても、自分の生き方を大切にして、それと同じように人の生き方も大事にして、懐深く柔らかく和やかにいきましょう。

 ☆この線路沿いの花のように、自分の場所で自分らしく咲いていきたいですね。

Dr.1756 諸行無常(10月18日)

 昨日書いた谷村新司さんの死もそうだが、職場の方のお父さんの死も急にやってきたらしい。齢を取ってくると身体の不調はあるが、命にまでかかってくることはまだまだ先だと思っている。

 ウチの母の場合もそうだったが、80歳過ぎて不調は多くなったが、命にまでかかわってくるとは思っていなかったのが、急に死期がやって来た。

 自分の場合もどうなるか分からない。誰も未来がどうなっていくのか、明確には分からない。だから、出来るうちにやりたいことをしておけとはよく言われることだ。でも、だからといって今急に特別なことをやるという状態にはない。

 そもそもそれほど急にやりたいことがあるわけではない。正確には、よく分からない。今思っているのは、流れやご縁でやってくる役目や役割を機嫌よく果たしながら、日々を笑顔で過ごす。そうした、流れ重視の生き方をしてきて、思い返すといろんな体験や掛け替えのない思いでも作ることが出来ている。ここまで自分を生かさしめている大きな力に感謝しながら、自分の出来ることをやっていきたい。

 諸行無常の世界、この後の展開はどうなるか分かりませんけど。これまで通り、大きな力を信頼して、柔らかくたんたんと生きて行きたいと思います。

 ☆ご縁に導かれて、篠山ライオンズ入会させて頂きました。これからどうなるのでしょう。

Dr.1755 追悼谷村新司さん(10月17日)

 歌手の谷村新司さんの訃報が入って来た。谷村さんと言えば、ドクターが鈴蘭台高校生徒会顧問時代(30代前半)に生徒会のメンバーを連れて大阪フェスティバルホールの楽屋でお会いしたことがある。

 いきさつは、生徒会で決めた文化祭のテーマが「三都物語」(鈴高は神戸市にあった)だったので、歌「三都物語」をつくられた谷村さんに連絡したら、文化祭には行けないけど、近く大阪フェスティバルでコンサートがあるので、そこに来てビデオメッセージを撮ってくれというのだ。

 生徒会顧問のドクターは文化祭を盛り上げるため、谷村さんと同じ髪型(ひげもはやして)をして会見にのぞんだ。谷村さんは鈴高生に対して元気の出るメッセージを発していただき、その様子は文化祭本番で披露した。

 会見の後、コンサートを見て帰ってくださいと2階席前列を用意してくださり、コンサートを鑑賞させてもらった。そしてコンサートの最後に谷村さんが「最後の曲は2階席に捧げます」と言われて、謳われたのが『三都物語』だった。私たちは大興奮でこれは、私達へのプレゼントだと大盛り上がりをしたのを思い出す。

 それからドクターはサービス精神と言うのか、常に場を盛り上げることの大切さを学んだような気がする。谷村さんのメッセージはそんなことではなかったかもしれませんが。

 生徒達にも自分にも大きなプレゼントを頂いた谷村さんのご冥福を心からお祈り申し合上げます。「昨日 今日 あーす・・・」

 ☆谷村さんとの写真はいろんなプレゼンで使わせてもらいました。本当にありがとうございました。長い間私達に大きなメッセージを与えてくださりました。感謝 合掌

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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