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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1309 念願の雨(7月3日)

 念願の雨が降って、ようやくブログを書く時間が確保できた。何せ雨が降らず、ため池落水しても乾いた田んぼに水が吸い込まれて下流まで流れない。水利組合員として気をもむし、自分の田んぼも気になる。

 気ばっかり焦るが、暑さと体力不足で大した作業はできない。母の墓石や位牌の段取りや何やかやとしてるうちに一日が過ぎた。

 念願の雨でやっと少し余裕が出来たわけだが、本当は雨が降らなくても余裕のある日々を送りたい。しかしまあ、これもよく書くことだが、余裕があり過ぎるのもドクター的には暇を持て余す。閑でも忙し過ぎでもない適度がいいのだが、人生思い通りには行かない。

 今朝の新聞にも、思い通り行かないのが人生、自分の思いなどは幅が狭く、広い世界から見ればそんな狭い自分の思いなどにとらわれず、仏や神や人智を超えた世界の意志にしたがって、安心してお任せの人生を歩むのが良いというような記事が載っていた。

 雨も日照りも人智を超えている。それをヒントに狭い自分の思いにとらわれず、ゆうゆうと人生を歩んで行きたい。時々分かるけど、すぐまた思い通りいかないと落ち込んでしまう。情けないようだが、時々でも、「思い通りにいかないのが人生」の摂理に気付くことがあるだけましか。時々晴れ(悟り)のち雨(迷い・悩)の人生、これが流れというものか。迷い悟りながら、行けるところまで行きましょう。結果は流れに任せて。

 今日は久しぶりの雨のお陰で、ゆとりとさとりがあるようです。今だけかもしれないというのはよくあることですけど。

 ☆晴れで余裕のないドクター。一見余裕ありそうに見えますが、本物ではありません。よく迷います。時々悟ったようなこと書くんですが、続きません。こんなもんでしょうか普通の人の人生は。

Dr.1308 人による(7月1日)

 ある高校の同窓会会長にあったら88歳だと言われる。ゴルフや何やらでお元気そのものだ。まだまだこれからだとおっしゃっていた。

 ドクターを含む一般の方々は、最近の熱さにへきへきしているのではないか。相当にまいっている。ちょっと前は休みの日は朝から晩まで農作業していたが、この頃の熱さに昼間外に出るのは危ないと思う。

 暑さやコロナには気を付けなければならないが、そうした要因を差し置いても、加齢に伴う変化への対応は人による。加齢による肉体の変化への対応、肉体だけでなく精神的な対応も難しいと言えばそうなる。

 それを難なくやっているように見える人もいる。内実、本当の所はうかがい知れないが、外からは元気に対応しているように見えるだけの元気はあるということだ。外からの見えなどにかまってられないほど弱ってしまう人も多い。

 ドクター的にはこれまでのところはギリギリ何とか対応しているが、今後は不安だ。不安を超えて対応して行けるように、超人の皆さんの秘訣を盗みながら、自分なりの対処法を磨いていかなければならない。今のところは、流れに任す生き方と、先ずはその日一日を無事に過ごすというものだが、こんなんでこの先も行けるのかしらん。皆さんと共に、元気な60代からの生き方を磨いていきたいです。

 ☆3年前の7月1日の写真。困難に関心があったんですね、3歳若い自分。

Dr.1307 昔覚えたこと(6月30日)

 今朝ラジオ英会話を聞いていて(正確にはラジオをかけていて)奥様が、プロナンシエーションって何やったって聞かはるので、「発音ちゃうか」と答えたけど、昔々に中学か高校で習ったことを今でも覚えている。

 最近のことはでんでん(標準語的にはぜんぜん)覚えてないのに、昔覚えたことは忘れへんというのはどういうことだろう。多分、覚えてるのを思い出すのと、新しいことを覚えるのと脳の違う機能(分野)を使うのだろうとは思うけど。

 普段よく使うから覚えている、意味があるコトは覚えている(どうでも良いことは忘れる)ということでもないような気もする。プロナンシエーションなんて実用生活では全く使わへんから。

 よくわからん言うたら人の一生を通じて一杯ある。分からんことだらけと言うた方が良いかもしれない。どんな一生を送るかもよくわからない。今の人生がかつて予測した通りと言う人は少ないのではないかしらん。

 よく分からないから、目先の損得、一喜一憂にはとらわれず、たんたんと今日やる事、人生の今の時期にやることに全力でとりくむしかありませんね。何が役立って何が思い出されるのか、全くわかりませんから。まあ皆さん、ボチボチ行きましょう。

 ☆かつて子どものPTA役員として行ったこの公園に、また違う立場で行くとは予想も出来ませんでしたが、役員としてゲーム指導したのはよく覚えています(結局そんな役やる人生は昔からですね)。

Dr.1306 いつまでもいつのまにか(6月29日)

 昨夜久しぶりにテレビで歌番組を見た。青春時代によくお目にかかった歌手の方がお元気な姿で歌っておられた。多分60代70代になっておられると思う。容姿も少しは変わっているものの、一般的な年代の方よりは随分若いし、動きも柔軟でキレがある。

 多分日頃のお手入れや努力の賜物だろう。がんばれば、いつまでも若さと言うのかエネルギーを維持できると言う例だろうか。

 ところが今朝いつものコースを走っていると(世間的には歩いていると)、枯れた木の大きな枝が道に落ちていた。いつのまにか枯れて落ちて来たのだろう。

 人の若さもいつまでも維持できてるように見えても、いつのまにか老化は進んで、ある日今朝の枯れ枝のようにバサッと朽ち倒れるのだろう。でも、朽ち倒れるまで元気でこれまでと変わらないような感じで生きられるのは悪くない。

 いつか来る朽ち倒れる日のことは心の片隅に留め置いて、それまでは元気に生きられるように歌手の皆さんのように若さ体力維持に努めたい。

 ☆久しぶりにある用事で行った初校長校。変わらないようで、よく見ると変わっている校舎とドクター。まあ皆さん、無理しない範囲でボチボチ出来ることしていきましょう。

Dr.1305 後年の生き方(6月28日)

 人生の後半をどう生きるか。晩年と言うほどでもないけど、60歳定年で60歳以降は何もしないというわけにもいかない60歳、70歳(80歳90歳以降はまだ視野には入ってませんけど)をどう生きるか。50歳代くらいから考え始めるだろう。

 ドクターの場合は何度か言うように(言ったかどうか定かには覚えてませんけど)、校長を辞めて冒険教育を中心として、百姓とあと少しのアルバイト的な仕事なんかで生きて行こうとした。

 最初はそのようにしていたが、冒険教育や講師依頼がそう多くないことが分かってきた。ボチボチはあったので、もう少しこの生活を続けて行けば何とかなったような気もするが、生来の飽き性が邪魔をしたのか冒険教育ももういいように思えてきた。特にここ1年あまりは現場で指導していないので、余計続けるのは難しいように感じている。

 そうこうしているちに、空き家相談窓口勤めから、市会議員、教育長と流れに従ってやらせてもらってきた。流れの中で良いことも大変なこともあるが、やりがいはあるし、スタンスは自他に喜んでもらえることをやるということ、この生き方は変わらない。

 生き方はそれで良いとして、具体的にはどんな業務を日々やって行くかということは気になる。かつては外国で日本語を教える日本語教師にも興味があって勉強を始めたこともあったが頓挫している。

 頓挫と言えば生きてること以外にずーっと続けていることはないようにも思う。ともかく、自分の持ち味を生かして、自分にできる、自分がやる流れになったことをやって生きて行く、これしかないように思う。その試行錯誤の過程でまた何かやろうとしてまた頓挫、そうこうしているうちにバタバタ人生が終わるような気がしている。これって決して投げやりでも悪いことでもないように思います。

 みなさん、ボチボチ行きましょう。流れが導いてくれます、きっと。安心して行きましょう。

 ☆流れでいろんなところに行かせてもらっています。バタバタして後年の生き方備え不十分ですけど。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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