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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1906 送別会(3月27日)

 本年度末で退職される職員の送別会があった。30何年間勤められた感謝とホッとした気持ちを口々に話された。今後が決まっている人も、これから探すという人もいる。

 ドクター6年前を思い出すと、定年を迎えて重責を下ろしてホッとする気持ちで解放感に浸れたのは、1・2週間、長くて一月ほどだった。それからは、暇を持て余すというほどではないが、何かすることがあるのがありがたいと思う気持ちが強まった。

 だからと言って、すること(仕事など)は何でも良いという訳ではないということも、幾つかやってみた今となっては分かる。やはり自分の得意な分野ややりがいのある(と自分で感じられる)分野にこしたことはない。

 中には4月からの自分がやりたいことを明確に計画している人もいた。暇を持て余すのは嫌だが、ご縁でやってくる仕事(役割)を待つというドクターの姿勢とは大違いだ。だが、どちらがいいかはその人の性格や環境による。自分に合う生き方が良いのだ。

 ドクターも当初は自分の意思を強く出して、冒険教育(HAP)指導を中心にやり始めた。やってみると、思っていたのと違う部分もあり、別のご縁でやることになった仕事もやってみて、そこから次々とつながって今に至る。

 そのままもう少しHAP指導を続けていた方が良かったのか、今に至る人生展開の方が良いのか、さらに大きく自分のこれまでの歩み全てがどうだったのかの良し悪しは、簡単には決められない。そもそも良し悪しではなく、自分の人生を自分で受け入れられるかどうかのような気もする。

 定年、60歳頃を一つの節目に変わっていく人生、どう展開していくかをワクワク感を持って受け入れて行ければいいですね。節目の皆様の人生に幸多かれんことをお祈り申し上げます。

 ☆先日見てもらったドクター机の桜の鉢植え。確実に芽を出しているようです。いつどれだけ花を咲かすかは、大きな流れに任せておけばいいように思います。心配しないで、前に進んで行こう。

Dr.1905 無心(3月26日)

 降りしきる雨を見ながら無心になっている。なろうとしている。いろいろ考えても、世の中なるようにしかならない。流れを信頼して身を任せ、自分の出来ることを自分なりのやり方でやれる範囲でやっていく。そういう自然な生き方で良いのではないでしょうか。

 いろんな思いや欲を持てば振り回される。あんまり考え過ぎずに、たんたんと自分の道を歩んで行く。そんな生き方で行けるところまで行く。どこまで行くのかにこだわらない。そんな生き方で楽しさを忘れないように、周囲を暖かくしていきたい。今朝は何故かそんな感じが湧いてきました。

 無心、無為自然、いいですね。これで今日も明日も流れるようにいきたいものです。

 ☆今日の無心を呼んだ雨の景色。皆様、何事もあんまり考え過ぎずにボチボチ行きましょう。

Dr.1904 よく見れば(3月25日)

 ドクター机の前に置いた桜の鉢植え、はっぱを落として茶色く枯れたままで何の動きもないので、枯れてしまったのかなと諦めかけていたら、今朝見ると芽が出て来そうな気配。

 外から見て動きが無さそうな事でも、胎内では準備が進んでいて、何かのきっかけで動き出すということは、植物だけでなくありそうな感じ。

 きっかけも劇的なものや、通常考えてきっかけになりそうでなくても(今回の場合なら、昨日は強い春の日差しが合ったわけでなく、どんよりとしていたのに)きっかけになる。

 人の場合も、自分の内側で準備が進んで(思いの下地が膨らんで)、何かのきっかけで動き出すということだろう。できればよい動きに繋がるような変化を期待しています。自分の内側をよく見て、何かの芽を見つけて、大きく大事に育てましょう。

 多くの皆様が、内外側の芽を見つけて、よりよく変わるきっかけになるのを楽しみにしています。変わることには、不安も痛みもあるかもしれませんが、前に向かって(プラスに受け止めて)歩みを進めましょう。ドクターの歩みは、ご縁や流れ様に任せていますけど。それでもどんな風に変わるのか、楽しみながら見ています。

 ☆芽が出る兆しかどうか、も少し見続けなくては。自分や周りの人の変化の芽、よく見て育んで行きましょう。

Dr.1903 オープンマインド(3月24日)

 今日はこれから短期海外留学の出発式がある。今の子どもたちは、小学校の頃からALTなど外国の人に出会ったり、話したりする機会はあると思うが、ドクターの頃はそういう機会があんまりなかったように思う。働き出して、ドクターが初めて、海外へ行って、現地の人に、単独で話しかけたのは「May I take a picture?」だったような気がする。自分の写真を撮ってもらいたくて言ったのだが、今から考えると違っているように思うが、その時はカメラを差し出すとボタンを押してくれた。

 何んせ、初めての外国、初めての外国人に、自分一人で英語で話しかけて、それが通じるという体験は新鮮で強烈な思い出となった。ドクターのように少々間違っていても、発音や単語が怪しくても、勇気を出して心を開いて、相手と会話や意志疎通をしようという気持ちが大事だ。

 そのためにも、心を開いて自分から話しかける、心を開いて自分からいろんな機会を求める、いろんな申し出に応じる、出来るだけ断らないというような、オープンマインド精神が大事だと思う。そしてこれは、外国へ行く時だけでなく国内でも、いろんな機会でも大事なこと。

 心を開いていると、いろいろと付き合いや可能性が開けていく(チャンスが多い)。それだけ、傷つく場合もあるから気を付けなければならないが、だからと言って心を閉ざして生きるというのは生き方を狭めて行きにくくなる。

 できるだけでいいので、心を開いていろんな人と触れ合って、いろんな経験をして、可能性を広げて行きたい。今回海外研修に行く人も、見送る人も、国の外でもなかでもオープンマインドでいきましょう。

 ☆前に見た奇麗な満月。写真撮ってもいいですか?誰に聞いてるねん。

Dr.1902 いろんな生き方(3月23日) 

 昼間ウロウロして、いろんな人に出会う。自分の使命感で生きている人。好きな世界に生きている人。自分らしく生きている人。感動的な人。クールな人。オープンマインドな人、人懐っこい人、…みんなそれに該当する人が思い浮かんでいるのだが、ここでは個人名はともかく、いろんな人がいろんな生き方をしているということを伝えたい。

 それぞれの生き方はどうして決まるのだろう。遺伝・性格・家庭の育て方・考え方・環境・経歴・考え方などいろんな要素が絡まっているし、その要素同士も影響し合っている。結局それが自分というものだろうか。ただ、この生き方、自分というものも定まったものではなく、変わっていくし、揺れている。

 例えば、ドクターの場合も、お気楽なところもあれば心配性のところもある。根本には「人生・物事はなるようにしかならない」し「自分の思いだけで生きているのではない(生かされている)」という考えと、「自分にはそこそこいいところもある」という自己肯定感があるので、お気楽(お調子)者と言えるかもしれない。

 まあ皆さん誰にでも良い所と、直した方が良い所があるので、長所を活かし、直した方が良い所の改善に取り組んで行きましょう。これは万人に共通する生き方になると思うが、自分の思考の限界もあるので、絶対に正しいとは言い切れないことは分かっています。でも、そこまでくると、もう自分の力の及ぶ範囲の限界を超えているので、「もうこの辺が自分の限界です。勘弁してください」みたいな気持ちだ。勘弁してくださいで終わるとところが、やっぱり、お気楽なのかな。

 ☆こどもが好き、子どもに近い、これは変わらぬ特質かも。自分の生き方、自分の味出して、ボチボチ行きましょう。今日もお元気で。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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