Dr.1233 置かれた場所で咲きなさい(3月31日)
この言葉は何回か引用したことがあるし、これまでの人生で実感としてその通りだと確信している。どこに置かれるか、どういう役割が回ってくるかは自分の意思だけでない何か大きな存在(渡辺和子さんんに言わせると神の思し召し)に導かれているように思う。
自分の意思とは違っても、そこで精一杯咲く(出来ることを充実感をもってやる)と大きな気付きや学びが得られ、それが自分を形作っていく。そんな実感がある。自分がそうだった。
例えば、初めての校長が東雲高校だったことが、今の仕事につながっている。他の学校ではそうなっていなかっただろう。良いことも悪いことも含めて、導かれていく(置かれる場所が変わっていく)。
これを主体性がないと思う人があるかもしれないが、そうではない。置かれた場所で咲く人生哲学を主体的に選んだ(納得した)、と思っている。
この人生観が学びが多いし、自分を楽にするし、つぎの役割(場所)がワクワクする。もちろん自分のやりたいことも大事にすればいいが、願ったからと言ってそれが実現するかどうかは、やはり何か大きなものの力によっている。結局、これドクターの流れ哲学と同じです。さあみなさん安心して流れを信頼して生きて行きましょう。
☆城下町で行われている「ひなまつり」。これを見に行けたのも流れの中でです。