Dr.2291 それよりはマシ(6月9日)
昨日も畑仕事や黒豆の種まき等で朝から晩まで忙しかったが、そんな時にトラクターのキーが無くなった。これはあの作業の次に必ず使うからと思って、胸のポケットに入れておいたのに。
胸のポケットに入れたのは覚えていたので、そこにキーがないことに気付いた時は、「なんでやねん。今日はいっぱいやることあるし、今日トラクターで畝立てしておかないと、月曜日からは雨が続くので無理になる。今日しかないのに、キーがないなんてどういうことなんや」って気持ちでした。
結局は、軽トラの前の地面に落ちていたのが見つかったのだが(拾い物をしたときに前かがみになって落としたようです)、トラクターのキーがなくて機械が使えなかったら、その後の黒豆栽培計画はまったく狂ってしまうところだった。トラクターでの畝立てが上手く行かなかったり、立てた畝の土が固かったりといろいろ課題はあるが、畝が立たないよりはましだ。
そう考えると、農作業に限らずやることにはいろいろ足りない部分はあったとしても(思いとは違っていることも多いが)、最悪(今回で言えばトラクターキーが見つからず、トラクターが動かせない)の事態それよりはマシという気付きも、ある意味からは使える考え方ではないだろうか。
いろいろ気がかりや残念なことはあっても、「それよりはマシ」と思うことは、あんまり建設的ではないとは思うが、少し心は楽になる。そんなに大きな声で人には勧めにくいが、ドクター内面では「それより(最悪の事態より)はいいか」と心を落ち着かせるのに使っています。
いろんな考え方があると思いますので、自分に合った少し心が楽になる考え方も大事にして、今日も何とかやって行きましょう。
☆ドクターの雑な畝立て。でも畝が立たないよりはマシと考えたら、ここまで出来ただけでも有難いことと思えます。


Dr.2290 いろいろバタバタです(6月8日)
昨日は朝から田んぼの水入れ(その田は送水施設が整備され、送水機のスイッチ入れたもの優先。便利ですけど早い者勝ちです)や村の役員会の草刈りと会議、その後の雨が降る前の黒豆畑の畝立て(雨が降ると畝立てできませんけど、あんまり早くし過ぎると草茫々になります)、最後は夜の市の会議とバタバタでした。
バタバタは性格というのか、いつものことなので驚きませんが、逆にやることがなくなったらどうなるのかなど心配したりする時間も入って、余計にバタバタ感が増す。結局何とか終わって一日を終えることが出来ましたけど、今朝ももうバタバタの予感がします。
今日も何とか終えて最後の夕食の時間を楽しめるのか、自信はないですけど、やるしかないので、これ書いたら又バタバタ時間に戻ります。
それにしても、このバタバタは性格だろうか、酉年生まれだからだろうか(そんなことはないですよね)。落ち着いてゆったり日々の時間を楽しまれている人の話を聞いたりするにつけて、そういう人生をしてみたいとは思うが、今までの自分の人生を顧みれば、そんなゆったりした時間の思いではなく(乏しく)、いつもせわしなくバタバタしていたように思います。
よかろうが悪かろうが、バタバタ人生、続くところまで、流れとご縁に任せて行きたいと思います。ゆったりがいいのか、バタバタがいいのか、自分の性格や状況などいろいろな要素が絡んで簡単には決められませんね。結局流れとご縁を信頼して、成り行きに任せて、自分の出来ることをボツボツやって行きましょう。休むのも良し、バタバタも良し。
☆バタバタの中で見た、ちょっと一息つく奇麗な風景。でもこれもバタバタしながらチョットの間だけカメラ向けました。結局バタバタですね。


Dr.2289 普通の生活(6月5日)
今日読んだ書物の中に、15歳で白血病のために亡くなった少女が作文で「私は、ふつうの高校生になって、ふつうのお嫁さんになって、ふつうのお母さんになって、ふつうのおばあさんになって、ふつうに死にたい」と書いていたという話を知った。
普段生かされていることを当然として、不安や心配にどう対処するかに頭を悩ませている者としては、改めて「ふつうに生きているだけで幸せ」ということに気付かされた。不安や心配、厄介ごとへの対処も現実的には喫緊の課題だが、その根本には「日々食べられて、時間があって、寝られることが当たり前ではなく、有難いコト」ということを忘れてはいけない。
感謝とそれに対して自分が出来る貢献、それを大事に今日も一日生かされ自分がしなければならないこと、ちょっとやりたいこと(コーヒーと一緒に甘いものを食べる等)を、できれば上機嫌で(でも無理せず、今の自分が出来る範囲で)やっていこうと思います。なかなか思うようには行きませんが、世の中にはいろんな人がおられるということも忘れず、ボチボチ精一杯やれる範囲で無理せずいきましょう。
☆トライやるウィークの中学生が、人にためになることやってました。

Dr.2288 今が一番幸せ(6月4日)
今朝の新聞投稿で、90歳代のお母さんが「今が一番幸せ」というのを口癖にされているというような話が書かれていた。週何回かデイケアに行ったりはされているが、特に何かをされているわけではないけれど、「今が一番幸せ」と言えるのは凄いことだ。
生きていると、心配不安も含めていろいろあると思うが、恵まれたところも沢山あるわけで、そこに焦点を当てて「今が一番幸せ」「自分は恵まれている」と思えるというのは素晴らしいことで、自分も見習いたい。
「今が一番幸せ」と思えるような人生って、一つの大きな目標だと思います。昔を振り帰って、あの頃が良かったというのはあるが(きっとその頃の大変な面は忘れてしまっているからだと思います)、今に焦点を合わせると、将来の不安やもっとこうであればなあというような気持に邪魔されて、今が一番幸せとはなかなか思えない。
今後は、今の恵まれている所もしっかり見て、感謝し、「今が(一番とは言わないまでも)結構幸せ」と思えるような心の持ち方を磨いていきたいと思います。
☆6年前の冒険広場。この写真を見ると幸せそうに見えるけど、あの頃「今が一番幸せ」とは思ってなかったかもしれません。振り返った時に今の幸せに気付くのではなく(それもいいかもしれませんが)、今が現在の時にこの時の幸せを感じられる力も磨いていきたいですね。皆さん今のプラス面を見る力、ご一緒にボチボチ磨いていきましょうか。

Dr.2287 未来の不安(6月3日)
直前の不安とちょっと先の不安の両方があるが、ちょっと先の不安の方が大きく感じ身構えストレスも多い。来週や再来週、又は何月頃に予想される気がかりな事というのは、長い間自分の頭の中に居座り結構エネルギーを消費する。
ただ、その日が目前に迫り、今日その時がやって来たとなると、何とかなるというのか何とかしなければならず、ずっと前から考えていたあれやこれやの気がかり程はダメージが少なく乗り越えるられるというのか、案件が過ぎていくという経験が結構ある。
ずーっと身構えていたので、覚悟を持って(最悪を想定して)事に当たるというのか、その時を迎えるので、想定していたほどのダメージ無くいけるのかしらん。それよりは、突然やってくる修羅場の方が精神的にきついような気もするが、要するに、想定している厄介ごと・気がかりもやがては(時間の流れとともに)過ぎていくと言うこと。
だから、将来は何も心配しなくて良いと言ってもそう簡単ではなく、人って元来心配性というのか、将来の不安に備えるという特質があるので、未来の不安は考えてしまうが、そういう未来の不安ストレスばかりで現在を潰してしまわないで、時が過ぎればその時も過ぎていくという、一種の開き直りの厚かましさも持って、何とか今日一日を乗り越えて行きましょう。
「明けない夜はない」という言葉もあるように、辛いことや苦しいことが続いてもいつかは終わる時がやってくる。希望を持ちながらも、何とか今日を終えて行きましょう。全てのことは何とかなるし、なるようにしかならない。未来の不安も、いつかは過ぎる。それを自分に言いきかせて、生かされている現在に大きな感謝の心を持って、今日もやるべきことにボチボチ当たって行きたいと思います。
☆6年前の今頃です。この子も今は大きくなりました。
