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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.1297 偶然?必然?(6月19日)

 次の日に会うことになっている剣道部仲間に偶然ガソリンスタンドで出会って、「明日お世話になります宜しく」と挨拶をした。偶然と言っても、その日その時刻にそのスタンドに行くことは、その日の予定でたまたまそうなっただけで以前から予定していたわけではない。同じように相手もその日その時刻にそのスタンドに行くことはたまたまだっただろう。

 そのたまたまが出会う確率って何万分の一だろう。その店に立ち寄る時刻がちょっと(10分ほど)違っていただけで、出会うことはなかったし、実際これまで(何十年)その店で出会うことはなかった。

 それが、次の日に会うという前日に出会うことになるとは。こんな人智を超えた不思議なことが起こるとは、これはもはや偶然を超えた必然のような気がする。

 世の中にはこんなことがいっぱいあって、普段は気付いていないが、何かの拍子に気付くことが時々ある。つまりは、気付いてないだけであって、世に生まれて生きているということは、いろんな偶然が必然のように組み合わされて起こっているということだ。

 父と母の下に生まれて来たのも偶然のような必然。今の妻と出会ったのも、結婚して子供が出来て、彼らが育ってくれているのもいろんなご縁が絡み合っている。

 そう考えると、生かされていること、日々いろんなやる事があるコト、それがやれているということ、全てが奇跡のようなことで、感謝して従っていくしかない。有難さを噛みしめながら、今日も進んで行きましょう。

 ☆昨日は上手くアップできなかった、黒豆の芽が出た写真も、今日は何とか見てもらえそうです。これもいろんな必然が絡み合ってるような気がします。偶然、今回このブログを見ていただいてる皆さん、ありがとうございます。お互い感謝して日々を生かされて生きましょう。良い一日を。

Dr.1296 ボチボチ行きましょう(6月18日)

 議会は何とか終わったが、地区ごとの集会もはじまったり、来客があったり、何やかやでバタバタしている。「ボチボチ行きましょう」は自分にも言い聞かせている。

 かける言葉は人によって、その時の置かれた状況によって違ってくる。「がんばろう」が必要な時や人もあるだろうし、「無理せんと、ボチボチ行きましょう」がピッタリな時や必要な人もいるだろう。

 今のドクターの日々は、昔の教え子に電話も出来ないぐらい毎日毎日やることいっぱいで、少々へばり気味だが、この役目や自分の生が終わるまでは、生ききりたい。生き方や生きるペースは、その時置かれた状況や流れで変わってくると思うので、一喜一憂せずその時のベター(ベストは無理がある感じ)を選びたいと思う。

 「人生二つ良いことはない」のは人生経験的に分かって来ているので、人生に丁度良いペースがないとすれば「忙しいか閑か」だとすると、ドクター的には忙しい方が、やることがある方が良いように思うが、加齢とともに元気がなくなってきているように思うので、元気のないドクターはドクターでないから、ここは閑でエネルギー注入も良いか。

 しかし、閑にしてるとエネルギー注入があるかと言えば、そうでもないので、やはりやる事があった方が良いか。結局どっちやねん、と言いたいところでしょうが、結局はこれは流れに任すしかないということでしょう。

 という訳で、今日も結局流れに任せてボチボチ行きましょう、ということですね。

 ☆急にカメラとの接続が悪くなったので、昔の写真ですみません。ホント適当ですね、私。ボチボチ行きます。皆様もご一緒に、ボチボチ行きましょう。

 

Dr.1295 どの角度からみるか(6月17日)

 市長のキャッチフレーズ「おしゃれなワクワク農村」を、ある議員の方が「自分は農村に住んでいていい所だとは思うが、おしゃれと思ったことはない」と言われた。市長は、「丹波篠山市はおしゃれな店が増えてきて人気が出ているが、地元の人にもその良さに気付いてもらいたいから、このキャッチフレーズを使っている」と言われた。

 どちらの主張も一理あって、要は見方だと思った。ドクターは今朝も鳥の声で目が覚めたが、これをおしゃれと言えなくもないが、まだ暗いうちから起こされ、これが毎日となると「おしゃれ」と喜んでばかりもいられない。

 たまに鳥の声で目覚めるのは良いが、毎日となるとちょっときつい面も出て来る。時々本市を訪問する観光客や関係人口者と生まれてから長く暮らすものとでは視点が違う。どちらも自分とは違う視点があるコトを知り、自分の置かれた状況を見直すのは良いことだ。

 そして気付いたことを、良い面、プラス面を見て、機嫌よく生きたい。マイナス面、改善すべきところは、それなりに対処しながら、要は自分の人生を機嫌よく生きることだ。自分が機嫌よく生きられると、周りの人にもいい影響を及ぼすことが出来る。まあ簡単に言うと、プラス思考ということでしょうか。わかっちゃいるけど、これがなかなか難しいですね。まあ、流れに任せておきましょう。

 ☆議会の討論で、市長とある議員の方の聞きごたえのある討論に感動して、自分の出番ではアタフタするドクター。

Dr.1294 どうしようもないもの(6月16日)

 過ぎてしまった過去や、どうなるか分からない未来のことをあれこれ心配しても心が疲れるだけだ。まだまだ心配性気質が抜けきらないドクターも油断するとすぐにあれこれ考えてしまう。

 こういう人は身辺を忙しくして、何やかやとやる事で一杯にするのがいいと学んだ。確かに時間があると、田んぼの苗の成長が気になったり、水の張り具合がきになったり、あれやこれやと気になる。気になっても、どうせ土日にしか作業できないのだから、気にしても仕方ないのだが、わかちゃいるけどやっぱり気になるのだ。

 忙しくするというのも確かにその通りだと思うし、この頃では物忘れも進んできたので結構助かっている。でも、忙しいと言っても全く考える時間がないということもなく、物忘れが進んでいるといっても、完全に記憶力が無くなっている訳でもない。

 ここはやはり、適度な忙しさ(用事がある状態)と本や洞察などで生き易さについての安定した考え方(人生哲学と言うのか)を磨いていくのが大切なように思う。そして、この哲学磨きもこれでもう完成と言うことはない、油断すると絶えず迷いがやってくるので、絶えずアンテナを張って、生き方を見つめて行かなければならない。これが結構忙しく、良い悩み封じかもしれませ。

 ☆どう考えれば毎日をお気楽に生きられるか(調子よく生きられるか)考えるドクター。これで結構時間が潰れて良いのかも。今のところは「流れで生きる」ですけど。

Dr.1293 無常(6月15日)

 逮夜のお経の後の和尚のお話しで、「無常」のお話があった。この世の中は無常で、栄華も一瞬のうちに露と消える。栄枯盛衰は世の習いなので、栄華や成功などに心をとらわれないように気を付けなければならないというようなお話しだったと思う。

 人生は苦(思い通りならない)を大前提にして、それを忘れないようにしながらも、生かされている間は、動ける間は、快活に生きて功徳を積む。見返りなどを期待しての功徳ではなく、生かされていること、動けることへの感謝の心が、自然とだから自分が出来ることをさせて頂くということ。

 一時は分かっていても、ついまた欲が出てしまう。時に今回の和尚のお話しのような「無常」「四苦八苦」を思い出して、日々を一喜一憂せずたんたんと自分の使命(やることになった役割)を果たしていきたい。ただし、周りの人も自分にも元気を耐えるような快活さは忘れないようにしたいです(出来る間はですけど)。

 まあ皆さん、世の中無常ですけど、ボチボチ行きましょう。それしかないですし、それがいいんですよね。

 ☆無常な世の中にもかかわらず、はしゃいで生きるドクター

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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