Dr.1164 ポカンとした一日(1月15日)
久しぶりに予定のないポカンと空いた一日の朝を迎えた。日差しのない寒い日で農作業にも適さない。
いくつかの書類を作成した後どうしよう。母が来週再入院と言うことになったので、母とゆっくりできるのは今しかないが、そうは言っても一日中一緒に居るわけにはいかない。いくつかのやる事をどう配分したら好い一日になるのか考える。考えている間に時間が過ぎていく。
こんなとりとめのない時間の中にいると、忙しくても何か用事(やるべきこと)がある方が良いという気にもなる。そうは言っても、最近の職場のように重圧の中でやるべきことだらけというのも大変すぎる。勝手なものだ。
ポカーンとした時間の中で、何事にも終わりや引退があるということを考えた。オリンピックなどで活躍した選手の引退宣言や元首相の死去のニュースに触れたからかもしれない。
終わりや引退は寂しいことだが、人間誰にでも訪れる事実だ。終わりや引退があるから、いつまでも出来るわけではないので、現役中や出来る間に今そのことが出来ることの有難さを噛みしめながら精一杯打ち込む。それが一番だとは思うし、その通りだと思うが、これがまた勝手なものですぐ見失ってしまう。ポカーンとした時間、なかなか対処方法が難しい。
☆ポカーンとした時間をどう機嫌よく過ごすかを考えるドクター。これは結構前からの大きな課題だったのを思い出した。思い出す時間がないほど忙しい方が良いのかな。