Dr.1931 元気な人々(4月24日)
いろんな会合でいろんな人に出会うが、お元気で活動している人々が多い。それぞれの分野の活動に長く、10年20年30年と活動されている。仲間もいる。これだけ打ち込むものがあれば、そりゃお元気で日々を過ごしておられることだと思う。
でも考えて見れば、日々の活動に参加し、こうした会合に参加する人はお元気だろうけど、どの会にも参加しない人もいることだろう。会に参加しない人が、みなさん元気がないとは思わないが、世の中にはいろんな人がいて、いろんな暮らし方をしている。
中には、いろんな会やいろんな分野で精力的な人もいるが、この分野ならこの人と言う感じで。自分の得意分野で活動されているのが一般的だ。翻って、自分はどの分野に関わって行くのが良いのだろうか考えてみた。
かつては、冒険教育分野であったのは確かだが、今では結構遠ざかっているし、遠ざかっていることに不満はない。その前は、狂言や空手ということもあったが、そちらも随分遠ざかっている。
今でも関心があるのは、「日々を元気に送るには」分野だが、何かの会に参加している訳ではない。自分で考えたり、本を読んだりしている感じだ。今日のブログもいろんな分野や会で元気に活動されている人に触発を受けて、じゃ自分は、特に会に参加していない人は、どう生きればいいのかを考えているわけだ。
結局ここでも、流れとご縁に任すということだろうか。どの分野で行くか、どの会に参加するかも、流れ任せ、そんな感じにはなると思うが、これでいいのだろうか。もう少し、どう考えればいいのか分野を極めて行きたい。
毎回同じようなことを書いてばかりで申し訳ありません。明日と明後日と休みます。別に落ち込んで休むのではなく、出張外泊の都合です。又、どう考えたらいいのか、ドクターはどう感じているのか、たらたらと考え、皆さんに聞いてもらいたい(読んでもらいたい)と思いますので、よろしくお願いします。
☆新緑の季節です。緑見ながら、元気を出す生き方考えて行きましょう。ボチボチで良いと思いますけど。


Dr.1930 ようく見ないと(4月23日)
いつものトレーニングを終えて、トレーニング室を出たところで、体育館に向かって走っていく小学生に出会った。体育館前の仕切りのところで靴を脱いで上がることになっているが、その子は履物を脱ぎ散らかして、体育館の入り口に向かって走っていく。
一瞬、履物を揃えるように軽い口調で「靴揃えなあかんよ」見たいな注意をしようかと思ったが、その子は入り口横に立てかけてあるモップを手にして、体育館のモップ掛けに参加しようとしていたことが分かった。
仲間のモップ掛けに送れないように、一刻でも早くと思って、靴を脱ぎ散らかして体育館へ急いだようだった。この一件から思い至ったのが、何でも人の判断は即決ではなく、ようく見て落ち着いて決めないと判断を間違ってしまうということだ。
ドクターは自分の感覚インスピレーションを大事にする派だが、時にはようく見て落ち着いて判断することも大事だということを、この小学生の一件で学んだ。
感覚派として、自分の直観は大事にしながらも、もう少し見続けて判断を決めるという点にも注意しながら、バランスよくいきたい。何事もバランスですね。今日もボチボチ行きましょう。
☆ドクター家の雨漏りを受けるバケツ。いたるところで、もれがあります。生き方と似ています。こんな悟りはあかんか。

Dr.1929 何とか行きましょう(4月22日)
予告通り、昨日も朝からボランティア清掃から始まり、行事への参加、農作業とバタバタの時間を過ごした。
何せ、農作業は土日の作業がメインとなるので、5月連休中の田植えに向けて、田んぼ準備が待ったなしの状態。田んぼへの水入れも自分の都合だけではいかないので、なかなか準備が必要。
結果としては、いろんな心配事や失敗(トラクターの走行モードで、耕うんをする等。去年コンバインで同じ失敗をして、修理費高くつきました。トラクターは今のところは何とかもってます)もあったけれど、何とか予定のところまで作業は終わりました。
皆さまも、なかなか予定通りには行かないかもしれませんが、行ける範囲で行けるところまでボチボチ行きましょう。「まあいいか」「何とかなる」を口癖に、人生を進めたいと思います。
こんなバタバタの合間に、嬉しいこともありました。あんまりはないけれど、たまにあるいいコト、嬉しいことを忘れないようにエネルギーにして、先ずは今日一日を乗り越えて行きましょう。グッドラック。
☆ドクター脳作業小屋前に咲いた、野生えのチューリップ。時に出会う、嬉しいことを大事にして行きましょう。

Dr.1928 朝からバタバタしています(4月20日)
今朝も朝からバタバタしています。もっと言えば、昨晩からバタバタしています。地域の法人の次期組合長決めで役員が集まっているのだけれど、夜の10時近くなっても決まりません。結局、組合長の定年年齢を撤廃することになったけれど、これで解決するかどうかは分かりません。
今朝は朝から農作業。何せ土日しかないので、この土日で何とか代搔きの手前までの状態にしておかないと田植えが出来ません。朝6時台から作業してるけど、何をやっても以前より時間が掛るし、思わぬハプニングも結構あります。例えば、田んぼに水を入れる用水路が詰まっているとか。何とか手を突っ込んで詰まりをとったけど、これで完全になおったかどうかは分かりません。
できるだけ早く今日の分を終わらせて、昼間の市イベントに参加したいのだが、どうなることか。一事が万事こんな調子で、バタバタしています。ホントにギリギリの日々ですけど、考える時間はあまりないので、余分な悩みは持つ間がないのは有難いかな。そんなことで明日も朝から作業やイベントが入っているので、多分ブログ更新はないと思いますけど、みなさんお元気で、また月曜日の朝にお会いしましょう。ボツボツ行きましょうと言いたいところですけど、バタバタしています( ^ω^)・・・
☆写真もいいの選んでる間なく、いつものドクター机の桜の鉢植えです。でも結構葉っぱついてきましたよ。

Dr.1927 ボチボチ行きます(4月19日)
職場で負担をかけている方に、「大丈夫ですか。何か私に手伝えることはありませんか」と話しかけたら、「ボチボチ行きますから」と答えられた。
このブログを見てもらっているのかどうかは分からないし、「ボチボチ行きましょう」というのは、ドクターの専売特許ではないが、「ボチボチ行きます」を自分で言われたので少し安心した。
「ボチボチ行きます(行きましょう)」は、本当に大変な人にはなかなか、こちらからはかけにくい言葉だ。がんばっている人に、「ボチボチでいいですよ」というのは、何かその人の頑張りにケチをさすようで、「そんなに無理しなくてもいいですよ」といいたいのだが、なかなか外からはかけにくい。
でも、本人が「ボチボチ行きますわ」と言ってくれれば、これは頑張り過ぎを心配しているものにとっては、少しホッとする。無理しすぎなくても良い、出来るところまでしかできない、精一杯やったらそれ以上はできなくても仕方ない、ということをわかってもらえたからこそ、「ボチボチ行きます」と言ってくれたのかなと思う。
あるいは、本人自身が自分自身に言い聞かせるために行っているのかもしれないが、その言い聞かせは意味がある。周りにいるものとしては、少しでも当人の事務的負担を減らすことと心の負担を分かち合えるように努めながら、周りの人にも自分にも本気で「ボチボチ行きましょう」(頑張り過ぎずに、出来る範囲で自分らしくやって行きましょう)の精神を伝えたい。「ボチボチ来ましょう」がより広まることを願って、今日も率先して唱えます。皆様、お疲れ様です。あまり頑張り過ぎずに、ぼちぼち行きましょう。
☆前にも見てもらったウチの通用口横の花。なかなかボチボチ頑張って咲いてます。もとい、頑張ってではなく、ボチボチ自分のペースで咲いてはります。ぼちぼちでも、頑張っているように見えることもあるのかしらん。
