Dr.225 念をためる(12月20日)
自分がこうしたい、ああなりたいと思うことを意識的でも無意識的(潜在意識の中でも)でも貯めていけば(念をためる)、思いが実現するという話を読んだ。その本には著者の実例が書かれていたが、ドクターとしてはそんなことがホントにあるんじゃろかと半信半疑だった。でも先日会いたいと思っていた人にとてもあり得ない状況で出会ってしまった。この本を読んでいただけに驚くと同時に、この本に書かれた一般的には非科学的と思われることが現実に起こったことにある種の恐怖さへ感じた。考えて見るとドクターが退職前に考えていた退職後の青写真(冒険指導をしながら百姓をしてお気楽な毎日をブログで発信する。チャンスがあれば大学で教えたい)もほとんど叶っている。冒険指導も回数はそれほど多くないが、講演会、先生の研修、学校に行って学年やクラスを指導する、嬉野台でのHAP指導などほとんどが出来ている。念を実現するにはあまり欲張らないことやその念が反社会的なものでないことや実生活でズルをしないことなどが大事ということなので、これで十分だ。念を貯めたら実現するというのは怖い気もするが、その念が自分の夢だったり社会にとっても意義のあるモノであれば、何も臆することはない。後は自分の生活を公明正大にすることと念が実現することの不思議に感謝しながら、良い念を貯めていくだけだ。これからどんな念が実現していくのか楽しみだ。
☆担当者の方が送ってくださった篠山市の地元就職を応援する会の様子。司会をしながらも委員の方々の話されることを面白がっていたら、会議がうまくまとまって少しでも市に若者の力が加わればいいなと言う念が実現しそうだ。関係者の皆様と念をためることを教えてくれた著者に感謝したい。
☆この季節はおいしい干し芋がたべたいという潜在意識の念がたまって、本場の天然干し芋を届けてくださった。ありがとうございます。出来過ぎの念にビックリ感謝です。諸事情(泊り忘年会)により明日のブログはお休みしますけどすみません。
Dr.224 気の合う仲間とのおしゃべり(12月19日)
岐阜県に新しくできたアドベンチャーコースの支配人シンジと尼崎で会った。ドクターにHAP(ひょうご冒険教育)立ち上げ時の苦労や課題を聞きたいということで、冒険仲間のたこやきが仲介をしてくれて3人で駅前の喫茶店で2時間ほど話した。シンジとは初めて会うが東海地域で冒険教育を広めたいという熱い思いと豊かな人生経験を持つナイスガイだ。一緒に冒険指導をすることも多いたこやきはナイスガイという言葉ではなく冒険指導に深い造詣を持つ純な心のおっさんという表現が似合う好人物だ。例によってHAP創始者だから立派な志を持った人物だろうという初対面(あるいは会う前)好印象の化けの皮は会ってみるとすぐに禿げたと思われる(ドクターは初対面好印象を得意とするチューインガム型人間であるーチューインガム型とスルメ型人間の話は過去のブログ参照してくださいDr.何号かは分かりませんけど)。なんせ「自分がHAPを始めたのは自分がPA(冒険教育)を好きだったから、楽しみたかったから」が創立理由だし、「シンジもいろいろあって大変だと思うけど先ず自分が楽しもう」というのがアドバイスなのだから。わざわざ遠くから来たのにほとんど得るものはなかったと思われ気の毒だったが、こちらはとても楽しい時間を過ごすことができ、定年退職後生活充実のヒントに「気の合う仲間とのおしゃべり」が有効という知見まで得られた。これで「退職後はどう生きるのかが良いか等と悩む暇がないほどやることで埋める」「委員会の委員長など頼まれたことや市長後援会などやる羽目になったことは基本的に引き受ける」などヒントはどんどん増えてきていい感じになってきた。
☆ナイスガイのシンジと純なおっさんたこやきという「気の合う仲間とのおしゃべり」を楽しんだ定年後生活研究家ドクター。どれがシンジでどれがたこやき、どれがドクターか分かります?
☆おしゃべりの後は篠山に戻って会議の前に時間つぶしのランニングをして、「人生は壮大な暇つぶし」という丹吉師の言葉を実践するドクター。
Dr.223 表の顔裏の顔(12月18日)
横浜でタクシーに乗った時、運転手さんに「横浜の港はきれいですね」と言うと、「横浜に来られた方は皆さん港の話ばかりされますが、ちょっと山側に入れば普通の田舎ですよ」と話された。「そ、そ、そうですね。神戸でも港や異人館だけでなく普通の街や田んぼもあります。ど、どこもそうですよね」と取り繕ったが、考えてみると景観だけでなく何にでも「表の顔」と「裏の顔」がある。私にも「上機嫌で絶こうちょうの冒険指導者&お百姓」という表の顔もあれば、「日々孤独と老いに悩みながら定年後の生き方を這いずり模索する田舎のおっさん」という裏の顔もある。横浜にしても神戸にしても丹後(ちゃっかり2大港に自分を紛れ込ますところがドクターらしいが)にしても、どちらか一方が本物でもう一方が偽物ということではない。一つの都市や個人の中に両面があるということだろう。このように何事にも表の顔と裏の顔があるのが真実なのだが、普通はみんなよく見える「表の顔」を見せたがる。かくいうドクター自身もこのブログで表の顔でしたり顔して人生の生き方などを語って来たのではないかと反省するが、ことさら自分を良く見せたいという下心からではない。「裏の顔」の苦悩を綴ってもみなさんに元気を与えられないだろうという思いと、「表の顔」も自分なので出来れば自分自身のためにも自分の中の「表の顔」の時間を長く確かなものにしたいという思いからだ。でも時々は苦悩する「裏の顔」もみなさんに自分も一緒だと思っていただけ元気を届けられるなら綴っていきたい。ともかく、今日も元気な表の顔で「お気楽にいきましょう」から始めましょう。
☆奇麗な横浜港の「表の顔」と上機嫌なドクターの「表の顔」。この顔でいる時間を長くしたい。
Dr.222 物事をあるがままに(12月17日)
日々を上機嫌に生きるコツの一つに「物事をあるがままに見てやりすごす」というのがある。物事や出来事自体は何の意味も持っておらず、それを私達がプラスやマイナスに解釈するから、その解釈によって自分が影響される。「プラス思考が良い」「マイナス思考をやめよう」などと言われるが、その上の境地がこの「物事をあるがまにやり過ごす」だ。例えば急に約束していた会合が中止になった場合には、これは「自分が先方に嫌われているのではないか」「中止になったおかげで別のことが出来て却って良かった」などと変な解釈をせず、諸事情により中止になったそれだけのこと捉え、「だからその次どうするのか」を冷静に考えるのが良い。また、パソコンがウィルスに感染した場合なども、「大事なデーターが失われてしまう」「今後迷惑メールが来たらどうしよう」などと心配を膨らませるのではなく、パソコンを再起動してできる修復をやってみる、それでなければパソコン業者に修理を依頼する、直らなければ買い替えるなどとその都度の事態に冷静にベストの対応をしていくだけだ。書いているうちにより自信を深めてきたが、この「物事をあるがままにやりすごす」観点がマスターできれば、何事にも動ずることなく平穏快適に生きていける。残念なのはドクターにはまだその修業が完成していないことだが、これもだったらさらに修業を積むだけと言うことになる。
☆最後の黒豆の選別作業。最後にこの豆の水分量をはかる。水分量が19%以上なら出荷できないので、水分計を前に神頼みするドクター。結果は18.4%で何とかセーフだったが、これも修業が完成していれば神頼みなどせず、平然と19%未満なら出荷、19%以上なら再乾燥するだけのこととなるのだが。
Dr.221 やんちゃが好き(12月15日)
預金の相談にJAの金融部門に行くと(これまで預金とは縁遠かったが、退職1年未満の今だけ各種金融機関から退職金目当てのお誘いが来る)、支店の方が小学校の時に地域でバレーボールを指導していた子どもがドクターがいた三田S高校に入って活躍させていただいたという話をしに来られた。お互いに知っているその子やその子の周辺の子や保護者の方などの話で盛り上がった。ドクターとしては自分が活き活き仕事をしていた校長時代のことを話題にできるのは楽しかった(それだけ退職後の今が活き活きしていないということかもしれないが)。その話の中で「あの子はやんちゃやった。でも私はやんちゃが好きだ」「私もヤンチャが好きです」ということでまた意見が一致して盛り上がった。やんちゃな子との付き合いは実際には大変なこともあるが、思い出となると俄然気は良いけどやんちゃな子は輝いてくる。その点真面目で手がかからなかった生徒の印象は薄い。やんちゃというのは自分の生き方に素直に生きていて個性的だから面白いのいか。ただ、やんちゃで手はかかってもどこか憎めない愛すべき人の良さがあるというところがポイントだ。先日も娘がお世話になっている中学校の校長先生とお話ししていた際にも、校長先生の中学校時代の教え子でもありドクターのいた高校にも通っていた気は良いけど暴れん坊やんちゃな生徒のことが話題になった。やんちゃとの付き合いは大変だけど面白い、そう思う先生や大人がいて嬉しい。
☆終わったことは終わったこととして、今の生活を充実するためにまず腹ごしらえをするドクター。やんちゃと付き合うのはエネルギーがいる。