「ドクタートラクター」の内容を追記しました
「ドクタートラクター」の内容を追記しました。
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Dr.32 無心の田植え
「苦難に満ちているのが人生の基本なのに、そこそこ上手く行ったり、それなりに快調に暮らせているなら、そのことに感謝しなければいけない。過去でも未来でもなく今を感謝して生きることが大事だ」というようなことが書いてある仏教関連の本を読みかぶれたドクターは、昨日の失敗を思い煩わず(楽しかったことは時折思い出してニンマリしてもよい、ドクター解釈)、明日や今後の予定を気にしすぎず、その日その瞬間を大事に生きようと、ここ2~3日がんばっている。昨日の田植えもこの流れで、これまでの失敗(トラクターや田植え機が動かなくなったこと、軽トラが横転しかかったことなど)や田植え後のこと(水をいつ入れるか、その水を採る順番はどう確保するか等)を気にせず、無心で作業に集中した。結果、今年の田植えは、植え方も、苗の量も、作業時間も例年になくうまく行った。これに味を占めて、やはり「物事は考えすぎず、目の前のことに集中するのが良い」、このポリシーを自分の生き方にして行きたい。この考え方でうまく行かない事態が続出すれば、やはり「物事は行き当たりばったりではだめで、きちんと準備や備え(考えることも含めて)をしておかなければならない」というのに変更するかもしれないが、今のところ自分にはこの「無心無手勝流」が良いみたい。今回の無心順調田植えでこの思いをより強くしました。
☆ポーズをとりながらのお気楽な田植え。写真撮影は田植え協力者の妹です。こんな感じで生きてます。もちろん、上手くいかないこともそれなりに抱えながら。
Dr.31 子どもみたいですね
ゴールデンウイーク中の一日、嬉野台生涯教育センターで行われた「春のHAPオープンDAY」に参加した。8名のHAP講師たちと受付をしてくれた将来のHAP講師の若者3名と一緒に多くの人たちにハイエレメント(高い所での活動)を体験してもらうという催しだ。グループで協力してという要素はないが、個人のチャレンジと冒険教育を知ってもらう機会としては有効だ。ドクターは大勢の冒険仲間が集う機会として、いろんな話が出来て、その点でも楽しかった。休み時間に「私は還暦を過ぎているので、一日活動するとヘタヘタになる。一晩寝たら元気になるけどね」と愚痴ったら、あるファシリテーターが「子どもみたいですね」と言った。決して「若く見えても齢だから無理しないでくださいね」とは言わない。さすが冒険案内人だけのことはある、人の嫌がることを言わず知らずのうちに元気づけてくれる。「子どもみたい」と言われて、還暦おっさんはとても嬉しかった。子どものように後先考えず、その場の面白いことに全力を出し切る態度はドクターが理想とするところだ。催しが終わった後には、タコヤキ、ホクトマン(子どもみたいなところもあるとても優秀なファシリテーター達)とユーチューブに流す動画を撮ったが、そこでも一杯おしゃべり出来て楽しかった。「ファシリテーター談義」で検索できるらしいので、是非ご覧ください。やっぱり先のことをあれこれ心配せず、目の前のことに集中する、子どもみたいな生き方は良いですね。
☆多くの人がHAPを体験したオープンデーの催し。子どもみたいに楽しんだドクター。明日のことは明日考えよう。それで結構何とかなりますよ。
Dr.30 アクセス数
アクセス数と言っても、ドクターの毎日のようにジタバタドタバタ「あくせく」する数でもなく、自分のおならの「あっ、臭っせー」数でもない(ちなみにドクターはおならが臭いかどうかで、食べすぎか超食べすぎかを判断してます)。冒険ブログ『ドクターのお気楽な毎日』を見に来てくれた人の数である。以前の『絶こうちょう』ブログにはカウントが明示されていたので分かりやすかったが、現在の『ドクター』ブログにも明示ではないがカウント機能は付いていて見に行くことができる。ドクターは毎朝のブログ更新を日課としているが、その前にまず昨日のアクセス数を確かめる。それだけ、このブログを何人の人が見ていてくれるのかを気にしているということだ。何で自分はそんなにアクセス数を気にしてるのだろうと考えてみた。アクセス数が多いと儲かるシステムにはなっていないので経済的な理由からではない、自分の書いたもの(主張・考え方)を多くの人に見てもらいたいという自己顕示欲だろうか、生きにくい人にこんな風に考えたら生きやすいよということを知ってもらい少しでも社会貢献をしたいという殊勝な志のためか。よくは分からないが、ともかく一人でも多くの人に見てもらおうと、機会あるごとに「HPやってます」「ブログも見てね」みたいなことを言っている。旧知の人から新知の人まで、地元の人から北海道の人まで、学校関係者から冒険仲間まで、子ども(子どもと言っても、ドクターの書くことを鵜呑みにせず自分の判断で自分にあったとこだけ取り入れることができる判断力を持った中学生辺りから)から大人まで、できるだけ多くの人に見ていただきたい。その気持ちはだけは確かだ。ちなみに現在のアクセス数は1日200件弱、『絶こうちょう』時代の6分の一ほどなので、何とか1件でも増やしたい(これも欲か)。みおなさんのご協力をお願いします。
☆アクセス数増加のために、集合写真やきわどい写真、自然の写真など、いろいろあくせく試しています。
Dr.29 引きずらない生活
学校を退職して一か月がたった。毎日は冒険指導に営業に農作業にと忙しいが、ストレスはない。何でかなと考えてみるに、一言でいうと今の生活は「引きずらない生活」だということが分かった。現役時代は同じ職場で同じ職員や生徒達と一緒に時間を過ごしているので、一つの出来事というのか案件を何日も引きずることになる。良い引きずりもあるが、なかなか解決しないしんどい問題を引きずった場合には、流石にお気楽な私(そのころは「絶こうちょう」)にもきつい。その時々の教頭先生などに随分助けてはもらったが、全てを引き受けてもらうわけにもいかない。それでも当時は他のまじめ校長に比べれば、「お気楽校長」で過ごしていたと思うが、退職して分かったのは、あんないい加減な仕事振りでもそれなりに責任やストレスを感じていたということだ。そういえばお気楽校長時代にも、いくつかの心配事例(卒業させてあげられなかった生徒や行く末が気になる生徒「自校・他校・中学生含む)、先生方の心身の不安を解消できなかったことや思いをかなえてあげられなかったこと、怒鳴り込んでこられた保護者・地域の人、ここでは言えない身から出た錆・・・)があった。それに比べて今は毎日忙しくあっちの用事こっちの用事とバタバタしているが、どれも単発というのか尾を引かない。一日の終わりの晩酌でその日が終わり、後は引きずらない。こんな幸せなことはない。退職生活1月、今のところ大満足だ。
☆ある高校1年生を2日間指導した。活動中はいろいろあっても後は引きずらず、その後の彼女らの成長はその学校の先生に任せるしかない。
☆担当した班(運よく女子班)の特に気の合う生徒達。彼女らの成長を引きずって見守りたい気持ちも起きたが、いやいや、引きずる生活は現役の校長先生やその学校の先生任せ、ドクターは引きずらな生活を楽しみたい。