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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.369 最初の一ヶ月だけ(6月15日)

定年後の生き方についていろんな本が出ている。実際に定年後を生きるドクターとしてはこれから定年を迎える皆さんのの参考になればと思い、定年後生活者の生の声をお届けする。最も欧米のように定年制度自体が年齢による差別だとして定年自体がない国もあり日本もそうなる可能性も無きにしも非ずらしいが。いずれにしてもいつかはそれまで勤めていた定職を辞める時は誰にでも訪れる。アドバイスとして最も言いたいのは、それまでフルタイムで働いていた仕事を辞めて「毎日が何て自由なんだ」という解放感を味わえるのはせいぜい最初の一ヶ月だけだということだ。定年しても何らかの仕事はしていたとしても、ドクターの場合はその仕事が不定期で勤務時間に縛られるものでなかったので余計に解放感を感じた。平日の昼間など移動中に河川敷など走るのに適した場所を見つけると、近くに車を止めていつも積んでいる運動着と運動靴に着替え小一時間ほど景色を楽しみながらゆっくり走ることができる(定年頃にはゆっくりしか走れなくなりますが)。この解放感自由度は最高だった。でもそれも一ヶ月ほどその生活に慣れると、曜日に関係なく時間に縛られないけどしなければならない仕事や雑務はそれなりにあるという日常が当たり前になって、新鮮味や解放感はなくなり、こういう生活が定年後の日常となり、フルタイム勤務の頃とすることは違えど、いつもの日常が続くという点では同じと感じるようになる。海外旅行にしても滅多に行けない人が何年かに一度1・2週間ほど風景も習慣も違う国に行くから新鮮だが、業務で海外へ行くのが日常の人にとっては海外や日々移動の生活に目新しさはなくなってくるという。「だからどうなの」と言われても困るが、定年にしても海外にしてもそれがいつもの生活になればワクワク感はない。ワクワク感どきどき感、新鮮な感じが欲しいならやはり何か新たなことをするしかない。まあしかし、そんなものはそれほど要らないという人もいるだろう。結局生き方、人生に何を求めるかは人それぞれと言うことか。この結論もまあいつも通りの新鮮味のないものになってしまいました。
 ☆黒豆の苗が大きくなってきたので、畑に定植しました。いつもやってることなので新鮮味はないけど、雨降り前にほとんどの苗を植えることが出来て良かった。毎日・毎年やることを地味にやりながら時々心弾む新鮮な出来事がやってくる、こんなところでしょうか大方の方が求める人生は。

Dr.368 動く人(6月14日)

今の職場にも昔の職場にも地域の中にも数は少ないが「(自分から、自分で、自分が率先して)動く人」がいる。この「動く人」は行動が素早く、具体的にエネルギッシュにポジティブに動く。「動く人」が動くと、何か面白そうと後から付いていく人がいる。世の中はこの「動く人」がいないと進まない。でも「動く人」は自分が動かないと世の中が改善しないだから何が何でもがんばらなければというような大層な思いや使命感で動いていると言うよりは、自分がそうしたいからそうするみたいな感じで自然体で気負いがない。発想が豊かでいろんな方向から物事を進めていく。一つ問題があっても簡単にあきらめず、それがだめならこれをやろう、今やれるところからとりあえず始めようみたいにどんどんすいすい物事を進めていく。貴重な人たちだ。しかし世の中にはこれとは反対に消極的でリスクと労力を嫌がり何事にも反対する「止める人」も一定数必ずいる。この「止める人」が多いと、「そんなに反対ばっかりするならもうこっちは何もやらないよ」と言いたくなるが、「止める人」は「止める人」で必要な場合もある。一定の役割はこなしているのだ(多分)。世の中には他にも「まーまーどちらもそこまで言わなくても、この辺りで折れ合って、今回はこの程度で行きましょう」みたいに「間に入る人」もいる。ドクターはどちらかというとこのタイプだが、もう少し詳しく言えば「動く人」にあこがれながらも自分ではその役割はできないので「動く人」を盛り上げながら、「止める人」の声にも一部耳を傾けて全体としては明るい方向に落としどころを求める派だ。ずるいと言えばずるいのかもしれないが、世の中にはいろんなタイプの人がいて回っている。各自の持ち味を大事にしながら「動く人」をバックアップしたい。
 ☆地元まちづくり協議会役員会参加のために地域の会館に行き、玄関前に立っている観光案内版を見て、明智光秀が攻めた高城山(八上城)出城の法光寺城跡はこんなに自宅の近くにあったのかと驚く、お気楽丹波篠山市NHK大河ドラマ推進委員長ドクター。こんなことで職責が果たせるのだろうか。大丈夫、推進委員会にもまち協にも「動く人」がいる。ドクターとしては「間に入る人」役をしっかり勤めたい。

 ☆世の中には物好きな「こんなドクターブログでも毎日見る」派の人もいる。その中のお一人が送ってくださった蛙の写真。やっぱり世の中いろんな人がいるから面白い。

Dr.367 同じようにはならない(6月13日)

ひょうご冒険教育(HAP)の指導に嬉野台生涯教育センターに行き、この日は珍しく午前と午後が同じ学校の別のクラス(班)を担当し、センターの方からは同じ場所を割り当てていますから「どちらの班も同じように指導してください」と言われた。最初は全く同じ活動を別のグループでやったらどうなるのか興味があったので言われたとおりにやってみようかと思ったが、いざ午後の活動を始めてみると、①(同じ学校であっても)午前中のグループとはメンバーの個性や関係性が違う、②同じ活動場所でも午前と午後では気温・日陰のでき方・風の吹き方等自然環境が違う、③午前と午後では参加者もファシリテーターも元気さや気分が違う、④1日に同じことを2回やると指導している方が飽きる、⑤世の中同じように見えても全く同じことはない等、自然的・個人的・哲学的理由、特に飽き性のドクターの場合は④の理由が大きく関係して、午後のグループでは彼らの今の状況にあった指導者も楽しくできる活動に変更した。どちらのグループも終わった時に「楽しかった」「何でも諦めなければ出来るということが分かりました」みたいな感想を言ってくれたのでこの変更は正解だった(ドクターの場合、参加者が楽しかったかどうか、ついでに指導者も楽しんだかどうかがその日の指導の成否判断基準だ)。ともかく何事でも同じようにはならない、同じようにはできない、同じようにはしない方が良いことが学べたこの日のHAPだった。帰って、毎日やることがあって、時々は好きな冒険指導ができる「これって幸せやな」と言ったら、妻から「当たり前やろ、今頃気付いたん」と一刀両断された。
 ☆冒険指導で学び「同じようにはならない等」と充実感を得た後、きれいな花と帰り道の温泉、これで幸せでないと言ったら罰が当たる。感謝して自分のできることにベストを尽くします。たいしたことはできませんけど。

Dr.366 しんどいけど面白い(6月12日)

但馬神鍋高原へ冒険指導に行った。生憎の天気で室内での活動だったが、担当の中一男子と仲良く活動することができた。想定していた屋外での活動ではなく、初めての室内活動場所で予想以上に元気で人数が多いグループだったが、彼らがやりたがっている身体を動かす活動を中心に組み立てた。「みんなオニ」という全員がオニでタッチされたら座る(最後まで立って逃げた人が勝ち)というオニゴッコの復活バージョン(一度座ってもまた立っている人にタッチすれば復活できると言うルール)が思いの外はまって長い間やった。途中からは座っている人がタッチを求めたら立っている人が積極的に助けに行ったりして、単に勝ちにこだわるのではなく、友達とタッチされたり復活したりみんなでドタバタするのがおもしろかったようだ。こんな展開になるとは想定外だったが、最後の感想ではみんなこのオニゴッコが楽しかったと言っていた。そこですかさずドクターはこれからも学校に帰ってもみんなで復活助け合って学校生活を楽しんでほしいと話した。想定外の事態を臨機応変にとらえる進行はさすがとまた得意の自画自賛。帰りの車中で、「やっぱり面白さや達成感はしんどいこと・がんばったことの後に味わえるのだな」と改めて思った。熱い中での想定外の展開への対処は結構エネルギーがいるが、それだけに上手く行った(と自分が勝手に思った)後は達成感がある。この達成感はいいが、そのためのしんどさや不安(うまく行かなかったらどうしようなど)は避けれるものならさけたい。しんどさとやりがい、どっちをとるのか今日も葛藤の日々が続く。
 ☆元気者の中学生が課題解決型アクティビィティにも目を見張るような解決策を見せてくれて、この日の活動に「しんどかったけど面白かった」と笑顔のドクター。でも、しんどさと人生の満足度、どっちとると贅沢な悩みは簡単には解消できない。

Dr.365 日々機嫌よく(6月11日) 

毎日を機嫌よく生きるのは難しい。生きてるといろんなことがある。自己啓発本なんかでよく言われるように(それを受け売りしてドクターもよく言うように)本来物事事態に善悪はなく、原因と結果の法則によって事は起き進み、そしていつかは終わるだけだ。それだけのことだが、人はそれに意味を持たし、それが良ければ喜び、良くないと落ち込む。まだ起きないことも予期して心配し、毎日不安と心労にかられて生きている。が時々ラッキーが重なり有頂天になって幸せを感じる。でもその調子のよいハイテンションは決して長続きはしない。世の中には調子のよい状態がずっと続いているように見えるうらやましそうな人もいるが、これもドクターが時々言うように、他所からは上手く行っているように見えても内実はいろいろ(困りごとが)あるのが人生だ。ドクターはこれまで会ったことはないが、もし仮に全く悩んだことなどない人がいたらそれはめでたいことだが、その方々はドクターブログの読者ではなく、人生をあれこれ考える必要もない。このブログが対象にしているのは、ドクターと同じく「日々を機嫌よくお気楽に暮らしたいけど、油断してると悩みが襲ってくるので、常に油断なくどうすれば(どう考えれば)自分が機嫌よく生きられるのかを追求している人たち」だ。そういう人は結構多く、大変な面もあるけど自分の人生を自分の力で作っているというやりがいも自負もある。やりがいも自負もいらない、ただお気楽に生きたいだけという本音も聞こえてきそうだが、手を抜くとしんどくなってしまうのだからしかたがない、出来る範囲で自分が居心地よくなる生き方・考え方を模索していきましょう。ご一緒いたします。
 ☆庭に出した黒豆の苗を見ながら、「(私の土の入れ方が悪かったので)出ない芽がぎょうさん(たくさんの意)ある」という母に、「こんだけ発芽したら上出来やろ」とプラス思考学習を積んできたドクターはその成果を披露した。でもそのマイナス思考を基本とする母が結構機嫌よく毎日を生き、プラス思考提唱者のドクターが落ち込むことが多いのは皮肉で面白い。もしかしたらマイナス思考にも利点があるのかも。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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