Dr.396 村の飲み会(7月15日)
村の天神講という飲み会があった。伊勢講が各家の戸主の集まりなのに対し天神講は各家の若者の集まり(今では飲み会)だが、今では同じ人が集まる。いつもは集会場でお弁当を取ったりしてやるが、今回は宴会場で送迎してもらってやった。村の集まりといっても10戸ほどの一番身近な小さい集まりだ。小さい頃から一緒に小学校へ通ったり、遊んだり、村の行事に参加したりした良く知り合った仲だ。還暦を過ぎたドクターも村では若い方だ。飲むと互いの共通の知人やまちの話や農業の話やこれまで行った村旅行の話などで盛り上がる。ワイワイガヤガヤ2時間ほどは直ぐに過ぎる。話題も雑多で統一性も生産性も何もないが楽しい時間だ。ワイワイやりながら一緒の村(空間)に住むものの、それぞれの時間を過ごした人生が一時期重なったり離れたりする。田舎に住む者は誰もが最後は地域で生きる。これからも皆さんお元気で、一緒に元気に生きて行きたい。
☆長い付き合いの村の人たちと年に何回かの飲み会。何と言うことはなく何回もやってきた行事だけど大事にしたい。

Dr.395 目・口・身体(7月14日)
「目・口・身体」という滅多にやらない冒険アクティビィティを指導した。その日の団体が高校女子サッカー部だったので急遽思いついて成り行きで実施した(急に思いつくのと成り行き実施はドクターの得意とするところだ。この日は雨模様でいつ冒険フィールドでの活動を止めなければならないかも分からず、ハイエレメントスケジュールも変更して本当にこの活動ができたのは成り行きだった)。しかし、結果としてはハイエレメントの時間変更も「目・口・身体」実施も正解だった(成り行きの結果をいつも正解だったと肯定的に解釈するのもドクターの得意技だ。人生に悩む皆さんにはいろんな成り行きで起こってしまう出来事を「これで正解だった」と受け止めると結構楽に生きられるということをお伝えしたい。そんなこと分かってるけどどうしたらそれができるのかが知りたいと思われる方はドクターと一杯やりながらお話ししましょう)。ともかく、このアクティビィティは目を開けてても良いがしゃべってはいけない一人(目)が、目隠しをした人(口)にボディサインなどで指示を出して声を出させ、もう一人の目隠しをした人(身体)を動かして目標のグッズを採りに行かせるという内容だ。生徒たちは3人1チームで交代して「目」「口」「身体」を体験し、普段の自分はどの役か、その役をやる時気を付けたことは何かなどを振り返り、試合でも普段の生活でも自分のポジション(役割)をきちんと果たすことの大切さといろんな役割があってはじめて成果が出る(試合に勝てる)ことに気付いてもらおうとするねらいだ。彼女たちの素直さと熱心さと元気さのおかげで面白い活動になった。ねらいが達成できたかどうかは別にしてドクターは楽しく面白かった。彼女たちも最後の振り返りでは「楽しむHave Fun」ことの大切さがわかりましたと言っていた。おっさんファシリテーターが楽しそうに指導していたのに触発されたに違いない。
☆元気で明るい高校女子サッカーチーム。最後の写真が成り行きでやった「目・口・身体」だ。



Dr.394 重荷からの解放(7月13日)
同じ時期に学校管理職を辞めた友人から一足早い暑中見舞いが届いた。その中で彼女は管理職という重荷から解放されて、現役時代と同じく学校と言う職場で、職務の違いには戸惑いながらも元気に過ごしているという。退職後しばらくしての訃報も聞く中、元気に過ごされているのは何よりだ。人間終わりが大事だという。人生の途中にはいろいろあっても最終章が上手く行って「いい人生だった」と言って旅立っていくのが理想だそうだ。ただ問題はいつが最終章かが分からないことと、「いい人生」の「いい」の価値観が人によって違うということだ。いつでも、今(現在)を「いい」と言える価値観を身につければ最強だ。そういう意味でドクターの今は結構いい感じだ。現役時代に重荷を背負っていたという自覚はないが、みんなが言うから自分も少しはその気になってきたが、今の生活で大きな重荷を感じることはない。そりゃ頼まれた指導を上手くやらなくっちゃというようなプレッシャーはあったり、結構多い会合に出なければならないという義務感や何やかやの思い煩いはあるが、これは生きてる限り無くならないのかも。ただ思い煩いは気を付けなくてはそれが直ぐに大きく成長するからやっかいだ。結局、最終章まで、今の自分は結構うまくいっているという思い上がりと、思い煩いが大きくなった奴との間で呻吟するのかもしれない。思い上がり・錯覚でも上手く行ってる(重荷がない)と思える状態を長くしたい。
☆立ち寄った教育事務所でNHK大河ドラマに関する人物像を発見し、自分もその一員としてポーズをとるドクター。少なくともこの時この人は重荷は持っていない感じだ。


Dr.393 営業用スマイル(7月12日)
NHK大河ドラマに関する研修会(現地視察含む)に参加して、その様子を写メで高校剣道部同窓会ライングループに送ったら笑顔が良いと褒められた。「ドクター(この頃は同窓会でもこの名が浸透してきた)の笑顔を見ると元気が出る」「あんな笑顔は自分にはできない」「高校の時より良い笑顔や」「若いね~」などあんまり褒めてくれるから、「いやいやあれは営業用スマイルで(内心はいろいろあります)」みたいなコメントをしたが、満更嘘でもない。冒険指導をする時は参加者の前では笑顔だし、この頃では毎朝鏡を顔が写る位置にセットし、目が合えば(鏡の中の自分と)笑顔をするようにしている。営業用と言えば営業用だが、何の営業かと突き詰めれば、冒険指導だけでなく生きて行く業(狭い意味の日銭を稼ぐ仕事という意味だけではなく)用だ。「にもかかわらず笑顔」とは、現役時代よく生徒に話していた。「楽しい時に笑顔になるのは誰でもできる、辛い時苦しい時こそ(そういう状況にも関わらず)無理とにでも笑顔を作って乗り切ろう」「辛い顔嫌な顔をしていたからと言って事態は好転しない。自分も周りも嫌な気持ちにするだけ。だとすれば辛い時こそ笑顔で良い流れ(福)を引き込もう。笑う門には福来るというではないか」と話していた。さらに笑うことで免疫力が高まり、病気にも効くことが実証されていると聞く。そんなこんなで営業用であろうとなかろうと、自然笑顔であろうと「にもかかわらず笑顔」であろうと、ともかく皆さんスマイルで行きましょう。
☆剣道部仲間から絶賛されたドクター営業用スマイル。こんだけ褒められたら、これからも研修内容よりどう笑顔の写真を撮るかに集中しそうで困る。でも困った時にも笑顔。



Dr.392 至福のとき(7月11日)
最近は冒険指導(そう多くはないですけど)に百姓にその他の仕事や頼まれた役職の会合などでバタバタしていたが、昨日隙をついて自分のしたいことをした。自分の好きなことをしている時って「至福のとき」だ。決して私服を着た朱鷺(トキ)ではない。具体的にはお気に入りの車でドライブし、木陰でクーラー効かせて仮眠し、サウナに入っただけだが、今のドクターが割と手に入れやすい「至福のとき」だ。過去にはもう少し大きな至福のとき(海外旅行など)もあったが、人生という列車の通過駅ごとに風景は変わり至福のときも変わる。決して過去と比べても仕方ないし、至福の大小を比べてもせん無いことだ。その時々の至福を楽しめばいい。他人と比べても仕方がないことも含めて「至福のとき」は人生の生き方(意味)と似ている。毎日だと至福のときが普通になり至福を感じにくくなる。時々で良いのだが、あんまり間が空いても生きる元気が枯渇してしまう。丁度良いタイミングで、その時の状況にあった「至福のとき」を味わいたいが、そううまくは行かないか。ともかく皆さんも自分の「至福のとき」を持って大事にしてください。ドクターの今回の「至福のとき」は、サウナはその施設の入浴スタンプが溜まって無料で入れたので至福度が倍加し、サウナ帰宅後は雨降り前に黒豆土寄せのために田んぼに行くなどバタバタの合間のつかの間というちゃちなものでしたが、それでも至福は至福、いい時間でした。
☆ドライブ中眠くなったので、こんな景色の木陰で10数分仮眠したけど至福のときでした。入眠する時も多分こんな感じなのかな。

