ささやま冒険教育

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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.12 チャレンジ バイ チョイス

冒険教育のエッセンスの一つに「チャレンジバイチョイス」がある。英語で書くと”Challenge by choice”となって、チャレンジは自分で選んでする(自分の好みのチャレンジをする)という意味だ。人はチャレンジをすることで成長するが、そのチャレンジは人から強制されるものではなく、自分でやろうと思ってやる、その自分でやると決めた挑戦というところに意味がある。強制されたり乗せられてするチャレンジはたまには成功することがあるかもしれないが、一般的には心に傷を負ったり後悔を生む。昔あった某ヨットスクールの船上から海に突き落として根性を鍛えるというようなやり方がそれだ。SAPやHAPではチャレンジは決して強制しないということを参加者に最初に約束する。冒険と聞いて無理に怖いことをさせられるのではないかと戦々恐々で参加した参加者は、この「チャレンジバイチョイス」原則を聞いて安心して活動に没入し、そこで生まれた人間関係や信頼関係の中で、初めには思ってもみなかったような思い切ったチャレンジをすることが多い。ただしチャレンジは人と比べるものではなく、大きなチャレンジをしたから成功、大したチャレンジでなければ失敗ということではない、このことには気を付けなければならない。参加者各自がその時の自分の状態(身体的・精神的など)で精一杯のチャレンジをすれば良いのだ。ただドクターは「どのようなチャレンジをするかはあなたに任せるが、チャレンジしないという選択はないよ」と話す。それは一人だけ絶対にチャレンジしないと公言したり非チャレンジオーラを出すことは、せっかく冒険を通して自己やチームを高めようと思って参加した他のメンバーの気持ちを大事にしないことになるからだ。同じ活動をする仲間の気持ちや身体を最大限の配慮をもって尊重するというのが冒険教育のもう一つのエッセンス「フルバリューコントラクト」だが、これについては後日改めて書きたい。今回は冒険教育について熱く語りすぎた。これでは「お気楽な毎日」というブログエッセンスに反することに気がつきました。

☆先日曇天の中で行われた高い所でのチャレンジ(ハイエレメント:キャットウォーク)。地上9m位のチャレンジだが決して強制ではない。高所が苦手な人は丸太に触って降りてきても良い。途中で降りてきた仲間を暖かく迎える人間関係が出来ていなければ実施しない。

☆クライミングウォール。最初は壁に触ってすぐ降りてくると言っていた高所恐怖症君は、下で命綱を持つ仲間の声援に励まされて真ん中まで行くチャレンジをして、「やればできるということがわかりました。このメンバーでチャレンジできてよかったです」と話してくれた。

Dr.11 うちの家へ探検に来て

今日は三田西陵高校の離任式だった。絶こうちょうとしてご機嫌に過ごさせていただいた学校と生徒たちに最後のお別れをする場だ。他の離任される先生方と一緒に体育館のステージから最後のメッセージを贈った。どの先生も自分が愛した西陵高校や生徒達へ予想通り熱いメッセージを語られた。どれも素晴らしいが8人も続くと聞く生徒たちも大変だ。自分のメッセージを覚えてほしいドクターは、通常一番先(一応校長だったので)の順番を一番最後にしてもらうというせこい手や通常スーツのところを冒険ウェアで登壇するというなりふりかまわぬ手を使った。それでも他の先生方の素晴らしいあいさつに比べれば屁みたいな内容だったが、自己満足的に熱く語ったのは①ドクターにとっての冒険教育のように自分の好きな分野への打ち込みは大変でもやりがいがある(だからみんなも自分の打ち込む分野を見つけてほしい、幸い西陵は全方位ハイスクールで打ち込む方向は自分で選べる余裕がある)、②世間は受験学力で学校や人間を評価するが、西陵生が持つ上機嫌力は受験学力に勝るとも劣らない大切な力だ、その素質を十分持っているみんなは自信をもって生きていってほしい、ということだ。式後何人かの生徒が控室にお別れのあいさつや手紙を持ってきてくれた。その中にいつも前校長にため口で語りかけてくる私が最も心配する生徒の一人が、これまた別の意味で気にかかる生徒と一緒にあいさつにきてくれた。とても嬉しかったが、そやつは「校長、探検するんやったらうちの部屋散らかったてるので探検に来て」と言った。私があいさつで「退職後は冒険教育の指導をする」と言ったのを受けてのことらしいが、冒険と探検を間違えてるし、そんなに部屋散らかしてどうすんねん、第一おっさんでも男を気安く部屋に誘うな等とも突っ込まなければならない。これではまだまだ私の心は西陵から離れられない。

☆西陵高校離任式で熱い思いを語る校長や離任される先生方。

☆西陵生と撮る最後の写真と絶こうちょうを見送ってくれた(と勝手に思う)グランド側の桜。名残は尽きねどお別れです。さようなら西陵高校、さようなら愛すべき生徒達。上機嫌で自分の道を生きて行け、そして暖かい思い出をありがとう。

Dr.10 疲れたけど面白い

宴会の合間を縫ってSAPの仕事をした。兵庫県加東市にある嬉野台生涯教育センターのHAP(ひょうご冒険教育)指導だ。SAPドクターがHAPの指導とややこしいが、もともとHAPは15年ほど前にドクターが立ち上げたものだ。久しぶりのHAP指導は勘が戻らずSAPpari(サッパリ)だったが、参加者のやる気と元気に助けられ疲れたけど面白かった。退職後フルタイムの仕事をお断りしたのももともとこれがやりたかったからだったことを思い出した。人はやはり自分がやりたいことはしんどくてもがんばれる。それにしてもSAPで請け負った最初のHAP指導はひどかった。一つの活動(アクティビティ)を終えて次の活動が思い出せない。活動の達成条件が易しすぎて「これイージー過ぎません」と言われるし、別のは難しすぎて達成できないし、間に挟む小ネタ(ワムサムみたいな掛け声など)が思い出せず「御免忘れてしもた。明日思い出してくるわ」(今回は2日連続の指導で、対象は18歳ぐらいの新入社員)といえば、「年取ったら思い出せなくなるんですか」と純な目で質問された。でもホントに純粋でおもろい連中に助けられ、体力的にはしんどかったが楽しく充実した活動ができた。ありがとう参加者のみなさん。ありがとう冒険の神様。ここで嫌な終わり方してたらドクターの冒険生活が終わっていたかもしれなかったところを助けていただきました。

☆SAP初のHAP指導。個性を生かした良いチームができました。

 

☆信頼関係がないとできないホールインワン(タイヤくぐり)。久しぶりの指導で充実してたけど疲れたというドクター。こんなジャンプで体力を使っている場合ではない。

 

Dr.9 宴会続きでええんかい

退職関連の宴会が続いている。ありがたいことだが、田舎に住むドクターとしては三田や神戸で宴会があると泊まらなくてはならない。別に帰ろうと思ったら帰れないわけではないので、単に泊まり好きというだけかもしれない。ともかく宴会でここ3日ほど外泊している。初日はU野台生涯教育センター時代にお世話になった皆さんに退職を祝っていただいた。二日目は絶こうちょう時代にお世話になった学校(三田西陵高校)の歓送迎会で退職を祝っていただいた。いろんな方から暖かい言葉をかけていただいたが(どうも「去る者には優しい」という法則があるようだ。少しはこの日の暖かい言葉を在職中に回してほしかったと思ったが、退職プレミアムだからしかたがない)、中でも校務員さんが「今でも『ドクターのお気楽な毎日』見て笑ってますよ」と言って実際のスマホ画面をみせてくださったのは嬉しかった。そして3日目はドクターが最初に担任した県工土木科の生徒達(といっても今はおっさん)に退職記念の宴をしてもらった。社会のいろんな分野で活躍中の元生徒たちが忙しい中集まってくれたのは感激だったが、「あの頃よく先生にどつかれたな」「俺なんか回し蹴りされた」「今やったらくびになることをいっぱいやってましたね」とか物騒なこと言いながらも「先生のおかげでみんな卒業できたと思ってます」と言ってくれたのは嬉しかった。嬉しすぎて(酔っぱらいすぎてと言った方が適切か)何人かのおでこにチューしたような気がしたが妄想だったかもしれない。でもしょっぱい汗の味を妙にリアルに覚えているのでやっぱり現実か。

☆三連チャン宴会の最初の宴会。集まっていただいた皆さんと呼びかけ人の陽気なTさん。

☆校歌で締める歓送迎会。みなさんホントにお世話になりました。在職中のご無礼は退職特赦で御免してください。

D.C.8 昔の名前で出ています

先日下見にお伺いした高校で、かつてその学校で同僚だった先生方何人かにお出会いした(実は初の依頼先はかつての私の勤務校だった)。まず玄関で出会った同じ社会科のA先輩先生(現在は退職後時間講師)は「丹後か、何しに来たん」、次に出会った文化際に一緒に職員漫才で出演したN先生は「丹後さん、ふざけすぎやったな」と笑みを浮かべながらも散々なお言葉をいただいた。絶(前)こうちょうだった時には考えられない言われ方だ。N先生に「ふざけすぎや」と言われた時には、N先生の毒舌が続く間にも私は「ふざけすぎた季節の後で、今春が来て私は退職した、去年よりずっと退職した・」と歌っていた。これでは「ふざけすぎ」と言われてもしかたがない。N先生の毒舌を浴びながら、かつて校長というだけで一定の配慮をしてもらった特権は今はないんだなという思いと(そもそもN先生には丹後は校長でなく一介の下手だけどお笑い好きの教師という昔のイメージしかないし、何の配慮もなく昔の後輩同僚と思って接してくださる感じは悪くない)、N先生とは職員余興漫才の笑いを研究するために大阪の吉本を観に行ったことを思い出していた。本業でない、やってもやなくても良いこと(文化祭後のステージで職員漫才を披露するというようなこと、他の先生方は冷ややかでも生徒は喜ぶ)のために、これほど精力をつぎ込む姿勢を教えていただいた。一見どうでもよいことに手を抜かず全力で取り組む姿勢は、その後の私の生き方の柱になっている。

☆今後の指導の打ち合わせをする冒険仲間(個性強いけどいい連中)。ここではドクターという昔の名前で呼ばれている。「社会科教師丹後」「冒険案内人ドクター」「絶こうちょう」、名前が変わるごとにやることは変わったがお調子者のお気楽者という本質は変わらない。

☆移動途中で見つけた桜の土手を走る、昔(の名前)でも今でもお気楽なドクター

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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