Dr.2092 いつ何時(10月16日)
近所の同世代の人が、一人は入院し、一人は寝込んでいる。昨日会った同世代の人も腰が痛いといっていたし、ドクターも腰がいたい(前から腰は弱ってましたけど、医者へは行っていません)。
近所の同世代の人は二人とも元気な人だった。また、どちらも回復してこられると思うけど、いつ何時誰にでも何かが起ころか分からない。しかし、片や88歳でヨーロッパまで旅行したという人の話も耳にした。
いつ何時何が起こるか分からないのも事実だし、ずっと高齢期まで何も起こらないかもしれない。用心していても起こるし、用心していない人に何も起きないこともある。要するに、人生は分からない。とすれば、用心はするけれど、用心中心の生活ではなく、いま自分がやること、やる流れになったことをやっていき、用心していてもなることは受け入れ、その後できることをやっていくしかない。
それが人生。いま動けている人は、今に感謝し、自分にできる貢献をして行きましょう。
☆今日もカメラ見つかっていないので、5年前のこの頃です。5年は長いと思うけど、今振り返るとあっという間ですね。流れに従ってボチボチ行きましょう。

Dr.2091 元気を与えられているか(10月15日)
最近、ドクターに会ったり電話で話をしたりした人から、「元気をもらいました」という嬉しい感想を聞くことがあった。社交辞令もだいぶ入っているとは思うが、そういってもらえるのは嬉しいことだ。
自分も悩みやすい性格ではあるが(奥様に言わせると自分勝手にデリケート)、何とか心身の元気を維持する考え方や方法を探して、取り入れてこれまできている。
最近では、「莫妄想(まくもうそう)」妄想することなかれで、不安や心配は妄想だからしないほうがいいというのがある。何やかやと、元気な毎日のヒントを探し求めているが、お陰様で何とか、身体も精神も見かけ元気な日々を送れるだけの頑張りは見せてくれている。
人に元気を与えようと意識している訳ではないが、自然体での振る舞いが誰かに元気を与えられているとすれば、本当に嬉しいことだ。ただ、こんなことも狙っては逆効果だと思うので、これからも自然体で、先ずは自分が元気に陽気にいられることを考えて行き、そのことが誰かに良い影響を与えられるのであれば、これほど有難いことはない。
☆まだカメラ見つかっていませんので、5年前の写真です。何をしてるんでしょう。今とそれほど変わってないと思いますが。今日もボチボチ自分らしくいきましょう。

Dr.2090 子どもは元気をくれる(10月14日)
黒枝豆の発送で、この時にしか行かないお店に行ったら、隣の文房具店で小さな男の子が店番(お母さんも一緒にですけど)していて、かわいらしくて話しかけた。
「何年生」「幼稚園ですけど、来年は小学校に行きます。今日はお店手伝っています」
「大きくなって、がんばってや。そしたら、このボールペン一本もらいます」
「毎度ありがとうございます。150円です。」
(財布から100円玉と10円玉を4枚出しながら)「今、サイフにあるのはこれだけやな」
(お母さんに助けてもらいながら)「あと、10円ですね」
(うちの奥様に10円玉出してもらって渡すと)「ちょうど150円、ありがとうございました」
(と言ってから、商品とレシートを渡そうとする母親をさえぎって)「ぼくがわたす。ありがとうございました。これをどうぞ」と、商品を渡してくれた。
予定になかったボールペン購入だったが、こんなかわいい店長さんならつい余分な買い物もしてしまう。店に、まちに元気を与えてくれる若い力。やっぱ子どもは元気を与えてくれますね。
☆5年前の今頃。同じようなことしています、今年も。

Dr.2089 平常心(10月13日)
気になっていた農作業、秋鋤の準備をした。畔の草刈りや、鶏糞まきなどをやったのだが、終わってから作業中は感じなかった身体のあちこちの痛みというのかコリを感じた。
汗をかく作業はやったので、夜の一杯を美味しく飲むために身体を動かす運動はする必要はなかったが、いつものように夕方トレーニングへ行った。いつもと同じメニューをやるのだが、昼間の農作業がこたえてあちらこちらがいたく、ダンベルもあがりにくい。
それでも、いつもと同じような時間で終わり、スポセンを後にした。農作業などはいつもの平日とは違う動きだが、ここにいつもよくやるトレーニングという活動を入れることで、平常心と言うのか、いつものペースが戻ってくる。
日によってすることに違いはあっても、いつものやること(ルーティン)を取り入れることで、ペースが戻ってくる。そして、いつもの考え方ももどってくる。流れとご縁を大切に感謝と貢献、いつもの思考、今日もルーチン平常心大事にしながらボチボチ行きますわ。
☆5年前の今頃。同じようなポーズやってますね。カメラどこかに失くしたようなので、昔の写真で失礼します。慌てないで探しますわ。

Dr.2088 あなたが大切なものは(10月12日)
昨日は朝早くから城東小学校の子ども達と歩いていたので、ブログ更新できずにすみませんでした。近いと思っていたのに、小一時間歩いて少し疲れましたが、お母さん方とも話が出来良かったです。
その後いろいろあって、「自分らしく生きて逝くために」という講演を少し聞きました。「生きて行く」ではなく、生きた後に、いろんなしこりを残さないであの世に行くために生きている間にしておかなければならないこと(エンディングノートなど)についての話でした。
男性の健康寿命が72歳と聞いて、後5年ほどしか健康な生活は平均的にはないのかとびっくりしました。「あなたが今大切にしていることは何ですか」という質問もあって、多くの人は、お金・健康・家族等と答えるということも教えてもらいました。
ドクターは「感謝と貢献」と答えて、少しその場の雰囲気とは違和感があってしまいました。もちろん、みなさんが言われる、お金・健康・家族はとても大切だと思いますが、別の視点からいつも言っている「感謝と貢献」を大事にしたいと思うのも本心です。
健康寿命が平均寿命よりもかなり短いというのを知って、今健康で仕事や身の回りのことが出来ていることに本当に感謝します。自分でも多少はがんばっているところはあるように思いますが、朝の散歩やトレーニングは食事やお酒をおいしく頂く為なので、頑張っているとは言いにくいような感じもしています。
今健康でいられるのは、大部分が大きな意思や流れやご縁のおかげで自分の意思や努力を超えた力によると思っていて、感謝しかありません。それなら、自分の出来ること、やる流れになったことを精一杯やるという貢献に励むしかないというのか、嫌々ではなく喜んで自分の力を貢献に発揮したいと思うのです。
これは生きるためでも、逝くためでも変わりません。これからも感謝と貢献、流れとご縁を大事に行けるところまで行きたいと思います。バタバタの中、講演を聴きながら思いました。
☆5年前の今頃。やっぱり今と同じような感じで空や自然の写真撮ってたんですね。人って、やっぱりあんまり変わりませんね。ドクターにとっては、流れとご縁、感謝と貢献かな。
