Dr.2140 暫時休暇(12月7日)
ちょっと所用があり、暫時休暇に入ります。今日から3日ほどなので、ドクターブログは火曜日の朝に再開しますので、よろしくお願いします。
お忙しい方が多い中、暫時休暇に入るのを申し訳なく思います。
人生何のために生きているのかを考えた時、暫時休暇と言うのか、自分や家族のために過ごす時間も大事だとも思います。目の前の仕事や業務はもちろん大事ですが、時に渦中から離れて俯瞰して見つめ直し、また新たな気持ちで頑張りたいと思います。
それでは、3日間失礼しますが、またよろしくお願いします。
☆この頃山並みきれいです。

Dr.2139 呼ばれる(12月6日)
昨日予定の変更を知らずに、ある部屋に向かっていると予期せぬ人かつ会いたかった人に出会った。もし、これが変更した予定通りに動いていたら、会えなかった人だ。予定の会合は後刻なので、その前の移動は無駄な動きだったともいえるかもしれないが、それが無かったら会えない人に会えて大変嬉しかった。
こういうことこそ、何か大きな力に「呼ばれている」と言えるのではないだろうか。このエピソードは一例だが、もっと大きな人生の節目にも、こうした何かに「呼ばれる」ということはあるのではないでしょうか。
これを「運命」とか、「ご縁」とか、「大きな流れ」とかいう場合もあるだろうが、要するに世の中には人知を超えた大きな力や出会いがあるということ。大きな力があるなら、人間の努力などは無駄ということではなく、自分の意思や努力はしたとしても、それだけではない力の働きもあることを知って、だから謙虚におごることなく粛々と流れに応じて、自分の出来ることを自分なりにできるだけやっていけばいいということだと思います。
☆職場の裏側にある木。こんな所にも奇麗なものがあります。世の中いたるところに、呼ばれているもの、ご縁があります。それに気づいて大事に謙虚に行きたいですね。

Dr.2138 親友(12月5日)
4年前に亡くなった親友の命日にお参りした。ドクター一番の親友で、教員採用が同期で同じ学校で7年勤め、その後勤務地は離れたが、年に数回は会い続けた仲だったが、退職後数年で亡くなってしまった。
奥さんと連絡をとって、遺骨が納められているという永代供養のお墓に参らせてもらった。いわゆる石のお墓ではなく、最新の永代供養施設で、カードをかざすと正面の窓口に友人の家の供養標が出て来て、友人の名前のボタンを押すと友人の戒名と遺影が交互に浮かび出る仕掛けになっていた。
お墓の形はともかく、友人の遺影を見ながら、故人に話しかけたり、奥様とお話をしたりできた。「お参りに来てもらって、主人も喜んでいると思います」と言ってもらえた。何より、ドクターにとって彼の存在は大きく、生前も今も心の支えとなっている。
こんな素晴らしい友人を持てた自分ということで、自分に自信を無くしかけた時にも、彼の存在が支えになって、これまでやってこられた。
これからも彼の存在、楽しかった思い出を支えに、彼の友人として恥じないような生き方をして行きたい。いつも励ましてくれたので、これからも天国から見守ってくれているだろうと思う。
お寺までの晩秋の山々に囲まれた道中にも元気をもらい、また今日からぼつぼつあの頃と変わらない感じで彼に認めてもらった自分らしく歩んで行きたいと思います。ありがとう親友。また会いに行きます。

Dr.2137 あいさつ(12月4日)
いろんな機会にあいさつするが、大概は原稿無しでやる。原稿無しあいさつが上手なわけではないが、自分の言葉で言う方が原稿を読むよりは通じるものがあると思うからだ。
原稿無し挨拶と言っても、アドリブでやるわけではない。あらかじ何を喋ろうかとは考えている。ただ記憶力も限界があるので、予定通りのことが言えるわけではない。だいたいこのようなことが伝わればという感じだ。
それでも場数をやっていると、何となく自分のスタイルと言うのか、あいさつ場慣れはしてくる。しかし、油断して無準備でやると折角聞いてくださる方に、一つも伝わらず失礼なことになるので、事前に構想を練ることはやっていきたい。
あいさつして、受けるというのか、うなづいて聞いてくれる人がいると、達成感と言うのか、やってよかったなという気持ちは得られる。緊張感とほどほどの達成感、いいですね。やっぱり、あいさつは好きなのかもしれない。
☆あいさつとは関係ないですけど、この頃奇麗な青空多いです。青空にあいさつですね、ちょっと無理付けですけど。今日も元気に行きましょう。

Dr.2136 予定通り行かない(12月3日)
農作業では、天候や農作物の生育状況等もあり、作業が予定通り行かないことがある。この間も、黒豆の乾燥と脱粒をやろうと決めていた日(他の予定が空いていた日)に、いざ豆をこく(雑粒する)日になってというより、少し機会を動かし雑粒してみて、まだ水分が多いことが分かった。
事前に水分計で豆の水分含有量(乾燥度)は計っていたが、サンプル取り出しで計った為、全体は見えてなかった。やり始めると、水分が多く柔らかかったり、まだ赤みが残っている豆もあったりして、この状態で続けると、出荷できないマメが大量に出ると思って、作業を中止し、乾燥を続けることにした。
何時間乾燥を続けなければならないか分からないところまあるが、なんせ予定も詰まっているので、今度いつ豆がこけるかは分からない。豆がこけないと、次の豆を乾燥機に入れることが出来ない。
そんなことで予定は予定通り行かないが、仕方がない。予定通り行かないことも予定に入れて、予定を立てることが求められる。こういうことは、豆こき(雑粒作業)だけでなく、人生にもあるように思う。
予定通り行かなくてもジタバタせず、その時とれる策をやる(今回だったら、雑粒作業を止めて、乾燥を続ける)。世の中、一分一秒を争う訳ではない。予定通り行かなくて空いた時間にできたこともある(今回なら話をしたかった人と話が出来た等)。大らかに生きる等、今回の予定通り行かないことから、人生にも通じる生き方のヒントも頂いたように思う。教訓に感謝しながらも、ちょっと予定通り行かなくて残念な気持ちも残る小人のドクターでした。
☆皆様、予定通り行かないことがあっても気落ちせずボチボチ行きましょう。自分に言い聞かせてます。
