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丹後まさとしの絶こうちょう日記

Dr.2193 自己肯定感(2月7日)

 来年度の教育で大事にしたいことの一つに「自己肯定感」(自尊心)の向上というのがある。これを取り上げたのには、いくつかの理由があるが、その一つは自分自身の実感がある。人から何か言われることがよくあるが、その時自分を支えているのがこの「自己肯定感」のおかげだからだ。

 いろいろ批判する人はいるし、確かに自分に足りないところはあるが、でも自分にも良い所があり、自分はここに生きていていいんだという自分を肯定する思いが、そんな厳しい空気の中を生きる原動力となっている。

 世の中完璧な人いないと思うが、人を批判する人に限って、自分のことはさておき、いいたいことを言う。批判にも聞くべきところもあり、向上につながるところは採用したらいいが、全てそのまま受け止めていたら身がもたない。

 そんな時、自分を支えてくれるのが、「そうは言うけど自分にも良い所がある」もっと言えば、殊更いいところがなかったとしても「生かされている。生きていていいんだ」という、自分や自己の存在を肯定的に捉える気持ちがあると何とか乗り越えて行ける。

 この自己肯定感は、子どもたちは勿論、全ての人に持ってもらいたい。そのためには、その人の存在や取組を肯定的に認めるということが大事だと思う。多くの人の肯定感を育てるためにも、人の(自分の)良い所を積極的に認めて行きたい。

 ドクターの自尊感情は小さい頃の家族・周囲の愛情のおかげだと思っています。皆さん、自分大好きで行きましょう。

 ☆自然や生き物からも力をもらいながら、今日を明日を生きる力を貯めて行こう。

Dr.2192 懐かしい(2月6日)

 丹波篠山ABCマラソンの実行委員会に来てもらっていた篠山警察の交通課長の方が、会が終わってから話しかけてこられ、「もしかしたら私が高校時代に教えてもらった先生ではありませんか」とおっしゃる。おまけに、その学年の卒業アルバムまで持ってこられていて、やはりそうだと言うことをお互いに確認した。

 ドクターが担任したクラスの生徒ではなかったが、授業は持ったようで、日本史の単位を落としそうになった時に、その挽回策として再試験ではなく、市立博物館の展示を見ることで救済するとして、その博物館見学にドクターも一緒に行ったという。そんなことはやりそうなので、詳細は覚えていないが、多分自分がやっていたことだとは思った。

 子ども(生徒)が大好き、子どもと一緒に活動するのが好きというような個性は変わっていないが、その当時のアルバムから自分の写真が分からないほど、容貌は変わっていた。家に帰って、自分も持っている同じアルバムで再度確かめたけど、やはり顔つきは相当変わっている。

 懐かしい思い出から、変わらない人間性と変わる容貌という、時の流れの法則みたいなものを改めて感じた。懐かしい思い出を勇気を持って知らせてくれた元教え子(今は交通警備をお世話になっている警察の幹部の方)に感謝申し上げます。

 ☆当時の教え子(今は警察の課長)と35年前の卒業写真のドクター。人って変わるものと変わらないものがありますね。

Dr.2191 飄々と(2月5日)

 毎日、毎日難題がやってくる。難題と言えば難題だが、考えようによってはそれを大きすぎる問題と捉えなくてもよいという考え方も持っていないとやっていけない(場合もある)。

 どの問題も考え方によっては大事だが、別の視点から(少し無理して)みると、その解決が無くてもやっていける。勿論、大事な点には対応していかなければならないが、ここで言いたいことは、どれもこれも大事と捉えていると精神的に立ち行かなくなるから、元気に各課題に対応していくためにも元気を維持しなければならないから、大事過ぎるという思いを少し減らそうと言うことです。

 自分の精神的安定のためにどう考えたらいいのかという、解決策を自分に合ったものを考えて行かなければならない。自分が安定して、明るく元気に行けると言うことが、各課題への対処にとっても有効なのだから。

 そんなことで、油断すると滅入ってしまう状況を防ぐためにも、一見「飄々と」という生き方もありだと思っている。「飄々と」と思っていても、なかなかその通りにはいかないが、「飄々と」以外のいろんな考え方も試しながら、心身を維持して、出来るだけの対応を今日もやって行きます。

 ☆前に見てもらったかもしれませんが、昨日は(も)バタバタで写真撮ってませんでしたので、こんなんでよろしくお願いします。まあ、皆さん、無理し過ぎず今日も何とかいきましょう。

Dr.2190 そくさい(2月4日)

 このブログを更新するサイトに入る時に、ひらがな(読みにくいようにできている)4文字を入力しなければならないが、いつもは意味など感じられないが、今日は「そくさい」と出たので、「そくさい」で思いつくことを書きます。

 「そくさい」と聞いて、「無病息災」を思いつく方は多いと思いますが、ドクターの場合は新しい服などを着る時に祖母がよく言っていた「そくさいで着破りますように」という言葉が先ず頭に浮かぶ。元気で最後までその服を着れますようにという意味だと思うが、病気や災害といった災いもなく元気でいられることは誰もが望むところだ。

 つい元気で毎日がおくれること(息災で過ごせること)が続くと、それが当たり前となって、それを前提として、次に何、その次は何、これもあれもと望む欲どおしい状態になりかねない。

 日々生きられる、その有難さに気付く、ということが、日々を機嫌よく生きる根底になると思う。小欲知足という言葉もある、ここまで生かさしめて頂いたことに感謝しながら、それに報いるためにも今の自分にできることを欲張らずにやって行きたい。「息災で最後まで生ききれますように」これからは、こんな言葉が口癖になるのかな。

 ☆差し入れてもらったパンを頂くドクター。そくさいで好きなパンが食べられる、こんな幸せなことはないですよね。

Dr.2189 全力を尽くすも(2月3日)

 いろんな会合・イベントに参加して挨拶等をする際、単にウケねらいだけでなく、関係者の方への感謝やその会の趣旨や狙いなどもいれて話をする。最初の挨拶は市長などが行い、終わりの挨拶を担当することも多い。

 どこでも全力で行うが、上手く行く場合もあれば滑ってしまう場合もあるし、微妙な場合が多い。自分ではいま一つだと思っていても、後で高い評価を得る場合もある。勿論、その反対もある。

 まあこれも全力でやること以上のことをすることは無理なので、結果がどうでても受け入れるしかない。結果にはいろんな要素が絡んでくるのだから。そして、このことは人生の歩みそのものにも言えるのではないだろうか。自分で全力を出した後は、諸要素によって結果が決まってくるのだから、そこからのことはそれこそ大きな意思に任せればいい。

 これは無責任と言うことではなく、世界の法則というのか普遍的な原則だと思っている。人生における全力の結果は、自分が歩む人生そのものだから、責任というのか、自分の人生になっていくと言うことだから、責任を引き受けると言うことになる。

 というようなことで、今日も何につけ全力で対応していきますが、できれば結果が良い方がやりがい(達成感)はあるんですけど・・・いえいえ、欲張ってはいけませんね。達成感も挫折も含めて、全力の後は任せて受け入れて行きましょう。できれば陽気に。

 ☆篠山城天守台から高城山を望む。篠山城天守台には当時の事情で天守閣は建設されませんでしたが、それが成功とも失敗とも言えません。全力の後の結果は受け入れて行きましょう。成功失敗は簡単には判断できませんものね。

  • 丹後まさとしの絶こうちょう日記 ドクターのお気楽な毎日(~2020年4月)

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