Dr.1165 出来事(1月16日)
ポカンとした一日だと思って始まった昨日も、さまざまな頼まれごとや情報の到来、その日にやらなければならない出来事であっという間に一日が終わった。
「出来事」をよく吟味すると、さまざまなきっかけで出て来ることということだと分かる。自分の内側や外側からのいろんな原因でやるべきことが出て来るという訳だ。
出来事が多くあると、それはそれで何をやるかと悩む問題は緩和される。そこに自分の意思がないと主体性が欠けるようにも思われるが、そこは根本的な人生観と似ていて、そもそもが自分がこの世に生まれて来たのも自分の意思ではなく、諸要因によって生かされ、自分の意思も働かせているように見えるけれども、自分がこの世で果たすべき役割を果たさせてもらっているというドクター流人生観から言うと、その日の自分にやってくる様々な出来事は自分が精一杯やって行くべきことだということになる。
ということで、自分の意思もそれを超えた天の意思も入ってやるべきことが到来しその日を、そしてそれが続いて毎日を歩んで行くことになる。
結局その繰り返しで人生が成り立っていくのだろう。ともかく今日の出来事を精一杯やって行きます。
☆昨日やって来た出来事の一つが、車の汚れに気が付いて、バケツ水でゴシゴシやりました。今日もこれからも自分の使命・やるべき出来事に精一杯笑顔を忘れず取り組みます。皆様もご自分の出来事にご一緒に取り組んで行きましょう。

Dr.1164 ポカンとした一日(1月15日)
久しぶりに予定のないポカンと空いた一日の朝を迎えた。日差しのない寒い日で農作業にも適さない。
いくつかの書類を作成した後どうしよう。母が来週再入院と言うことになったので、母とゆっくりできるのは今しかないが、そうは言っても一日中一緒に居るわけにはいかない。いくつかのやる事をどう配分したら好い一日になるのか考える。考えている間に時間が過ぎていく。
こんなとりとめのない時間の中にいると、忙しくても何か用事(やるべきこと)がある方が良いという気にもなる。そうは言っても、最近の職場のように重圧の中でやるべきことだらけというのも大変すぎる。勝手なものだ。
ポカーンとした時間の中で、何事にも終わりや引退があるということを考えた。オリンピックなどで活躍した選手の引退宣言や元首相の死去のニュースに触れたからかもしれない。
終わりや引退は寂しいことだが、人間誰にでも訪れる事実だ。終わりや引退があるから、いつまでも出来るわけではないので、現役中や出来る間に今そのことが出来ることの有難さを噛みしめながら精一杯打ち込む。それが一番だとは思うし、その通りだと思うが、これがまた勝手なものですぐ見失ってしまう。ポカーンとした時間、なかなか対処方法が難しい。
☆ポカーンとした時間をどう機嫌よく過ごすかを考えるドクター。これは結構前からの大きな課題だったのを思い出した。思い出す時間がないほど忙しい方が良いのかな。

Dr.1163 大学入試(1月14日)
明日から大学入試共通テストが始まる。ドクターが受けた何十年前を思い出すと、共通一次テストと確か言っていたように思う。
病気治療中の亡き父が車で試験会場まで送ってくれたことを覚えている。後はそれほど覚えていないが、自分が入りたい大学の下見なんかしたり、合格後の下宿探しや、学生時代開始の新入生ツアーなどを思い出す。
とにかく青春時代の思いでは懐かしく輝いている。かといってもう一度同じ体験がそれほどしたい訳ではない。今が充実しているからということでもなく、どの時代にもワクワクすることとしんどいことがあった。どの時代もそれなりに生きたという思いはあるので、やり直しよりは今後の人生の展開の方に関心がある。
何せ今後の人生は未知だし、どういう風に展開していくか自分でも関心はある。どうせなら、これまでの経験を活かして、未来を充実させていきたいと思うし、自分や周囲の人の未来とも大きく関わっているのでしっかりとやって行きたいけど、肩に力が入り過ぎるのも自分らしくない。自然体で笑顔を忘れずボチボチ行こう。
明日からの若者たちの入試がスムーズに行われることを願いながら、とりとめのないことを考え、いつものような結論に達した。結局こんな風に生きて行くのだろうか。
☆いつもの部屋から小雪が舞うのを眺めながら、とりとめのないことを考え、いつものように一日が始まる。


Dr.1162 孤独に思う(1月13日)
孤独とどう付き合うかは難しいテーマだ。現役で仕事をしている時は、その前の学校時代も含めて一日中誰かと顔を合わせるので、全く一人で一日中過ごすということはない。
人と居ても心は寂しいということはあるだろうが、退職後の一人時間をどう過ごすかはさらに大きな問題。工夫しないと孤独にやられてしまう。
工夫の中には意識して人中に出て行く機会を見つけるということもあろうが、根本的には一人の時間をどう捉えるかと言う捉え方・考え方がキーになってくると思う。
一人でいる時間を「寂しく、惨め、耐えがたい」等と捉えると心がやられてしまう。孤独をマイナスだけでとらえず、(一人で生まれて一人で死んでいく)「人間の基本」と捉えたり、(人生の大部分を占める人間関係の問題に悩まなくても良い)「恵まれた時間」や(人生を振り返ったり学んだりお稽古したりできる)「豊かな時間」と捉えることが出来れば、生きやすくなる。
孤独との付き合い、簡単ではないが、ここはまたいつもの、孤独もよし、人と会うのも良し、とらわれず流れ来る時間の過ごし方の良い点に焦点を当てて与えられた今を元気に生きたい。
☆ある日踏切で出会った電車。圧倒的に電車の通らない時間の方が多いと思うが、時折は電車に遭遇する。遭遇しても良し、遭遇しなくても良し、夫々の良さに焦点を当てて行ける心の持ち方を修行したい。

Dr.1161 今を大事に(1月12日)
齢がいくと若い頃を振り返ることが多くなるという。ドクターも時々、人生の旬は何時だったかなと思い返すが、空手道を指導していた時、古文書を研究していた大学院時代、冒険教育時代、校長時代、などそれぞれに面白かってどれか一つには決めにくい。
それに定年後の幾つかの仕事も、これまた面白みがあった。現在の仕事もやりがいはあるが、進行形なので厳しいご意見や辛いこともあり、面白いとのみ言い切るまでにはなっていない。
しかし、これもまたさらに未来から振り返ると、面白かったやりがいあったと言えるようになるのではないかと感じている。何時の時代も、その渦中の時は面白さと同時に苦しいこともあり単純に喜んでばかりもいられないが、後から振り返ると魅力面が前面に出てきて「あの頃は良かった。面白かった。やり甲斐あった」となる。
こういう傾向に気付くと、何時の時代の「今」も渦中ではなかなか大変な面もあるが、精一杯大事に生きて後からの振り返りで後悔のないようにしたい。ということは、今をせいいっぱいやるしかない。ただし自分のペースで笑顔を忘れずということになって、結局いつもと同じ結論になる。ってことは、ドクター流生き方、じぶんにはあってるのかな。ありがたいことだ。
☆忙しい合間を縫って川辺のマイカーで読書。こうした小さな幸せを見落とさないようにします。
